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27. 幕間:限界突破への基本練習(ドリル)

深夜の開発二課。佐々木は、冷え切ったコーヒーを啜りながら、ここ数日の嵐を反芻していた。


(……どうすべきだったんだ…? もっと、やりようがあったんじゃないか…?)


会社の、いや、日本の未来がかかった巨大プロジェクト。その重圧。そして、森田愛莉の見事すぎる立ち回り。社長と磯山事業部長の前で、俺は完全に先手を打たれた。リーダー失格だ。部下の信頼を裏切り、チームはバラバラだ…。


重い自責の念が、鉛のように肩にのしかかる。その重さに耐えかね、デスクに突っ伏しそうになった、まさにその時だった。


プルルルル……


唐突に、デスクの内線電話が鳴った。 表示は「人事部 野村部長」。佐々木の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねる。


(まさか、もう俺の失態が、部長の耳に…!?)


震える手で、受話器を取る。


「…は、はい! 開発二課、佐々木ですが!」声が少し裏返ってしまった。情けない。


『…野村だ。夜分にすまないね。まだ会社かね?』電話の向こうから聞こえてきたのは、いつもと変わらない、野村の落ち着いた、それでいてどこか全てを見通しているような声だった。


「は、はい! まだ、その、少し残務整理と言いますか、考え事が…」しどろもどろになる佐々木に、野村は静かに、そして少しだけ優しい声色で続けた。


『さっき、佐藤くんから話を聞いてね。国プロの件もそうだが、開発二課も色々と大変なことになっているようだ。…少し、君の声が聞きたくなってな』


(佐藤…!)


やはり、報告がいっていたか。国プロの件だけでなく、チーム内の混乱も…。佐々木は唇をきゅっと噛んだ。

そして、野村の「声が聞きたくなってな」という、普段の彼からは想像もつかないような、温かい言葉に、張り詰めていたものがプツリと切れた。


「部長ぉぉぉ! なんなんですか、あれは一体! 国プロですって!? 経営会議で社長命令ですって!? 来週までにデモですって!?!? しかも、森田くんと芽上くんが中心だなんて!森田くんは…彼女は確かに優秀ですが、やり方が少々強引すぎるところがある! 上層部の方々は何もご存じないんですよ!でも俺にはもう止めることもできなくて! そのせいでチームはまた混乱してますし! 黒川は拗ねるし、芽上くんに反発するし、 芽上くんは芽上くんで、勝手に社員の感情データ収集とか始めて、注意したら今度は『同意書にサイン』とか言ってまた黒川を怒らせるし!もう訳が分かりません! 佐藤は完全に信頼を失くした目で私を見てますし! 俺は…、俺は、もうどうしたらいいか、本当に、わかんないですよぉぉぉ!!!」


歳も立場も忘れ、彼は受話器を握りしめ、声を詰まらせながら、混乱した思いをそのままぶちまけた。管理職としての威厳など、今はとうてい考えられなかった。


電話の向こうで、野村は黙って佐々木の言葉に耳を傾けていた。彼の嗚咽が少し収まるのを待って、静かに、しかしどこか懐かしむような、穏やかな声で言った。


『…まあ、落ち着きたまえ、佐々木くん。大変な状況なのは、痛いほど伝わってきたよ。君の行動も、その指導も、管理職として間違ってはいない。…だが、その狼狽ぶりは、まるで昔の君を見ているようで、少し懐かしくもあるな』


