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調和の女神はデバッグがお好き  作者: 円地仁愛
第3章:神の理(ことわり)と人の業(ごう)
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38. 女神に捧げる俺のバグ

横浜、ガード下の安居酒屋。


俺は、ぬるくなったビールをちびちびやりながら、隣に座る、芽上結衣との熱い議論の余韻に浸っていた。


いや、正確には、議論そのものよりも、この女が時折見せた、普段の能面みてぇな顔からは想像もつかねぇ、人間くさい表情が頭から離れなかっただけかもしれねぇ。


(…なんだ、芽上のやつ。ずっとウーロン茶ばっかりじゃねぇか。少しは呑めたはず…だよな?そうだな、たまには先輩らしく、美味い酒でもご馳走してやるか)


俺は、少しだけ気分が良くなっていた。そして、このわけのわからん新人と、もう少しだけ話していたい、なんて思っちまったのが運の尽きだった。


隣でウーロン茶をすする彼女に、俺はやや得意げに声をかける。


「おい、芽上。お前、そればっかじゃ味気ねぇだろ。ここの熱燗、結構イケるんだぜ。一杯どうだ? 俺のおごりだ!」


芽上は、小さく首を傾げたが、特に嫌な顔もせず「では、お言葉に甘えて」と頷いた。


熱燗が運ばれてくる。徳利と御猪口が二つ。


俺は徳利を手に取り、芽上の御猪口にトクトクと注いでやった。彼女は「ありがとうございます、黒川さん」と、いつもの抑揚のない声で礼を言う。「まぁ、ゆっくり味わえよ」と声を掛けた、その瞬間だった。


芽上が、俺が注いだばかりの熱燗を、くいっと一息に飲み干した。そして、こともなげに、真顔でこう(のたま)う。


「…なるほど。米と水、そして麹菌によるアルコール発酵。複雑な有機化合物の集合体でありながら、この喉を焼くような熱さと、後に残る芳醇な香り。私の味覚センサーに新たなデータパターンを記録しました。黒川さん、もう一杯いただけますか?」


俺の思考は、完全にフリーズした。


(……… 一気!? まさか!?……か、空になってやがる!!マジか!!)


脳裏に、歓迎会で佐藤が引きつった顔で大量の空ジョッキを運んでいた光景が、走馬灯のように蘇った。あれは…まさか、全部コイツだったのか!?


やべぇ、背中に嫌な汗がはしってきた。


「お、おい、芽上っ! てめぇ、何やってんだ!熱燗だぞ!?ビールじゃねぇんだ!そんな飲み方する女がどこにいる!? 身体壊したらどうすんだ!」


俺は、本気で狼狽し、慌てて彼女の御猪口を取り上げようとした。声は見事に上ずり、顔面も多分、蒼白になっているはずだ。隣のテーブルのサラリーマン二人組が、何事かとこっちをチラ見している気配がする。


だが、当の本人は、俺の剣幕にもどこ吹く風。スイっと俺の腕を交わすと少しだけ頬を上気させながらも、澄ました顔でこう切り返してきた。


「黒川さん、ご懸念には及びません。私の生体アルゴリズムは、この程度のアルコール負荷には十分な耐性を持つよう最適化されています。肝機能のアセトアルデヒド脱水素酵素の活性値も、標準的な日本人モデルと比較して有意に高いことが予測され…」


「そんなもんはどうでもいいんだよ!いいからもう飲むな!倒れられてみろ、俺の責任問題だぞ、これ!」


俺は、彼女の訳の分からん反論を遮り、半ば強引に彼女の腕を掴んで御猪口を奪い取ると、ほとんど悲鳴に近い声で店員を呼んだ。店の若い兄ちゃんが、目を丸くしてこっちを見ている。


「水!水くれ、大至急!」


(くそっ、なんで俺がこんな小娘の酒の心配で、こんなに肝を冷やさなきゃなんねぇんだ!あの歓迎会の時、佐藤が真っ青になってたのはコレだったのか…!こいつ、自分の限界ってやつを理解してねぇんじゃねぇか?ここで俺が止めねぇと、本当にぶっ倒れるかもしれん!)


