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42. 幕間:幹部の焦りと現場の一手

重役フロアの一角、磯山事業部長の執務室は、窓の外に広がる曇天を映してか、普段にも増して重苦しい空気に満ちていた。


眉間に深い皺を刻んだ磯山は、大型モニターに表示された社長からの最後通告めいたメールを忌々しげに睨みつけ、内線電話のボタンを荒々しく叩く。


「古井くん、佐々木くん、それから野村部長もだ!すぐに私の部屋へ来たまえ!国プロの件で緊急会議だ!」


ほどなくして、呼び出された三人が神妙な面持ちで入室する。クラウド推進部の部長である古井の後ろには、彼の指示だろう、森田愛莉が緊張した面持ちで控えていた。


「…集まってもらったのは他でもない」


ソファに深く沈み込んだまま、磯山は低い声で切り出した。その声には、抑えきれない苛立ちが滲んでいる。


「今朝、社長から直々にお言葉があった。『次の中間報告会でカオス・ダイナミクス社に明確な差をつけられなければ、国プロから手を引く準備を始めろ』と。…あのカオス社のハッタリAIに、我が社の技術陣がいつまで後れを取り続けるつもりだ!」


ドン、とテーブルを拳で叩く。その音に、古井と佐々木の肩がわずかに震えた。


「カオス社の連中は、技術の実態以上に、政府筋へのアピールが異常に上手い。おまけに、審査員の中には奴らと懇意にしているという黒い噂まである始末だ。完全に後手に回っていると言わざるを得ん!」


磯山の視線が、まず古井に向けられた。


「特に古井くん、君のクラウド推進部のアテナ・ウィズダムはどうなっているんだ!進捗は遅々として進まず、おまけに開発二課との連携も機能不全ではないか!こんな状況で、本当に君にシステム開発本部の次期部長の椅子を任せられるとでも思っているのかね!?」


古井の顔がサッと青ざめる。「も、申し訳ございません、磯山事業部長!アテナは現在、最終調整段階で…ただ、その…レガシーデータの品質が、いかんせん…」と言葉を濁す。彼の視線が、助けを求めるように隣の愛莉へと泳いだ。


(まずい…ここで全責任を負わされては、私のキャリアが…!そうだ、森田に詳細を説明させよう。こいつなら上手く…いや、むしろ責任の一端を押し付けられるかもしれん…!)


その古井のあからさまな動揺を見かねてか、人事部長の野村が静かに口を開いた。


「磯山事業部長、少しお言葉が過ぎるのでは。古井部長も、この困難な状況下で最大限努力されているはずです。この国プロの要求レベルは尋常ではない。今、部門間の責任の押し付け合いをしている場合ではありません。むしろ、組織の壁を越えた協力体制こそが求められている」


野村はそこで一度言葉を切り、佐々木に穏やかな視線を向けた。


「実は先日、開発二課の佐藤くんからも、現場の危機感と、部門間連携の必要性について切実な声が上がってきておりました。佐々木くん、君のところでは、何か具体的な打開策は検討しているのかね?」


突然話を振られた佐々木は、背筋を伸ばし、内心の動悸を必死で抑えながら答えた。


「はい!開発二課といたしましては、現状の危機を打開すべく、既に、具体的な施策と、その検証に着手しております。主任エンジニアである黒川徹が考案しました独自のデータ処理モジュールを、メンバーの芽上結衣の分析と提案に基づき、AI『アテナ』の学習効率向上に応用するというものです」


その声は緊張で少し上ずっていたが、言葉の内容は明確だった。


「黒川は…、磯山事業部長もご存知の通り、一癖も二癖もある男ではございますが、レガシーシステムに関する彼の深い知見と経験は、この会社にとってかけがえのない財産です。そして芽上結衣は、新人ではありますが、その規格外の…、いえ、時に神懸かり的とも言える突出した実務能力を持っています。それは、野村部長にもご注目いただいている通りです。彼女の分析力と発想力によって、この困難な課題にも光明を見出しつつあります」


そこまで一気に言い切ると、佐々木はさらに続けた。


「ただし、これはあくまで短期的なAI性能向上に向けての対策であり、レガシーシステムの抱える根本的な問題には、中長期的な対処が必要です。これに関しましても、芽上と黒川が中心となって立案いたしました『レガシーシステム刷新プロジェクト』による抜本的な解決を目指しております!」


