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調和の女神はデバッグがお好き  作者: 円地仁愛
第4章:神の愛と人の情(じょう)
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50. 人造の神(AI)と、その魂(前)

開発二課のフロアに隣接する大会議室。


国プロのための共同スペースとして特別に割り当てられた其の部屋は、この日、異常なほどの熱気に満ちていた。誰もが抑えきれない興奮と共に沈黙し、静まり返っている。聞こえるのは、高負荷で回り続ける『アテナAIサンドボックス検証』サーバーの低いファンの音だけだった。



室内に集められたプロジェクトメンバーたちは、皆、一様に、中央に設置された大型モニターを見つめている。そこには、あり得ない角度で天を突くように伸びる、一本の曲線グラフが映し出されていた。


『アテナ検証用コピー(Type-K)学習曲線』


グラフに添えられたタイトルが示す通り、それは黒川徹の「差し入れ」―― 通称『黒川モジュール』を組み込んだアテナAIの、その驚異的な成長の記録だった。



― 学習効率、従来比512%向上。誤認識率、92.7%低減


結衣が淡々と告げた異常な数値。その意味を理解した瞬間、室内は爆発的な歓声に包まれた。



「やったぞ!」

「黒川さん、すげえ!」

「これならカオス社にも勝てる!」


佐々木は感極まって目頭を押さえ、佐藤も安堵の息を漏らす。拍手喝采する開発二課メンバーたちに囲まれ、黒川は少し得意げに腕を組んでいる。



ただ一人、森田愛莉だけが、その輪に加わっていなかった。


彼女は表情を固くしたまま、グラフと数値を凝視している。その指先が、テーブルの下で微かに震えているのを、隣に座る結衣だけが気づいていた。


(あり得ない…この成長曲線は、教科書的な学習モデルのそれじゃない。勾配が急すぎる。あの男の…、人間の、ただの泥臭い経験知が、ここまでアテナの潜在能力を引き出したというの…?)


その時、黒川が腕を組み、ニヤリとしながら愛莉を見た。


「へっ。どうした、愛莉ちゃん?ひどい顔色だぜ。ご自慢の最新AIも、俺の『料理』の前には形無しだったみてぇだな。…『料理』も『技術』も見た目じゃねぇ。その味…。中身が全てだ!」


勝ち誇ったような彼の言葉に、愛莉は一瞬だけ悔しそうに唇を噛んだ。しかし、彼女はすぐに深く息を吸い、表情を引き締める。いつもの柔らかな「天使」の面影を消しさり、彼女本来の、激情を計算高い知性で覆いこんだような複雑な色を湛えた眼差しで黒川を見据えた。


「……ええ。認めます」


愛莉は静かに立ち上がり、その場にいる全員に聞こえるように、冷静な声で告げた。


「黒川さんの言う通りです。あなたの『暗黙知』が、現状のアテナの限界を突破する鍵だということを…。結果が、このデータが物語っている。それは、疑いようもありません」


黒川は怪訝な顔で片眉をあげた。当然、噛みついてくるだろうと考えていた愛莉の、予想もしていなかった敗北宣言。隣に立つ佐藤も、目を丸くしている。彼女はゆったりとメンバーの顔を見渡し、そして、毅然とした態度で続けた。



「その上で、このプロジェクトに関わる皆様に…、『提案』があります」




++




「『敵対的生成ネットワーク』…?」


愛莉によって告げられた、新たな『提案』。そのキーワードは、開発二課のメンバーには耳慣れないものだった。困惑した表情の田中が「…って、なんですか?」と隣に座る佐藤にひそひそと質問している。



それに気づいた愛莉は、手早くPCを操作して手持ちの資料をモニターに投影した。二つのAIが向き合い、互いに矢印を向けあう、抽象的なコンセプト図が映し出される。



「『敵対的生成ネットワーク』…通称、『GAN』 。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、これは二つのAIを互いに競わせることで、双方のAIに『自己進化』を促す技術です」


愛莉は、フロアの困惑した空気を察し、分かりやすい言葉を選んで続ける。


「分かりやすく言えば、超精巧な『贋作』を延々と作り出す『捏造AI』と、 それらを絶対に見破る凄腕の『鑑定AI』 。この二つを同時に、そして際限なく戦わせるんです。そうすることで、『鑑定AI』はどんな『贋作』も見抜けるようになり、『捏造AI』は最終的に、本物と区別がつかないレベルの『リアルな贋作』を無限に生み出せるようになる…そういう技術です」


