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調和の女神はデバッグがお好き  作者: 円地仁愛
第4章:神の愛と人の情(じょう)
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44. レガシー刷新!“調和”のスタートライン(前)

開発二課の奥にある、少し広めの会議室。

この日は、珍しくブラインドが全開に開かれており、午後の陽光が窓から眩しく差し込んでいた。


しかし、その明るさとは裏腹に、テーブルを囲むメンバーたちの間には、新しいプロジェクトへの期待と、その途方もない困難さへの不安が入り混じる、重たい空気が漂っている。


会議室の中央に置かれたホワイトボードには、大きく、「レガシーシステム刷新プロジェクト 第1回検討会議」の文字。課長の佐々木が書いたであろうその文字は、力強く、しかし、所々震えていた。


(ついに始まったか、レガシー刷新…。あの超絶ブラックボックスなX-Coreをはじめとした、主要モジュールの刷新…プロジェクト・ネクストXの初期構想とは次元が違う。先日の幹部会議で、短期のAI検証と並行して進めることが正式に決まった、いわば本丸だ )


会議室全体を、絶対に失敗することはできないという無言の、しかし息苦しいほどのプレッシャーが支配している。

その重圧に耐えかねたように、佐藤はこっそりと息を整え、無意識のうちに視線を隣へと滑らせた。


そこにいるのは、このプロジェクトの成否を左右するであろう男、黒川徹 ―― だが、その彼の様子は、お世辞にも頼りになるとは言えなかった。


( 黒川さん、今日の会議、芽上さんがメインで話すからって朝からソワソワしすぎだよ…!この人、一つのことに夢中になると、他が一切見えなくなるからな…。森田さんの時も、全く仕事に身が入ってなかったし…。曲がりなりにも開発二課のエースでしょう!頼むから、ちゃんとしてください…!)


佐藤健太は、そんなことを考えながら、胃のあたりをそっとさすっていた。


やがて、メンバーが一通りそろい、会議の開始時刻になった。佐々木は咳払いを一つすると、緊張した面持ちで口火を切った。


「えー、皆、お集まりいただきありがとう。さて、先日、磯山事業部長より、この『レガシーシステム刷新プロジェクト』の推進が正式に承認されたのは、皆も知る通りだ。国プロ『ネクストX』成功への重要な布石であり、開発二課の総力を挙げて取り組むべき最重要課題であり…、期限は…まあ、非常にタイトだが、必ずやり遂げなければならない!」


課長は、磯山事業部長から下された厳しい目標を改めてメンバーに共有し、場の空気を引き締める。そして、やや誇らしげな表情で、隣に座る結衣に視線を移した。


「まずは、この刷新計画の骨子を立案した、芽上くん本人から、具体的な構想を説明してもらおう!芽上くん、頼んだぞ!」


「はい、佐々木課長」


結衣は落ち着いた所作で立ち上がり、ノートPCを操作して、会議室の大型モニターにプレゼンテーション資料を映し出した。それは、寸分の狂いもない美しい図解と、完璧な論理で構成された、いかにも彼女らしい資料だった。


「それでは、レガシーシステム刷新プロジェクトの基本構想についてご説明いたします。本プロジェクトのクリティカルパス、それは、現状のモノリシックなレガシーアーキテクチャを、マイクロサービスアーキテクチャへと全面的に移行することです。将来的な拡張性と保守性を最大限に高め、中長期的なキャッシュフローを最適化を目指します」


彼女は、主要機能を独立したサービスとして切り出し、それらをAPIファーストの思想で連携させること、インフラはクラウドネイティブ技術を全面的に採用すること、データは新DBへ段階的にマイグレーションし、最終的には現行レガシーDBを完全廃止するという、壮大かつ技術的に最先端の構想を、淀みなく、そしてどこか楽しげに説明していく。


その計り知れないメリット ―― スケーラビリティ、アジリティ向上、メンテナンス性向上、新技術導入の容易さ、開発者のモチベーション向上、社内コミュニケーションの活性化による組織エントロピーの低減、ひいては宇宙全体の調和への微々たる貢献…など ―― が、彼女なりの論理で展開された。


(………レガシー刷新の最終KPIが『宇宙全体の調和への貢献度』とかになったらどうしよう……あり得る、この『女神様』なら!そのための測定指標とか本気で定義しそうだ…!)


佐藤は、結衣のあまりにも壮大すぎる言葉に、眩暈を覚え、こめかみを軽く押さえた。

彼女のプレゼンテーションはまだ続いているが、その内容は既に佐藤の理解のキャパシティを遥かに超えて、銀河系の彼方へと飛んで行きはじめている。


(…芽上さんの構想、確かに技術的には最先端で理想的なんだろうけど、これ、本当にうちの会社で、この短期間で実現可能なのか…?しかも、この最先端とは真逆の『開発二課』で…? っていうか、このスケジュール感、どう考えてもおかしいような……。まさかとは思うけど、俺たちのスキル度外視で、無謀な計画立ててないよな…?)