「へ…? む、昔の俺、ですか…?」

涙でかすむ目で、佐々木は問い返した。


『ああ。君がまだ若手の、そう、初めてリーダーを任された、あの「フロンティア計画」の時だ。覚えてるかね?』


フロンティア計画――佐々木にとって、それは苦くも忘れられない記憶だった。

新しい技術、経験のないメンバー、そして過大な目標。彼はプレッシャーに押し潰され、空回りし、チームを崩壊寸前にまで追い込んだ。そのプロジェクトだ。


『あの時も、君は毎晩オフィスに泊まり込んで、半泣きで私のところに相談に来たな。もうダメだ、どうしたらいいか分からないと、ほとんど同じことを言っていた』


野村の声に、責める響きは微塵もなかった。ただ、遠い過去を慈しむような、穏やかさだけがあった。


「あ…あの時は…本当に、ご迷惑をおかけしました…」


佐々木は、当時の未熟で必死だった自分を思い出し、顔を赤らめた。


『いや、いいんだ。誰にだって、そういう時期はある。…だがね、佐々木くん』

野村は続けた。


『あの時、君が最後に頼ったのは、どこかのコンサルタントが書いた、小難しいマネジメント理論の本だったかね?』


「え…?」


『君がボロボロになるまで読み込んでいたのは、もっと別の本だったはずだ。なんと言ったかな…そう、あの、新人の頃に配られた『若手リーダーのための実践プロジェクト管理ドリル』。基本中の基本が書かれた、あの少し古臭い本だよ。あの本には、こういう八方塞がりの時、リーダーが何をすべきか、ちゃんと書いてあったはずじゃないかね?』


『若手リーダーのための実践プロジェクト管理ドリル』――


佐々木の脳裏に、付箋だらけで手垢に汚れた、あの本の表紙が鮮やかに浮かんだ。

限界突破だの、アツい魂だの、小難しいフレームワークだのの前に、もっとシンプルで、もっと大切なことが、そこには書かれていたはずだ。課題の整理、リスクの洗い出し、メンバーとの真摯な対話、目標の再確認と共有…。


『まあ、どんな本を読もうと、結局は現場で、部下と、目の前の現実と、誠実に向き合うしかないんだがね』野村の声が、優しく、しかし力強く響く。


『君のいいところは、その不器用なまでの誠実さと、簡単には諦めないその熱意じゃないか。あのフロンティア計画の時だって、最後は君のそのひたむきな熱意が、周りの人間を動かし、なんとかプロジェクトを立て直したんだろう?』


「…!」

佐々木は、息をのんだ。


そうだ、あの時、自分は諦めなかった。ボロボロになりながらも、メンバー一人ひとりと向き合い、頭を下げ、助けを求め、そして…なんとか、本当にギリギリでやり遂げたのだ。


『管理職になって、色々なものを背負い込み、少しだけ大切なことを見失っていたのかもしれんな。だが、君の本質は何も変わっていないはずだ。もう一度、基本に立ち返ってみることだ。今の君なら、きっと昔とは違うやり方ができるはずだよ』


野村の言葉は、具体的な解決策を示したわけではなかった。だが、それは、混乱し、自信を失いかけていた佐々木の心に、確かな、そして温かい光を灯してくれた。


「…………部長……」


佐々木の目から、再び涙が溢れた。しかし、それは先ほどの絶望の涙とは違う、前を向くための、温かいものだった。


「ありがとうございます…! 本当に、ありがとうございます…! 俺…目が覚めました…! もう一度、基本から…ちゃんと、やってみます!」


『うむ。君ならできると信じているよ。…ただし』

野村部長の声に、わずかに真剣な響きが加わる。


『芽上くんと森田くんは、良くも悪くも規格外だ。君の常識だけでは通用しない相手かもしれん。頭ごなしに押さえつけようとしても反発を招くだけだろう。…そこは、君の経験と…まあ、健闘を祈る、とだけ言っておこう』


「…はい! 肝に銘じます! 基本に立ち返って、誠実に向き合ってみます!」


『あまり根を詰めすぎるなよ。君が倒れたら、元も子もないからな』

「ありがとうございます!」


佐々木は、心からの感謝を込めて礼を言うと、静かに電話を切った。


しばらくの間、受話器を握りしめたまま、野村の言葉の温かさに浸っていた。 そして、ゆっくりと顔を上げる。その目には、もう迷いはない。


「よしっ!」


佐々木は力強く頷くと、引き出しの奥から、色褪せた一冊の本を取り出した。表紙を撫で、懐かしそうにページをめくる。


代わりに、デスクの端に置かれた『限界突破!アツイ組織を作るリーダーの心得』を手に取り、それを、引き出しに仕舞おうとして—――


佐々木は、少しだけ苦く笑うと、2つの本を並べてデスクに置いた。


「まずは、明日の朝、チームともう一度、ちゃんと話をするところからだ!」


その、夜明け前の静かなオフィスに響く声には、力強い決意が満ちていた。



次から3章突入です。

起承転結でいうと、ここまでが起、3章からが承です。

主要メンバーがそろって、本格的にストーリーが動きます!

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