表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
調和の女神はデバッグがお好き  作者: 円地仁愛
第4章:神の愛と人の情(じょう)
48/71

48. 女神の関心と98.72%の純情(前)

黒川の『筆頭技術責任者』就任。

開発二課にとって地殻変動とも云える会議が終わった、その日の午後。


佐藤は、新たな決意と、胃痛の予感を胸に、まずは思考を整理しようと給湯室へと向かった。

自販機で一番刺激の少なそうな温かいお茶を選び、紙コップに注がれるのを眺めながら、先ほどの会議での出来事を反芻する。


(『筆頭技術責任者』…。要はリーダーってことだよな。いつもは物凄く嫌がるのに、簡単に引き受けたよなぁ…。まあ、芽上さんにあんな風に真正面から言われちゃったら、今の黒川さんに抗えるわけないか )


(でも、問題はそこからだ。あの芽上さんに、黒川さんのあの『純情な感情』が、果たして1/3でも伝わって……ないだろうな、絶対。あの人のズレっぷりを考えれば1/3000、いや、むしろマイナス方向に解釈してる可能性すらある…)


どうしたものか、と佐藤がコーヒーサーバーの前で一人、うんうん唸りながら次の行動をシミュレーションしていると、不意に背後から静かな声がかかった。


「佐藤さん」


「うわぁっ!!」


素っ頓狂な声を上げ、佐藤は危うく持っていた紙コップを落としそうになる。心臓が口から飛び出そうだ。

振り返ると、そこには案の定、表情一つ変えずにこちらを見つめる芽上結衣の姿があった。


「め、芽上さん!珍しいですね、給湯室に来るなんて。どうかしましたか?」


慌てて平静を装う佐藤に、結衣は小さく頷いた。


「はい。佐藤さんが給湯室にいらっしゃるのを偶然お見かけしましたので、少々お伺いしたいことが。…黒川さんは、コーヒーであればどの銘柄を好んで摂取される傾向にありますか?また、彼のパフォーマンスを最大化するための、最適な抽出方法や温度、糖分・乳脂肪分の添加量や提供時間および間隔に関するデータは、開発二課内に蓄積されていますでしょうか?」


結衣は、手元のタブレットに何やら複雑なパラメータリストのようなものを表示させながら、至って真剣な表情で問いかけてくる。


(…黒川さんのコーヒーの好み!?最適な抽出方法と提供間隔…!?!?)


佐藤の脳裏に、佐々木課長の指示…「黒川のサポートを芽上くんに」、という言葉が蘇る。しかし、これは業務上のサポートというには、少し行き過ぎているように思えた。


(芽上さんが、あの黒川さんのために、わざわざコーヒーを…!?そして、この念の入れ様……ま、まさか…!?いや、相手は、芽上さんだ…!また、ワケのわからない解析行動の一環かもしれない…! )


佐藤が内心でそんな一人ツッコミを繰り広げている間も、結衣は情報収集に余念がない。その視線は素早く給湯室全体をスキャンしていく。

コーヒーサーバーの型番、設置されている浄水器のメーカー、壁に貼られたコーヒー豆の定期補充業者の連絡先、補充内容と、その時間の記録…。それら全ての情報をタブレットに瞬時に入力し、蓄積する。黒川の「カフェイン供給プロトコル」設計のための基礎データとして、活用するためだ。


その一連の動きはあまりにも自然でさりげなかったため、佐藤は、単に彼女がネットでコーヒーの銘柄を検索しているのだろうと考えていた。


「…黒川さんのコーヒーの好み、ですか。黒川さん、最近ちょっとお疲れ気味みたいですからね。芽上さんが淹れてあげたら、きっと喜びますよ。………ところで。黒川さんといえば、ですね」


佐藤は、そこで一度言葉を区切り、結衣の反応を慎重に窺った。彼女は変わらず冷静な表情でこちらを見ているが、その瞳の奥には純粋な情報収集への意欲が感じられる。


よし、今だ。佐藤は意を決し、ほんの少しだけ声を潜め、核心に迫るように続けた。


「最近の、黒川さんの様子なんですけど…、少し…仕事中もどこか上の空だったり、逆に異常な集中力を見せたり…、ちょっと情緒不安定気味な気がしませんか?あれって、芽上さん的にはどう思われますか?何か、こう…心当たりとか、あったりしません?」


最後の言葉は、確信犯的な、探るような響きを帯びていた。そのまま固唾を飲んで結衣の反応を待つ。


結衣は、佐藤のその言葉に、一瞬きょとんとしたように数回まばたきをしたが、すぐにその深い青色の瞳に、まるで新しい研究テーマを発見した科学者のような、強い興味と分析の色を浮かべた。


「黒川さんの最近の行動パターンと、その要因に関する、私の解釈ですね。…佐藤さん、それは非常に重要な着眼点です。ぜひディスカッションさせてください」


結衣はタブレットを操作し、佐藤にも見えるように画面を向ける。そこには、難解な数学式と数値データ、そして多種多様なグラフがびっしりと表示されていた。


「結論から申し上げます。最近の黒川さんのパフォーマンス変動と特異な行動、それは彼の私に対する極めてパーソナルな関心――つまり、人間社会で一般的に『恋心』と呼称される高エネルギーな感情の遷移に起因していると、私は結論付けております。この解析モデルによれば、その確度は98.72%(±0.03%の誤差許容範囲内)と極めて高い数値を示しており、彼の行動全てではないにしろ、その大部分には『恋』が強い影響を与えているといえるでしょう」


佐藤は完全に言葉を失っていた。結衣のタブレットに表示された、黒川の行動パターンの詳細なグラフと、そこから導き出された「『恋バグ』確度 98.72%」という衝撃的な数値。手にした紙コップがカタリと音を立てて給湯台に落ちそうになるのを、かろうじて掴み直すのが精一杯だった。


( 黒川さんの『純情な感情』が…『1/3000も伝わっていない』どころか、ほぼ完ぺきに100%丸裸にされ、数値化されている…!!しかも、このびっしりと書き込まれた複雑怪奇なグラフと数式データは一体…!?学会発表でもする気なのか!?このままでは、黒川さんが色んな意味で再起不能になってしまう…!!)