「で? その『贋作作り』がなんだってんだよ。回りくどい言い方しやがって」


黒川が、心底めんどうくさそうに尋ねる。その問いに、愛莉の口調は熱を帯び始めた。


「黒川さんのモジュールは驚異的です。でも、これだけでは使えません。あくまで過去のデータに基づく『類似性の判定』に過ぎない。そして、その『判定の根拠』は、あなたという一個人の経験…究極のブラックボックスである『人間の暗黙知』に、完全に依存している。あなたがいなくなれば、アテナの進化は止まってしまう。そんな脆い土台の上に、私の理想のAIは築けません」


彼女は、黒川をまっすぐに見据えた。その瞳には、もはや媚びる色はなく、純粋な野心と、技術者としての情熱に燃えている。


「だから、『GAN』を使うんです。あなたの“暗黙知”が詰まった業務データを『お手本』として、『鑑定AI』を徹底的に鍛え上げる。そして、その完璧な鑑定眼を、今度は『捏造AI』と競い合うんです。そうして、互いが互いを高め合い、『捏造AI』は、『お手本』に近しい、けれど更に多様で、未知のパターンを含んだ『偽の業務データ』を作るようになる」


愛莉は、夢見るように、しかし確信を込めて語る。


「そして、その嘘を見抜く『鑑定AI』は、将来的に発生するあらゆるパターンの『業務データ』を正しく判断しようと自己進化する。それを繰り返していくことで、最終的には、未来のリスクすら『予測』し、対処できるようになるわ」


愛莉は、ぎゅっと拳を握りしめ、結衣の、そして黒川の顔を交互に見つめた。

そこには、もはや黒川個人への対抗心は微塵もなく、まだ誰も見たことのない未来そのものを見据える、強い光が宿っていた。


「そう…!人間あなたの“限られた範囲の経験知”では及びもつかない、AIの『無限の可能性を秘めた形式知』…!それを、この手で、AIによって創り出せるようになるのよ…!」



++



「……随分と大層なことを言うじゃねぇか。要は、俺の経験知を学習したAIを育てて、俺を超えるってことだろ」


情熱を抑えきれないとでもいうかのような、普段の彼女らしからぬ熱っぽい表情と語り口に、黒川は、腕を組んだまま鼻白んだ。呆気にとられて、得意のシニカルな反論もでてこないようだ。


「けどなぁ…。いくらそれらしい『偽物』を何万個作ったところで、それは『偽物』だろ?俺の経験知の土台は『本物』だ。『偽物』で『本物』を超えようなんざ、無理があんじゃねぇのか?」


「やってみる価値はあるわ。『本物』が『偽物』より優れているなんて、一体、誰が決めたの?そんなの、神様にだってわからないじゃない」


「その『鑑定AI』の正しさは誰が証明する?俺の“経験知”をブラックボックスだの成分不明の暗黒物質だの、散々こき下ろしてくれたじゃねぇか。忘れたとは言わせねぇぞ」


「あなたの暗黙知…『カン』は、第三者どころか、時には、あなた自身にさえ説明不能だわ。でもAIは数理モデルよ。論理的な『形式知』に落とし込み、EAIの分析と組み合わせれば、きっと説明だって可能になる。私は、その可能性に賭けたいの」


「そのAIが、人間の想像もつかねぇような、とんでもねぇ『偽物』を『本物』だって言い出したらどうする?それがシステム全体の致命的な『バグ』になるんじゃねぇのか?」


黒川は、GANの仕組み――偽物のデータを生成する『捏造AI』と、それを見破る『鑑定AI』が互いに競い合う構造――に触れつつ、その本質的なリスクを突きつけた。


「そうなったら、もう終わりじゃねぇか。GANが何を生成するかが、AIのバイアスそのものになる。それを学習したアテナは、一体どんな『判断』を下すつもりだ?そこには、秩序も何もありゃしねぇ。混沌カオスそのものだろ」


それは、AI倫理の核心に触れる、重さを含んでいた。しかし、愛莉もまた、AIの可能性を信じる者として、一歩も引かなかった。


「それは学習データセットの多様性の確保と、生成モデルに対する継続的な監視、そして私たち人間による倫理的なチューニングによって回避可能よ。AIは人間の持つバイアスを客観的に認識し、それを乗り越える手助けすらできるはず」


現実的なリスクを重んじる黒川と、技術の進化による未来の可能性を信じる愛莉。二人の議論は、AIの能力の限界、データの品質、倫理的問題にまで及び、白熱していく。


更に口を開こうをした黒川を、愛莉は苛立ったような声を上げて制した。


「イチイチうるさいわね!AIの創造性は、私たち人間の限界を超えるための鍵よ!技術者(私たち)が、その可能性を信じなくてどうするの!?私は、心の底から信じてる!エンジニアを名乗るなら、あなたも信じなさいよ!!それが、男の甲斐性なんでしょ!?」