俺の中で、エンジニアとしてのリスク管理能力と、年長者としての世話焼き根性が、けたたましく警報を鳴らしていた。


「いいか、芽上!酒ってのはな、味わって飲むもんなんだ!特に日本酒はな!お前みたいな飲み方は、酒にも米にも失礼だ!だいたい、女がそんな…!」


俺の説教は、もはやヒートアップする一方だった。



すると、だ。


それまで俺の剣幕をどこか面白そうに観察していた芽上が、ふと真顔になり、こう切り出した。


「…黒川さん。あなたの行動アルゴリズムについてですが、いくつかの興味深い、しかし非効率なパターンが観測されています」


「はぁ!?」


急に圧を増した彼女の声色と言葉に、今度は俺が黙る番だった。


「まず、20XX年5月XX日。入社歓迎会での、私という新規参入者に対する過剰なまでの排他性と、レガシーシステムへの固執からくる論理的ではない反論。あれは、チーム全体の調和を著しく乱す可能性がありました」


「なっ…!?」


「次に、同年6月XX日、『タレ壷会議』。あなたは主担当でありながら、初期段階において極めて低いエンゲージメントと、非協力的な態度を示しました。あの時のあなたのCPUアイドル時間は、プロジェクト全体の遅延リスクを高めるものでした」


「お、おい、それは…!」


「さらに看過できないのは、同年7月XX日から複数回にわたり観測された、私のワークステーションに対する、複数の非公認な『設定変更』の試みです。あれらの行為は、業務妨害及びセキュリティ規定違反に該当する可能性があり、あなたのエンジニアとしての倫理観を疑わせるものでした。動機についても、合理的な説明がつきません」


「うぐっ…!」


俺の過去のやらかしを、日付や具体的な状況まで挙げて、淡々と、しかし的確に、そして容赦なく列挙していく。酔いも手伝ってか、いつもより遠慮がない。


(こ、こいつ、人の黒歴史を…!見逃してくれてたんじゃなかったのかよ!?今ごろ、蒸し返しやがって…!こりゃ、絡み酒…いや、『分析』酒か!?始末におえねぇ!!)


青くなるわ、赤くなるわ、冷や汗が滝のように流れるわで、感情の処理が追いつかねぇ。周りの客の「なんだなんだ?」みてぇな視線も気になり始めて、穴があったら入りたい。いや、今すぐこの地球からデリートされたい気分だった。


「…ああーもう分かった!悪かったよ、俺が悪かった!全部、俺がガキで、ひねくれてて、…お前に、ムカついてたからだ!反省してる!もう二度としねぇから、それでいいだろ!?」


俺が半泣き状態で、ほとんど白旗を揚げかけた、その時だった。



芽上の雰囲気が、ふっと変わった。さっきまでの追及の鋭さが消え、どこか静かで、真剣な眼差しで俺を見つめてくる。


「…ええ、あなたのそれらの行動には、確かに多くの『バグ』が含まれていました。しかし、黒川さん」


彼女は、熱燗の杯を静かに置き、真っ直ぐに俺の目を見た。


―― 分析好きな開発二課の『女神』サマ。その瞳は、いつだって冷静沈着、いや、むしろ感情ってもんが欠落してるんじゃないかと疑うほど無機質な光を宿している。


なのに、今はどうだ。熱燗のせいか、それとも俺の気のせいか、どこか潤んで、ゆらゆらと頼りなく揺れている。普段の鉄面皮が剥がれ落ちたような、無防備さだ。


俺は、その予想外のギャップに、思わず息を呑み、完全に面食らっていた。


「あなたの、あの歓迎会での強い反発。その後の、私への継続的な…ある種の『抵抗』とも取れる行動の数々。私は、それを非論理的で不合理な人間の『不調和』そのものであると考えていました。ですが、あなたの反発の、その根源にあったもの…。私は、それを今…真に正しく、理解しています」


芽上の口から、ゆっくりと、ひとつひとつ噛み締めるように言葉が紡がれていく。聞きなれた平板なトーンとは少し違う、神妙な響き。それが、酒で温まった俺の頭を冷やしていった。


(…………反発の……根源。……俺の…?)


