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調和の女神はデバッグがお好き  作者: 円地仁愛
第3章:神の理(ことわり)と人の業(ごう)
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32. 見えない壁と、正しさの代償

重厚なマホガニーのテーブルが中央に鎮座する、政府機関の一室。


壁には『次世代行基プロジェクト:調和(ハーモニー)JAPAN 構想』と大書されたパネルが掲げられているが、その文字とは裏腹に、部屋には張り詰めた空気が満ちていた。

国家のデジタル化の未来を左右すると言われるこの巨大プロジェクトの中間報告会は、デジタル・ハーモニー社(DH社)にとっての正念場だった。


テーブルの向こうには、いかにも大物といった風情の大臣クラスの政治家、そして各分野の技術専門家たちが厳しい表情で並んでいる。

その視線は、プレゼンテーションを終えたばかりのDH社チーム ―― 磯山事業部長、野村部長、そして現場代表の佐々木課長、森田愛莉、芽上結衣、書記の佐藤健太―― へと注がれていた。


数分前に行われた競合、カオス・ダイナミクス社(カオス社)のプレゼンテーションは、鮮烈だった。


自社開発の万能AI『ケイオス・ブレイン』を前面に押し出し、『国民幸福度のリアルタイム最大化』『AIによる既存システムの完全自動吸収』という、まるで魔法のような未来像を提示したのだ。

技術的な詳細にはほとんど触れず、『イメージ戦略のみ』で押し切るその手法に、会場の一部からは期待とも感嘆ともつかない声が漏れていた。


それに対し、DH社のプレゼンは堅実だった。説明に立った愛莉は、『ネクストX・連携デモ』と『その段階的アプローチ』、『人間中心の設計思想』、そして『AI倫理への配慮』を、持ち前の明晰さと華やかさでアピールする。


しかし、質疑応答に移ると、DH社は、途端に劣勢に追い込まれた。


「DH社の堅実な姿勢は理解できますが、これでは政府が目標とする『誰一人取り残さない究極の個別最適化』には程遠い。AIの活用も支援に留まるのでは、効率化のインパクトが弱いと言わざるを得ませんな」


政府側の技術専門家の一人が、穏やかな口調ながら、核心を突いてくる。

愛莉は冷静に反論を試みた。


「ご指摘ありがとうございます。しかし、AIの判断プロセスにおける透明性と倫理性を確保することは、公共インフラとして最も重要な要件だと考えます。カオス・ダイナミクス社様の『ケイオス・ブレイン』はブラックボックス性が高く、そのリスクは…」


「倫理も結構ですがね。まずは要求仕様を満たせるか、ですよ」


愛莉の反論を遮り、政府側の技術専門家(専門家Aとする)が懸念を口にする。


「貴社提案の核は『レガシーシステムとの連携』ですが…時代遅れのシステムと、どのようにしてリアルタイムで安定したデータ同期を実現しますか?カオス社は、万能AIで全て解決すると言っていますが?」


「レガシー連携に関しましては、最新のマイクロサービス・アーキテクチャとのAPI接合による…」


「そのAPIの具体的な性能は?データ同期の遅延やエラー率は? 私の知る限りでは、貴社にはその規模での実績はないはずですが…信頼に値する数値ですかな?」


専門家Aは、まるで事前に準備していたかのように、執拗にDH社を追い詰める。カオス社のPMが、専門家Aと微かに視線を交わし、口元に得意げな笑みを浮かべたのを、野村は見逃さなかった。


(…あの二人、繋がっているな。噂は耳にしていたが…これは真っ当な議論ではない)


野村は内心で確信し、眉間の皺を深くした。


(おかしい…この人、明らかにカオス社寄りだわ……!…まさか…!)


愛莉も、この不自然な空気と執拗な攻撃に、言葉を失う。


佐藤は、議事録を取る手も止まり、状況を見守るしかない。佐々木の額には脂汗が浮かび、磯山事業部長のイライラも最高潮に達しているようだった。


そして、デモ機材の撤収をしながら、別室で会議の音声を聞いていた黒川は、苛立ち紛れに拳をテーブルに叩きつけた。


(……クソが!カオス社のAIなんて、どうせハリボテだろうが!ふざけんな!)


DH社の敗北を決定づけるような、重苦しい沈黙が落ちる。


専門家Aが満足げに頷き、「現時点では、カオス社の提案に分があると言わざるを得ませんな」と結論付けようとした、まさにその瞬間だった。


―― すっ、と静かに手が挙がった。芽上結衣だ。


「よろしいでしょうか。いくつか、基礎的な確認をさせて頂きたく存じます」


その場違いなほど穏やかな声に、全員の視線が一斉に彼女へと注がれた。佐々木と愛莉は、内心で同時に悲鳴を上げる。


(で、出たーーー!頼むから空気を壊さ…!いや、もう壊れてるが!)

(最悪のタイミング!何を言う気なの!?お願いだから黙ってて!)


