03. 採用!女神式『即戦力』アピール
長く、重苦しい沈黙が、面接室を支配する。
野村は額の汗を拭い続け、佐藤は手元の面接シートを見つめ続けている。彼らには、目の前の女性が何を言っているのか、全く理解できていなかった。
ただ、彼女が尋常ならざぬ存在であることだけは、肌で感じ取っていた。それは、論理では説明できない、本能的な『危険』と『畏怖』に対するセンサーが警鐘を鳴らしているような感覚だった。
二人の感情の揺らぎを静かに観察していた結衣は、このまま、言葉だけで自身の能力を示すのは難しいと判断した。人間の評価基準には、客観的な成果が必要な場合がある。
「…失礼ですが、御社が提供されているArkというサービスについて、一点、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか。」
結衣は、唐突にそう切り出した。面接官二人は、予想外の言葉に再び困惑しつつも、結衣の尋常ではない雰囲気に押されて頷いた。
「どうぞ……」野村が促す。
「Arkサービスは、そのユーザーインターフェースの合理性が、非常に秀逸だと認識しています。しかし、現在のシステム構造には、特定の条件下で深刻なパフォーマンス低下を引き起こす不調和が潜んでいます。まもなく、その兆候が顕在化するでしょう」
淡々とした口調で、結衣は見解を述べた。彼女の視線は、まるでシステム内部のデータフローやコード構造を透かし見ているかのようだった。
「パフォーマンス低下? 先日、Webで周知した一部のAPIで発生していた遅延の件ですか?…確かに、ユーザ影響があったのは事実ですが…あれはもう対策済みで、今は落ち着いているはずですよ?」
佐藤が首を傾げる。
「それは、表面的な症状が一時的に収まっているだけに過ぎません。根本原因は、API…フロントエンドとバックエンドの結合部ではなく、より根本的な、システム基幹処理内部のオーダーコアモジュールにおける、非同期トランザクションプロセス間の同期ロジックの欠陥です」
野村の眉がピクリと動いた。その名称は、今まさに、開発部で問題になっている原因不明のシステムトラブル、その調査対象としてあがっている機能のうちの一つと完全に一致していた。
「このバグは、単なるコーディングミスではなく、設計段階における、将来的なデータ増加予測の不調和に起因しています。現在の稼働状況では表面化していませんが、近い将来、ユーザーデータの大規模な損失、あるいはシステム機能の全停止を引き起こす可能性が、極めて高いと試算されます。これを未然に防ぐには、まず…」
結衣は、具体的なモジュール名、難解なロジック、さらには数年前に決定されたはずの初期設計思想の矛盾点までを、まるで昨日の出来事のように、一切の感情を排した声で指摘していった。
野村と佐藤は顔を見合わせた。結衣が語った根本原因と対処法。それは、彼らが想定している問題と、全く噛み合わない。まるで2つの違うパズルのピースのようだ。しかし、結衣の淀みない説明と、一点の曇りもない瞳には、疑う余地がないほどの確信が宿っていた。
「あの……佐藤くん、すぐに開発二課の佐々木くんに連絡を取ってくれ。Arkのオーダーコアモジュールの同期ロジックを確認してほしいと。」
野村は、半信半疑ながらも、佐藤に指示を出した。佐藤は慌てて内線電話を手に取り、開発フロアにいるであろう佐々木に状況を伝えた。電話口から漏れ聞こえる佐々木の声には、最初こそ、不信と苛立ちの色が滲んでいたが、佐藤が結衣から聞いた具体的な問題箇所を伝えると、驚きと焦燥に塗り変わっていくのが電話越しにも伝わってきた。
電話を切った佐藤の顔は青ざめている。
「野村部長……佐々木課長が、『なんでわかった』『何か知っているのか』『今すぐ戻れ!』って半ギレ……いえ、課長が言うには、確かに今、その辺りの改修で、想定外の挙動が出て、現場が大変なことになっているらしいです。他の部署でも似たような報告が上がり始めてるって……まさか、本当に……」
長い沈黙が、再び面接室を支配した。
野村も佐藤も、目の前の女性が、たった今、机上の空論ではなく、現実の稼働システムに潜む、誰も気づいていない、あるいは気づいていても原因不明だった問題を、言い当てたのだという事実を処理しきれていなかった。もはや、彼女が何を言ったのか、ではなく、彼女が「なぜ」それを知っているのか、という未知への戦慄だった。
微動だにしない結衣と、衝撃に固まる面接官二人。時間がゆっくりと流れていく。
そして、長い長い沈黙の後、野村は意を決したように告げた。
「………分かりました。正直、我々には理解が追いつかない部分も多々ありますが……芽上さんの、その、尋常ではない能力には、我々が今抱えている課題を解決する糸口があるのかもしれない。」
重々しく息を吐ききると、野村は勢いよく立ち上がった。そして、結衣に向かって、真っすぐに手を差し出す。その目には、困惑と、そして可能性への賭けのような色が浮かんでいた。
「……『採用』! です!!」「承知いたしました」
結衣は立ち上がり、差し出された手を取った。人間の温度と感触、信号を、新たな情報としてインプットすると、「貴社の一員として、世界の調和に貢献できるよう尽力します。」真顔でそう答え、面接会場を後にした。彼女の足取りは、まるで次のタスクへと迷いなく向かうかのように、淀みがなかった。
面接官二人が残された部屋に、再び沈黙が落ちる。それは、先ほどまでとは異なり、張り詰めた緊張から解放された安堵に包まれたものだった。
やがて、佐藤がポツリと呟いた。
「野村部長、あの人、何者なんですか? まるで……AIか、神様みたいな……」「さあな……何だったんだ、あれは、一体……。」
野村は額の汗を再び拭いながら、遠い目をして呟いた。三十年近く人事畑を歩んできたが、あんな候補者は文字通り初めてだった。これまでの経験則が、まるで役に立たない。
「AIか、神か、か……。名前は……芽上、めがみ、か……」
もはや独り言のように、野村は呟き続ける。
― 『芽上結衣』。
『異常』にして『規格外』、そして『最強の切札』になり得るかもしれない、理解不能な存在。この日、彼女は、解析不能なままデジタル・ハーモニー社というシステムに組み込まれた ―― いや、野村自身が組み込んでしまった、制御不能の最重要モジュールとなった。