心臓が大きく脈打った。深い青色が、ゆらゆらと揺れながら、真っ直ぐに俺を射抜いている。


このKYな女神サマが、俺のデリケートな内面など理解できるはずがない。そう思うのに、彼女の潤んだ瞳から目が逸らすことができず、小さな期待に胸をざわめかせながら、彼女の言葉を待った。


「あなたの行動における一貫したパターン…それは対象への強いコミットメントであり、人間が『愛着』と定義する情動でした。私の無遠慮な言葉は、確実に、あなたの『愛着』と『誇り』を傷つけました。」


「それは、論理的には正しくとも、あまりにも配慮がなく、一方的で、敬意を欠いた言葉でした。私は、あなたの技術者としての尊厳を著しく害し…その結果として、あなたというシステムに様々な『不調和』を引き起こしてしまった。」


「それは、私の論理の『バグ』です 。最初のトリガーは、私自身にあったのです。……黒川さん、本当に…申し訳ありませんでした。」


芽上は、聞き間違えようのない程、はっきりとそう言うと、深々と頭を下げた。



俺の、胸の奥から、熱い何かがこみ上げてくる。

それは、怒りでも悔しさでもない。もっとずっと温かくて、そして、どうしようもなく切ない何かだった。


(……っ…)


急激に視界が滲み始めて、慌てて顔を伏せた。目についたおしぼりを掴むと、そのまま乱暴に目元を拭いとる。


(……………見られて、ねぇよな…?…クソッ、情けねぇ…!)


芽上が顔を上げる気配を感じて、「バカやろう!変な汗かいだだろーが!」と、声にならない声で必死に強がる。すると、彼女は不思議そうな声で、小さく呟いた。


「黒川さんの涙腺制御モジュールに異常を確認。アルコール摂取による急激な大脳新皮質の機能低下の症状、数あるパターンの内の『泣き上戸』に分類されると推察されます。興味深いです」



……ああ、やっぱりこいつはどこまでもKYな女神サマだ。

俺のこのグチャグチャな感情なんて、面白いバグ程度にしか思ってねぇんだろう。


…でも、なんでだか。


今日は、その目が…やけに……やけに、綺麗に見えちまって。

それは、俺が酔ってるせいなのか、それとも……。



(…ちくしょう。なんかまた顔が熱くなってきた…)


俺は、おしぼりを軽く広げると、顔に強く押し当てた。

そのまま、視線だけを動かして、チラリと芽上の様子を伺う。


彼女は、分析的な色を瞳に宿し、残っていた熱燗の徳利をしげしげと観察している。かと思うと、(おもむろ)に手を伸ばし、自分の御猪口になみなみと注ぎ、そして、それをまたしてもくいっと飲み干した!


(って、おいおいおい!!このバカ!俺の説教を聞いてなかったのか!?いい加減にしろ!!)


さっきまでの感傷が一気に吹き飛び、俺の肝臓と理性が再び悲鳴を上げる。


「おい!いい加減にしろ!お前、自分がどれだけ飲んでるか分かってんのか!?潰れたらどうする!女なんだから、自分で危機管理をだな‥‥!」


俺は、自分のグラスに残っていた水を飲み干すと、半ばヤケクソ気味に、しかしどこか楽しんでいる自分もいることに気づきながら、再び彼女の世話を焼き始めた。


芽上は、俺の必死の形相に対し、


「黒川さんの感情パラメータが、再び警告レベルに急上昇。これは…私のアルコール摂取行動に対する、極めて強い保護的介入アルゴリズムの発動と推測されます。彼のこの『世話焼き』という名のバグは、私の『恋バグ宇宙創生論』において、非常に重要な『他者への献身的エネルギー放出』の事例となるかもしれません。興味深い…非常に興味深いです…!」


などと早口でわけの分からないことを呟きながら、キラキラした目で俺を見つめていやがる。その瞳の真直ぐさに、俺は、また一瞬怯んでしまう。


クソッ、どういう酔い方だ!とんだ酒癖の悪さだ、コイツには二度と呑ませねぇ!!