佐藤のそんな内なる絶叫など全く意に介さず、結衣はタブレットの別のグラフを示しながら、冷静に、しかしどこか生き生きとした研究者のような口調で続ける。


「さらに詳細なデータポイントを解析しますと、黒川さんの『恋』という名の感情的バグは、彼や周囲に対し、現状、複数のポジティブな影響を誘発していることが確認されています。例えば、私が彼の半径3メートル以内に存在する場合です」


結衣は、そこで一旦言葉を区切り、佐藤に同意を求めるように小さく頷いた。佐藤は、もはや抵抗する気力もなく、こくこくと頷くしかない。


「この条件において、彼が他のメンバーのコードをレビューした際の指摘総数は平均で8.7%減少しますが、その一方で、指摘内容における『クリティカルなバグ』や『設計上の本質的な問題』に関する指摘の割合は平均で15.2%向上しています。これは、彼の集中力と洞察力が高まり、些末なスタイル違反などに時間を割くのではなく、より本質的な品質向上に繋がる指摘に注力できるようになったことを示唆します。結果として、レビュー対象コードの根本的な改善速度は向上していると分析できます」


佐藤は、そのあまりにも詳細で、かつ自分の知らないところで勝手に計測・分析されていたであろう黒川の、そして自分たちの日常に、目の前が真っ暗になった。


「先日、彼が提示したレガシー刷新に関する独創的なアイデアも、興味深い観測結果の一つです。解析には、私が開発したAIシミュレータを用いました。これによると、会議直前に私が彼と行った約7分間の技術的ディスカッションが、彼の創造性を司る神経回路に極めてポジティブな刺激を与えた可能性が高いとの結果がでていいます。その際の彼の脳波パターンは、極度の集中による、いわゆる『ゾーン状態』に近い特異な状態を示していたと推測されます。残念ながら、『恋バグ検証禁止令』のため数値計測が不十分で仮定の域をでないのですが、可能性は高いでしょう」


もはや佐藤は相槌を打つこともできない。結衣の解説を、ただ耳に入れているだけだ。


「もちろん」と、結衣はそこで一度、残念そうに眉をひそめた。


「デメリットも観測されています。私との直接的なコミュニケーション後、約15分間は軽度の注意散漫状態に陥り、単純なタイプミス率が3.2%上昇する傾向が見られます。また、私が他の男性社員――特に佐藤さん、あなたです――と親密な会話をしていると彼が認識した場合、彼のストレスホルモン(コルチゾール、推定値)が一時的に上昇し、作業効率が最大で5.8%低下するという観測データもあります。これは…チーム全体のパフォーマンスへの影響を鑑みると、もしかしたら、要因を排除、あるいは隔離すべきかもしれませんね。より踏み込んだ試行と観察が必要でしょう」


結衣は真顔で佐藤をチラリと見た。


(は、排除!?隔離!?た、ただの業務連絡なのに!?黒川さんにヤキモチ焼かれたという理由だけで、この会社から消されかねない!!)


佐藤の背筋を、冷たい恐怖が走り抜けた。


「しかし」と結衣は、再びタブレットに視線を戻し、分析を再開する。


「これらのネガティブな影響を考慮しても、現時点ではポジティブな作用がそれを大幅に上回っていると判断できます。彼の『恋バグ』は、その潜在能力を覚醒させ、プロジェクト全体の推進力となっている。よって、このまま慎重に経過を観察し、彼のパフォーマンスを持続可能な範囲で最大化するための適切な環境調整――例えば、私との定期的な技術ディスカッションのスケジューリングや、ストレス要因の戦略的排除など――を行うことが、チームのためにも、そして彼自身の成長のためにも、現時点での論理的な最適解と言えるでしょう」


どこか誇らしげに、しかしあくまで客観的な分析結果として締めくくる彼女の言葉は、佐藤にとって死刑宣告にも等しい。


結衣の恐るべき分析能力と、その結論 ―― 黒川の恋を「利用」し、佐藤を「排除」してパフォーマンスを最大化する ―― に、佐藤は完全に思考がフリーズしていたが、自分の存在が本格的に危険に晒されていることを察知し、ハッと我に返った。


(だ、だめだ!この『女神さま』は、完全に黒川さんを高性能な実験動物か何かと勘違いしている!しかも、俺までその実験の邪魔なノイズ扱いじゃないか!このままじゃ、黒川さんが本当に壊れるか、俺が物理的に消されるかの二択だ!)



佐藤は、もはや悲鳴に近い声で、結衣の言葉を遮った。


「め、芽上さん!ストップ、ストップです!その素晴らしい分析と、黒川さんのパフォーマンス最大化計画は、もう、よーーーく、よーーーく分かりましたから!」




お読みいただき、ありがとうございます!


女神の無慈悲な分析と、それに振り回される佐藤の奮闘劇、

お楽しみいただけましたでしょうか。

タイトルと本分の『純情な感情』は、あの名曲のオマージュです。


少し長くなりましたので、今回は前後編でお届けします。

近日中に更新予定です!


ブクマ・評価・感想・リアクション、なんでもお待ちしております!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