ぐっと黒川が言葉に詰まった。

てめぇ、それをここで出してくるか!?と。技術論争が、感情論争になりかけたその時。




それまで静かに議論を聞いていた結衣が、ふと窓の外の空を見つめながら、独り言のように呟いた。


「『偽り』から『真実』が生まれることもあれば、『真実』が時に『偽り』よりも残酷な現実を突きつけることもある…。宇宙の進化もまた、無数の『可能性という名の偽り』の中から、たった一つの『現在という名の真実』が紡がれ続けているプロセスと言えるのかもしれませんね」


彼女の声は静かだったが、その場にいた全員の耳に不思議なほど明瞭に届いた。


「もし、AIが生み出す『偽りのデータ』が、アテナにとって新たな『気づき』や『進化』のきっかけとなり、結果として人間社会とより深く『調和』する道筋を示すのであれば…その『偽り』は、果たして本当に『偽り』と断じることができるのでしょうか?あるいはそれは、私たちがまだ理解していない、より高次の『真実』への扉なのかもしれません」


結衣のあまりにも壮大で、しかしどこか本質を突いているような言葉に、黒川と愛莉は一瞬キョトンとし、言葉を失った。




やがて、黒川が額に手を当て、深いため息をついた。


「…ったく。『女神サマ』は、話が飛躍しすぎなんだよ…」


しかし、その表情からは先ほどまでの刺々しさが消え、むしろどこか面白がっているような、あるいは何か新しい視点を得たような、複雑な色が浮かんでいた。


彼は結衣の方を向き、少しだけ口の端を上げた。


「…まあ、お前の言う『宇宙の真理』なんざ、俺にはサッパリ分からねぇが。だが、その『偽物が本物になるかもしれねぇ』って話は、ちょっとだけ面白いかもしれねぇな」


そして、愛莉に向き直ると、ふっと息を吐き出し、まるで面白い悪戯を思いついた子供のように笑った。


「だったら、試してみようぜ。こんなところで議論したって意味がねぇ、結果が全てだろ」


黒川は、おもむろにホワイトボードに向かい、乱暴な、しかし力強い筆致でペンを走らせた。



①『アテナK』→ 黒川モジュール単独

②『アテナG』→ GAN単独

③『アテナH』→ 黒川モジュール+GANのハイブリット形式



「この3種類で競争だ。どれが一番、使える代物になるか…アテナを本当に賢くするのか。白黒つけてやる」


その提案に、愛莉は一瞬驚いたが、すぐに挑戦的な笑みを浮かべた。その瞳は、黒川という好敵手を得て、より一層輝いている。


「…いいわ。その挑戦、受けて立ちます。あなたに、AIの本当の可能性を見せてあげる」




三人の様子を数歩離れたところで傍観していた佐々木が、その光景に感極まったように頷いていた。


「うむ…!黒川という『テーゼ』、森田くんという『アンチテーゼ』、そして芽上くんの視点がもたらした『ジンテーゼ』…ヘーゲルのダイアレクティックそのものだな!すばらしい、感動したぞ!」


そして、その隣に佇む佐藤は、少し遠い目をしながら、この急展開に、内心で頭を抱えていた。


(…課長、哲学書にまで手を伸ばしたんだな…。ていうか、これって手間と稼働が三倍ってことだよな?わかってるのかな…)




自分の胃痛の種が、また一つ増えた。佐藤がそんな現実的な溜息を内心でついた時、ふと、三人の顔が目に入った。


その表情は、これから始まるであろう苦労など微塵も感じさせない、純粋な技術的好奇心と、競争への高揚感で、やけにキラキラと輝いている。


(…ああ、でも三人とも、めちゃくちゃ楽しそうだ…。やれやれ。しょうがないなぁ…)



佐藤は、羨望とも呆れともつかないため息をつきながら、プロジェクト管理ツールに、そっとタスクを追加した。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます!今回も前後編でのお届けです。


前編では、『AI』に関する技術討論ベースで、3人の想いを描いてみました。

『技術』に関する姿勢には、我々技術者の思想や価値観そのものが色濃く反映されると思います。討論を通じて、彼らの生態を感じてもらえると嬉しいです!


後編では、視点を変えて、プロジェクト・ハーモニーXの目指す未来について描いていく予定です。


少しでも興味をもっていただけましたら、応援いただけると嬉しいです。

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