結局、俺は「今日はもうお開きだ!お前は飲みすぎだ!」と宣言し、会計も「女に払わせるわけにはいかねぇだろ!」と見栄を張りつつ、さっさと済ませて店を出た。


少し気まずいような、それでいて先ほどまでとは明らかに異なる、どこか温かいような、そして互いを強く意識したような空気の中で、俺たちは夜の横浜の雑踏へと踏み出した。



++



駅への道を、二人、並んで歩き始める。


このまま解散してしまうのが名残惜しくて、俺は、殊更ゆっくりと歩を進めながら、チラリと芽上の顔を盗み見た。熱燗のせいか、彼女の頬はほんのり赤く、瞳も心なしか潤んでいるように見える。


風が吹くたびにふらりと揺れる彼女に、いつもより少しだけ、人間らしい『か弱さ』のようなものを感じてしまい、俺の保護欲が、否応なしに刺激された。


「…おい、芽上。お前、その足元、大丈夫かよ。あんだけ飲んで…一人でちゃんと帰れんのかよ?」


「はい、黒川さん。ご心配には及びません。私のナビゲーションシステムと平衡感覚モジュールは正常に機能しています。自宅までの最適ルートも既に算出済みです」


なにやら得意気にいう芽上。致命的にKYな彼女に、軽く舌打ちしたい気分と、それすらも可愛いと思ってしまう気持ちが同時に沸き起こる。


「……………そうかよ。でも、夜道は物騒だろ……その……なんだ、 俺が送ってや………いや!別に変な意味じゃねぇぞ!ただ、その、先輩として、後輩の安全を確保するのは当然の責務というか、だな…! 」


言葉の途中で、キョトンとした顔の彼女と視線がかち合い、瞬間、その意味に思い至った俺は必死で言い訳を重ねた。違う!決してやましい意味じゃねぇ!だが、内心とは裏腹に、顔は明後日の方向を向き、声は上ずり、完全に挙動不審だった。


芽上は、そんな俺のしどろもどろな様子を、不思議そうな、しかしどこか興味深そうな表情で見つめている。


「黒川さん。あなたのご配慮には感謝します。ですが、私は大丈夫です。それよりも、あなたこそ、先ほどから千鳥足(ちどりあし)のように見受けられます。ご自宅まで無事に帰還できますか?必要であれば、私があなたのナビゲーションをサポートしましょうか?」


…だから、そうじゃねぇんだよ…!わかれよ!しかも、なんか…そうやって、心底心配したみてぇに真っ直ぐ見られると、こっちの心臓がもたねぇんだよ、ちくしょう!


もう無理だ。こいつといると、自分の何かがおかしくなっちまう。そう悟った俺は、いつかと同じように彼女に背を向けて逃げ出した。


「いらん世話だ!大丈夫ならさっさと帰れ!じゃあな!」


少し離れて、チラリと振り返ると、一人残された芽上が、遠ざかっていく俺の背中を見送りながら、小さく首を傾げていた。



++



俺は、駅には向かわずに、そのまま川沿いの夜道を歩きだす。

散歩というには、ちと遠い。だが、今日はなんだか歩きたい気分だった。




見上げると夜空にぽっかり丸い月。


キレイだな、なんて柄にもないことを思いながら帰路につく。今日は本当に調子が狂いっぱなしだった。泣かされたり、説教したり、肝を冷やしたり…。


忘れたくても、忘れられる気がしない、最高にとんでもない夜。


この先、何十回でも、何百回でも、俺は、この日の出来事を思い出すんだろう。そんな予感がしてならない。




目を閉じれば、脳裏にまざまざと浮かぶ彼女の微笑み。キュウっと強く収縮した心臓が胸を締め付ける。


それが酷く息苦しくて。なのに不思議と心地いい。




もう無理だ。もう、認めざるを得ねぇ。



(…俺は、あのわけのわからん女神サマに、本気で…()れちまったんだな…)



夜風が、火照った顔に心地よかった。









お読みいただき、ありがとうございます!


今回のエピソードでは、黒川の心境に一つの大きな区切りがつきました。

今後の二人の展開を、引き続き見守っていただけますと嬉しいです。


そして、大変ありがたいことに、この度初めて評価をいただきました…!

本当に励みになります、ありがとうございます!

感謝が伝わるよう気持ちを込めて執筆しました、お楽しみいただけていれば幸いです。


引き続き、皆様のブックマークや評価、ご感想など、何でもお待ちしております。

今後とも、「調和の女神はデバッグがお好き」をよろしくお願いいたします!

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