佐々木の二段構えの提案に、磯山の眉がピクリと動いた。「ほう…黒川と、あの新人か。短期的なモジュール検証と、中長期的な刷新計画、か…。まずはその短期的な話だ。具体的にどういう技術なんだね、佐々木くん」と、少しだけ身を乗り出し、興味を示した。


それを見た古井が、自分の立場が危うくなるのを察し、慌てて愛莉に視線を送る。「も、森田くん、君はこの件について何か聞いているのかね?開発二課の提案が、君の進める『アテナ』プロジェクトに本当に有効だと?」


古井の言葉を待っていたかのように、愛莉がすっと立ち上がり、磯山に向き直った。その表情は冷静沈着、しかし瞳の奥には強い意志の光が宿っている。


「磯山事業部長、ご説明いたします。佐々木課長のおっしゃる通り、開発二課の黒川さんの技術、そして芽上さんの分析は、現状の『アテナ』が抱えるレガシーデータ由来のボトルネックを解消し得る、驚くべき可能性を秘めています」


愛莉は手元のタブレットを操作し、簡潔なグラフをモニターに映し出す。


「先日、私自身もその技術の初期検証に立ち会いました。黒川さんの提案されたデータ処理モジュールを『アテナ』の学習データ生成プロセスに試験的に導入したところ、従来比で処理速度は約5倍、特定ノイズの除去率は30%以上向上という、驚くべき初期結果が得られました」


具体的な数値に、会議室の空気がわずかに変わる。


「もちろん、この技術にはまだ検証すべき点やリスクもございます。しかし、このポテンシャルは、カオス・ダイナミクス社との差を埋め、逆転するための大きな鍵になると、私は確信しております。つきましては、クラウド推進部と開発二課の共同チームによる、本格的なサンドボックス環境での検証プロジェクトの立ち上げを、ここに正式にご提案申し上げます。そして、その検証プロジェクトの指揮は、AI開発の責任者である私が執らせていただきたく存じます」


淀みない口調で、愛莉は開発二課の成果を認めつつ、それを自分のプロジェクトとして統括する意志を明確に示した。


古井は内心で舌打ちした。


(森田め…!いつの間に開発二課とそこまで話を進めていたのだ!しかも、手柄を全て自分のものにするつもりか…!だが、ここで私が口を挟めば、磯山事業部長の機嫌を損ねるだけ…今はこいつに乗るしかないのか…!)


そこで、野村が再び穏やかに口を開いた。


「素晴らしい。森田くんのその決断力と、開発二課の革新的な技術。この二つが組み合わされば、確かに大きな力が生まれるでしょう」と、まず愛莉の積極性を評価する。


「しかし、忘れてはならないのは、これが開発二課の黒川くんの独創的な技術と、芽上くんの慧眼、そして森田くんのAI戦略。この異なる才能が『連携』してこそ生まれ得た可能性だということです。誰か一人の手柄ではなく、部門を超えた『共創』の成果として、これを育てていく必要があります」


野村は磯山に視線を向けた。


「人事としても、この芽上くん、黒川くん、森田くんという、それぞれの分野で突出した能力を持つ人材の連携には大いに注目しており、その成果は両部門、そして会社全体の財産として公平に評価されるべきです。それが、社員全体のモチベーション向上にも繋がります」


磯山は、野村の言葉と愛莉が提示した具体的な初期成果に、しばし腕を組み深く考え込んでいた。やがて、重々しく頷く。


「…よろしい。森田くん、君のその覚悟と具体的な成果予測、そして野村くんの言う『連携の力』に、今回は賭けてみよう。そのサンドボックス検証プロジェクト、そして佐々木くんが提案したレガシー刷新プロジェクトの初期計画策定、両方を承認する」


その言葉に、佐々木と愛莉の表情がわずかに緩む。しかし、磯山の言葉は続いた。


「ただし、条件がある。第一に、短期目標だ。黒川のモジュールを使ったアテナの性能向上について、期限は次の中間報告会の1週間前とする。そこで、カオス社のAI『ケイオス・ブレイン』の主要ベンチマークを最低でも15%上回る明確な結果を出すこと。これが達成できなければ、このプロジェクトは即時中止、国プロからの撤退も現実のものとなる」