佐藤の背中に、嫌な汗がじわりと滲んだ。

よくよく考えてみれば、彼女が入社して以来、常識的な一般社員と接する機会がどれほどあったというのだろうか? DH社でもトップクラスの技術を誇る黒川や森田愛莉。彼らが、結衣のベースラインとなっていてもおかしくない。


結衣の説明が一通り終わる頃、会議室は少しの期待と興奮、そして、それを大幅に上回る絶望と困惑が入り混じった、カオスな空気に支配されていた。


若手エンジニアの一部、特に結衣に傾倒している田中などは「す、すげえ…!マイクロサービス!コンテナ!まるでSFの世界だ…!これぞ女神の神託だ!」と目をキラキラさせているが、他のベテラン勢は一様に顔面蒼白で、佐々木に至っては胃のあたりを押さえながら机に突っ伏し、誰もが次の言葉を見つけられずにいる。


その膠着した空気を動かしたのは、課長の佐々木だった。


「め、芽上くん、その…提案は、非常に画期的で素晴らしいと思うんだが………あー、現実的な予算とか、必要な人員、そして何よりも既存システムとの膨大な連携部分の整合性をどう取るのか、そのあたりは…その…どうなんだろう…君の計画だと…コストの回収に……、最低でも15年はかかるんじゃないのかな?」


恐る恐る、しかし管理職として当然の疑問を口にする。

他のベテランエンジニアからも、「API化って言っても、あのドキュメントが皆無に等しいモジュール群をどうやって…」「全面クラウド移行なんて、うちの会社のカチコチなセキュリティポリシー的に本当に大丈夫なんですかね?」といった、もっともな懸念が次々と噴出した。


しかし、結衣は、それら人間たちの抱く当然の懸念や現実的な反論の全てを、まるで取るに足らない些事であるかのように、全て想定内とでもいうように冷静に一つ一つ頷きを返した。


彼らの意見を全て聞き終えると、結衣は、手元のタブレットを操作し、大型モニターに次々と複雑怪奇なグラフ、数式、そして常人にはもはや解読不能なシミュレーション結果を映した。

そして、おもむろに口を開くと、そこから紡ぎ出されたのは、彼らの常識や経験則を遥かに超越した、圧倒的な論理の奔流だった。


「ご懸念は理解できます。しかし、こちらのデータをご覧ください。API化における既存モジュールのインターフェース解析ですが、私の開発した『レガシーコード意味的構造化エンジン』を用いれば、ドキュメントが皆無であっても99.8%の精度で仕様を自動抽出可能です。既に昨夜、DH社内の全レガシーコードベースのスキャンと解析は完了しており、その結果がこちらになります」


モニターには、開発二課の誰も見たこともない、しかし恐ろしく詳細で正確そうなモジュール関連図とAPI候補リストが表示される。ベテランエンジニアの一人が、小さく「嘘だろ…」と呻いた。


「また、全面クラウド移行に関するセキュリティポリシーとの整合性ですが、私の提案する『適応型ゼロトラスト・ネットワーク・ファブリック』は、現行の境界型防御モデルと比較して、平均で37.2%のセキュリティインシデント発生率の低減が見込めます。こちらのシミュレーション結果がその根拠です」


再びモニターが切り替わり、複雑な攻撃シナリオと防御成功率を示す確率分布グラフが表示される。そのグラフが何を意味するのか、正確に理解できる者は、この部屋にはおそらく一人もいない。しかし、彼女の淀みない説明と、そこに映し出された圧倒的な情報量は、反論の余地すら奪い去るような迫力を持っていた。


「そして、初期投資に関しましては、リソースの最適配分と、この刷新による開発効率の指数関数的向上、さらには将来的なシステム維持コストの大幅な削減効果を考慮すれば、私の試算では、最短で1.3年での回収が可能となります。こちらのキャッシュフロー予測モデルをご覧ください」


結衣は、先ほどの佐々木の『最短15年』という曖昧な数字を、冷徹に訂正し、具体的な計算式(しかし誰も理解できない)と共に、ともすれば楽観的とも見える数字を叩きつける。佐々木の顔から血の気が引いていった。




会議室は、再び、そして先ほどよりもさらに深く、重苦しい沈黙に支配された。

それはもはや、困惑や疑問の沈黙ではない。理解することを放棄した者たちの、あるいは、あまりにも格の違う存在を前にした者たちの、絶望的な諦観に満ちた沈黙だった。


佐々木とベテラン勢の顔からは、みるみる生気が失われ、まるで魂が抜け落ちた抜け殻のようになっている。


(だ、ダメだ…!このままでは、芽上さんの完璧すぎる理想論に全員が押し切られて、デスマーチ確定の無謀なプロジェクトが始まってしまう…!最初の会議でこの空気…!誰か、誰かこの流れを止めてくれ…!)


佐藤の祈りにも似た願いに応えるかのように、佐々木は力を振り絞り、果敢に顔をあげた。血走った目で会議室を見回していき、一人、腕を組んで黙り込んでいる黒川の上で、その視線を止める。


「………く、黒川!……君は、この芽上くんの提案について、何か意見はあるかね!?」


( か、課長…!!最悪手です!お願いだから、空気読んでください…!!今の黒川さんに振ったら『芽上への異論は認めねぇ!むしろ、もっと前倒しすべきだろーが!』とか言い出しかねない…!!)


佐藤は、頭を抱えて天を仰いだ。


名指しされた黒川は、組んでいた腕をほどき、ゆっくりと顔を上げる。

その視線が、真っ直ぐに結衣と交錯する。


彼女は、自分の計画が完璧だと信じて疑っていない、期待に満ちたキラキラとした瞳で黒川を見つめ返し、同意を求めるように愛らしくコテンと首を傾げた。



いよいよ物語も終盤、 「第4章 神の愛と人の情」開幕です。

タイトルからしてバレバレですが、4章ではキャラクターたちの関係性を描いていく予定です。

ITお仕事モノとして、技術論も、しっかり展開していきたいです!


評価・ブクマ・感想・リアクション、なんでもお気軽にいただけると嬉しいです!


そして、すでに反応下さった方、本当にありがとうございます!励みになります!

いただいた反応が嬉しくて、筆が進みまくった結果、今回は前後編になってしまいました。

後編も近日中にお届け予定です。ぜひ読んでいただけると嬉しいです!

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