彼らの願いも虚しく、議長役の政府高官は、「…どうぞ」と怪訝な表情で促した。


「カオス・ダイナミクス社様にお伺いします。AIによる自動連携アダプタ、大変興味深い技術です。いくつか、基礎的な質問をさせてください」


結衣は、プレゼンを担当したカオス・ダイナミクス社のPMをひたと見つめた。


「既存の官庁システムには、EBCDICコードで記録された数十年前のデータも大量に存在します。これをリアルタイムでUnicodeベースのJSONに変換する際、文字コード変換に伴うデータ欠損、特に外字や機種依存文字の処理はどのように保証されるのでしょうか? また、非同期バッチ処理の結果をリアルタイム連携に組み込む際の遅延許容範囲と、その際のデータ整合性担保の具体的なアルゴリズムをご説明いただけますか? 私の基礎シミュレーションでは、要求される精度でのリアルタイム変換は、現行技術では論理的に困難かと推察いたします。ご提案のAI『ケイオス・ブレイン』についてですが、学習データのバイアス除去とアルゴリズムの透明性に関する第三者機関による監査レポートは公開されていますでしょうか? こちらの資料に記載されているOSSには、特定の条件下で発生しうる脆弱性が報告されていいますが、その対策は?」


矢継ぎ早に繰り出される、具体的で、専門的で、回避不能な質問。先ほどまで余裕の笑みを浮かべていたPMの顔が、みるみるうちに引きつっていく。


「それは…独自のアルゴリズムと最新のディープラーニングにより解決可能です。…企業秘密に関わる部分もございますので、詳細は……しかし…万全です」


歯切れの悪く、苦しい回答だ。会場の空気が、ざわめき始める。


「次に、本プロジェクトの要求仕様について、基本的な確認をさせてください」


結衣は、政府関係者に向き直ると、再び、穏やかだが有無を言わせぬ口調で疑問を口にする。


「この『 リアルタイムでの全住民の幸福度最大化 』ですが、まず、『幸福度』を計測可能なKPIとして定義する必要がございます。心理学的な指標を用いるとしても、それを全住民からリアルタイム、かつプライバシーを侵害せずに収集する方法論が確立されておりません。仮に収集できたとして、価値観の異なる個人の『幸福』を単一のアルゴリズムで『最大化』することは、倫理的に許容されるのでしょうか? また、要求仕様にある『個人情報保護法の遵守』と、幸福度最大化に必要な広範なデータ収集・利用は二律背反であり、それを解決するアルゴリズムは存在しません。もしこの要求仕様を実現するならば、それは個人の自由意志や多様性を否定する管理社会、すなわちディストピアの実現に繋がりかねない危険性をも孕みますが、この点について、政府としての明確な指針と倫理的コンセンサスは、お持ちでしょうか? 仮にこれらの問題を解決したとしても、全住民に対するリアルタイム最適化計算は、現行の技術では対応できないレベルの計算量を要求します。実現には、時間と空間の構造を書き換えるレベルの、新たな物理法則の発見が不可欠かと存じます」


―――シィン…。


会議室は、水を打ったような静寂に包まれた。

それは、この場にいる誰もが『暗黙の了解』として『触れない』ことを選んだ、プロジェクトの前提を覆す疑問だった。


そして、結衣は、場の空気を全く意に介さずに、再び口を開いた。その視線の先にいるのは、専門家Aとカオス社PMだ。


「また、先ほどから観測しておりますと、そちらのお二方の間では、発言のタイミング、視線の移動方向、口角の微細な運動において、統計的に有意なレベルでの同期が検出されております。これは、両者が極めて高いレベルでの相互理解に達しているか、あるいは事前に何らかの綿密なコミュニケーション、例えば特定の結論への合意形成プロセスが存在した可能性を示唆しております。本日の評価・議論の公正性に対して、何らかの影響を与える可能性は考慮されていらっしゃいますでしょうか?」


―― 爆弾が、投下された。


会議室の空気は、静寂から一転、凍り付いた。

専門家Aとカオス社PMは、顔面蒼白を通り越して土気色になっている。他の政府関係者やDH社上層部も、結衣の指摘の意味――『癒着の可能性』に気づき、息をのんだ。


そして、結衣が次なる疑問を口にしようと、わずかに身を乗り出した、その時 ――。


「…本日は、これにて一旦、散会とさせていただく!」


議長役の政府高官が、顔面蒼白のまま、震える声でそう宣言した。


―― 結衣の論理爆弾は、その場の全てを吹き飛ばした。


カオス社の提案は、その信頼性もろとも木っ端微塵に。

政府が掲げた大仰な要求仕様は、前提から見直しという事態に。

そして何より、このプロジェクトの公正さそのものに、誰もが疑念の目を向け始めていた。



それは、まさに前代未聞のスキャンダルだった。

DH社にとっては、決して手放しで喜べる状況ではない。しかし、少なくとも、カオス・ダイナミクス社にあっさりと内定が決まるという、最悪のシナリオだけは、ひとまず回避されたのだった。


++


散会後、対応や後始末に追われる管理職と愛莉を残して、結衣と佐藤、黒川の三人は、一足先にオフィスへと戻ることとなった。


エントランスへと向かうエレベーターの中は、先ほどの会議の衝撃を反映したかのように、重い沈黙に支配されていた。 黒川は壁にもたれて目を閉じ、佐藤はやり場のないため息を必死にこらえている。


そんな中、結衣の思考だけは、既に次のフェーズへと向かっていた。会議で露呈したレガシーシステムの脆弱性……それを、どう解決すべきか。


彼女の神力をもってすれば、一瞬で『調和』させることも可能だ。しかし、それは人間が築き上げてきた歴史の、無慈悲な否定に他ならない。


(ならば、取るべき道は一つ。人の手による『抜本的刷新』です…!)