磯山の声に、再び緊張が走る。


「第二に、中長期目標であるレガシー刷新プロジェクト。佐々木くん、君が責任者となり、芽上くんと共に、この刷新プロジェクトの具体的なロードマップと期待効果、リスク分析を、1ヶ月以内に再度私に報告すること。これも国プロ成功の重要な布石と位置づける」


「そして、プロジェクト体制だが、短期的なAI検証プロジェクトの現場指揮は森田くん。佐々木課長は、開発二課のリソース提供と、中長期的なレガシー刷新プロジェクトの推進を統括する。進捗は、両名から私に週次で直接報告だ。言い訳は一切許さん」


最後に、磯山は野村に向き直った。


「野村くん、君の言う通り、人材は宝だ。今回のプロジェクトに関わる芽上結衣、黒川徹、森田愛莉の功績と能力は、今後の処遇において適切に評価する。そのための具体的な評価基準案も提示するように」


会議室に、決定の重みがのしかかる。




磯山は内心で呟いた。


(これで社長への言い訳と、時間稼ぎはできた。万が一成功すれば俺の手柄、失敗すれば森田と佐々木の責任だ。どちらに転んでも、俺のダメージは最小限に抑えられる。カオス社との裏のパイプも、まだ完全に切る必要はあるまい…)


古井は、愛莉の手腕に感心しつつも、開発二課がこれ以上力を持つことを面白くなく感じていた。


(森田の手腕は見事だが、これで開発二課がこれ以上増長するのは面白くない。何とかクラウド推進部の優位性を保ちつつ、成果だけは確実に頂戴するとしよう…)


野村は、安堵と新たな心労が入り混じった表情で、小さく息をついた。


(何とか最悪の事態は避けられたか。だが、現場のプレッシャーは計り知れない。特にあの規格外の三人…彼らをどう導くか、私の腕の見せ所だ。胃薬がまた減るな…)


佐々木は、顔面蒼白になりながらも、どこか吹っ切れたような表情で、深く頭を下げた。(…やるしかない!芽上くん、黒川、佐藤…そして森田くんの力を借りて、この無茶な要求に応えてみせる!開発二課の、いや、デジタル・ハーモニー社の底力を見せてやる!)」


愛莉は、厳しい条件にも臆することなく、むしろその状況を支配するかのような、絶対的な自信に満ちた不敵な笑みを浮かべていた。


(面白いじゃない…このギリギリの戦い、このプレッシャー。黒川のあの規格外の技術も、芽上結衣の底知れない分析力も、全て私のアテナを最強のAIへと導くための駒。必ず成功させて、この会社の頂点へと駆け上がってみせる…!)



重役会議室の重苦しい空気は、磯山事業部長の一声によって一変した。


それは、絶望の淵から差し込んだ一筋の光明か、それともさらなる混沌への序章か。規格外の新人エンジニア・芽上結衣の「神の采配」により結びつけられた異質な才能たちは、開発現場の熱意と、組織上層部の冷徹な算盤の上で、大きな音を立てて回り始める。


プロジェクト・ネクストX――彼らの戦いは、新たな局面を迎えて動きだした。

お読みいただきありがとうございます!


今回は、現場ではみえにくいデジタル・ハーモニー社の上位層の動きにフィーチャーしてみました。経営戦略の話なので、少し堅苦しかったかもしれません。この後の、4章、5章に向けての展開に繋がる内容ですが、ぶっちゃけ、読み飛ばしても支障はありません!



参考に、デジタル・ハーモニー社の組織構成(抜粋)は以下のようになっています。

・システム開発本部:磯山事業部長(部長兼任)

 - クラウド推進部:古井部長、森田愛莉(主任エンジニア・課長代理)

 - 開発一課:未登場

 - 開発二課:佐々木課長、黒川(主任エンジニア)、佐藤、芽上、田中

・人事部:野村部長


古井部長は、年次などを考慮して「部長」の肩書ですが、実質的には課長相当であり、それにコンプレックスを抱えています。愛莉が「課長代理」として力をつけ始めたこともあり、システム開発本部の部長の座を狙って功を焦っています。


磯山事業部長は、システム開発本部だけではなく多種多様な開発事業を総括する立ち位置です。システム開発本部は部長不在のため、部長兼任でシステム開発本部を指揮しています。


改めて整理してみると、部と課が混在していたり、組織構造もなかなか不調和起こしてますね!

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