(この計画の鍵は、黒川さんのスキルと経験知。彼の力は絶対に不可欠です。それに、彼にとっても、その卓越したスキルを未来のために活かせる、素晴らしい機会。…きっと、喜んでくれるに違いありません! )


純粋な善意と、彼女特有の合理的な確信。それを胸に、結衣は沈黙を破った。


「黒川さん!」


唐突な呼びかけに、黒川と佐藤がびくりと肩を震わせる。結衣は、そんな二人の反応など意にも介さず、どこか期待に輝く瞳で続けた。


「先ほどの会議、大変でしたね!しかし、私は素晴らしい解決策を導き出しました!やはり、レガシーシステムは将来的なリスクを考慮すると刷新すべきです。ただし、それは私たち人間の手で、時間をかけて行うべきなのです!そして、その計画には、あなたの右に出る者はいないその卓越したスキルと経験が絶対に不可欠です!あなたにとっても、その力を未来のシステム構築に活かせる絶好の機会となるはず!開発二課に戻ったら早速、刷新計画の第一回打ち合わせをしましょう!」


悪意など、そこには欠片もなかった。ただ、純粋な問題解決への意欲と、黒川への信頼が込められた提案だった。


だが、その言葉は、今の黒川にとって、あまりにも残酷な響きを持っていた。

会議での専門家たちの厳しい指摘は、まるで自分たちが守ってきたものが『時代遅れの負の遺産』だと烙印を押されたかのようだった。

打ちのめされていたところに、追い打ちをかけるような「刷新」の提案。そして、自分の気持ちなどお構いなしに、嬉々としてそれを語る目の前の女。


黒川の顔から、表情が抜け落ちていく。怒りではない。

そこにあるのは、もっと深い失望と…自分の存在価値そのものを否定されたかのような、冷たい絶望だった。


彼は、何も言い返さなかった。ただ、力が抜けたように俯くと、「……好きに、しろよ」と、か細く、力なく呟いた。


チン、とエレベーターが目的階に到着する。


扉が開くと同時に、黒川は逃げるように、よろめくような足取りでフロアへと消えていった。その背中は、ひどく小さく、打ちひしがれているように見えた。


残されたのは、結衣と、そして目の前で起きた一部始終に心を痛めていた佐藤だけだった。


「…?黒川さん、どうかしたんでしょうか?打ち合わせの件は、了承いただけたようですが…。とても素晴らしい機会なのですから、もっと喜んでくれるかと思ったのですが」


本気で首を傾げる結衣の、その致命的なまでの純粋さを前にして、佐藤はついに意を決した。


「……芽上さん」


その声は、普段の彼からは想像できないほど、真剣で、少しだけ非難するような響きを帯びていた。


「今の言い方は…ちょっと、まずかったと思います。黒川さん、喜んでなんかいませんでしたよ。むしろ…すごく傷ついていたように見えました」


「傷ついた?なぜです?私は、彼の能力を高く評価し、重要な役割をお願いしたのですが」


目をぱちくりとさせる結衣に、佐藤は深く息を吸い込み、言葉を続けた。


「あのシステムは、黒川さんにとっては、ただの古いプログラムじゃないんです。彼が入社してからずっと、ボロボロになりながらも、ほとんど一人で守ってきた…大切な、『愛着』のあるものなんです」


佐藤は、『愛着』という言葉に、力を込めて言った。


「スキルを活かせるとか、新しいものが合理的だとか、そういう話だけじゃないんです、人間の気持ちっていうのは…。たとえ正論でも、それが相手にとってどんな意味を持つのか、言い方やタイミングを考えないと、人を深く傷つけてしまうこともあるんです」


「…芽上さんの提案は、黒川さんにとっては『お前が守ってきたものは、もう要らない』って言われたように聞こえたのかもしれません」


「愛着……?」

結衣は、初めて聞く概念のように、その言葉を反芻した。


非合理的な感情。論理的には理解不能な心の動き。

――― しかし、黒川のあの深い失望の表情と、佐藤の真剣な訴え。


それらの情報が、解析不能なノイズとなり、彼女の思考に過負荷をかける。微細な電流漏れのように、持続的でチクチクとした痛み。


それは、彼女の完璧だったはずの論理体系に、初めて『心』という名の、予測不能な不調和バグが混入した瞬間だったのかもしれない。



良かれと思って『正論』を語り、ふと気づけば相手を追い詰めていた。

エンジニアあるある。悪気はない、悪気はないんです…。



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