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24. 幕間:守護者の憂鬱と、女神の恋愛講座

「プロジェクト・ネクストX」の新体制が発表されて数日。開発二課には、なんとも言えない重くるしさと、妙に浮わついた空気が混在していた。


そして俺、黒川(とおる)は、その重くるしさの原因の大部分を担っている自信があった。


(チッ……なんだって俺がこんな資料整理なんかしなきゃなんねぇんだよ!)


モニターに映し出されるのは、どう見ても新人レベルの単純作業の指示書。俺は舌打ちしたいのを必死でこらえ、深いため息をついた。


会社の命運を賭けた、超重要プロジェクト『ネクスト・X』。その『栄えある主担当』は、(不本意とはいえ)この俺だったはずだ。


それがどうだ。フタを開けてみりゃ、主導権はクラウド推進部の天使と、ウチの部署の鉄面皮(てつめんぴ)女神に奪われ、俺には雑用しか回ってこねぇ。


「納得いかねぇ……!」


思わず声が漏れた。その勢いのまま、佐々木課長のデスクに向かう。


「課長! 俺の仕事、これだけなんすか!? もっと俺にやれることがあるでしょう!」


しかし、最近めっきりやつれた顔の課長は、疲れたように首を振るだけだった。


「黒川、気持ちは分かる。分かるが……今は社長直々のご意向が第一なんだ。それに、森田さんも芽上くんも、期待以上の働きをしてくれている。君の力が必要な時は、必ず俺から声をかける。だから、今は与えられた業務を頼む」


正論だ。正論だが、全くもって腑に落ちねぇ! 結局、課長も社長の言いなりかよ!


自席に戻り、再びやる気のない作業に取り掛かろうとした、その時だった。ふわり、と甘い香りがした。顔を上げると、そこには天使が立っていた。


「黒川さん……あの、今、少しだけお時間よろしいでしょうか…?」


心配そうに、少し潤んだ瞳でこちらを見つめてくる天使……いや、森田愛莉。周囲に他の社員がいない、完璧なタイミングで現れやがった。だが、それもいつものことだ。

その姿は、数日前の溌溂とした挨拶が嘘のように、儚げで繊細だ。その健気な様子が、俺の庇護欲をピンポイントで突いてくる。


「お、おう、愛莉ちゃん。どうしたんだよ、元気ねぇな?」


俺は一瞬で警戒心を解き(というか、そもそも警戒なんてしていないが)、彼女のために椅子を引いた。


「…実は、その…社長から中心メンバーにって言われちゃったんですけど…私なんかに、そんな大役が務まるわけなくて……」


チョコンと腰掛け、俯きながら、か細い声で話し始める愛莉ちゃん。


「本当は、黒川さんみたいに、このシステムを誰よりも知っていて、経験も実績もある方が、このプロジェクトのリーダーシップを取るべきなのに…。私が前に出ることになっちゃって、本当に申し訳なくて……どうしよう、自信ないんですぅ…」


そう言うと、彼女は白いハンカチを取り出し、そっと目元を押さえた。


……って、全然涙出てねぇじゃねぇか! ツッコむべきか? いや、これはきっと、俺にだけ見せる弱い姿なんだ! そうに違いない!


「な、何言ってんだよ愛莉ちゃん! そんなこと気にする必要ねぇよ! 社長の指名なんだから、堂々としてりゃいいんだ! 大丈夫、愛莉ちゃんなら絶対にできる! 俺が、この俺が! 全力でサポートするから!」


俺の中に眠っていた守護者の魂が、再び熱く燃え上がるのを感じた。そうだ、俺はこの天使を守護(まも)らねば!


「…! 本当ですか…? 黒川さん、そう言ってくださると、すごく心強いです…! ありがとうございますっ! 黒川さんだけが、私のこと分かってくれてる気がします…♡」


愛莉ちゃんは顔を上げ、上目遣いで、天使の微笑みを俺に向けた。

ズキューーーン!!!

我ながら単純だという自覚はある。だが、俺の心臓は、その一撃で完全に撃ち抜かれてしまった。


「おう、任せとけ!」俺は力強く胸を叩き、彼女のサポートを誓った。


(チョロ…。ふふ、これでしばらくは大人しくしてるでしょ。せいぜい、私のために頑張ってね♡)


愛莉ちゃんが内心でそんなことを考えているとは、もちろん俺は知る(よし)もなかった。



++



しかし、だ。


愛莉ちゃんにあれだけ熱くサポートを誓ったにも関わらず、俺に回ってくるのは相変わらず資料整理や簡単なテストばかり。一方の愛莉ちゃんは、プロジェクトの中心人物として、他の男性社員やクラウド推進部の連中と、なにやら楽しげに、そして華やかに連携を進めている。


(愛莉ちゃん、忙しそうだな……。俺が必要な時は、必ず声がかかるはずだ…でも、なんか、俺、完全に蚊帳の外じゃね……?)


自席でそんなモヤモヤを抱えていると、フロアの一角で、愛莉ちゃんが若手の男社員たちに囲まれて談笑しているのが目に入った。チヤホヤされ、嬉しそうに笑っている。


(チッ……なんだアイツら、ヘラヘラしやがって……!)


俺は顔をしかめ、モニターに視線を戻した。見なきゃいいんだ、見なきゃ……。


「黒川さん」不意に隣から声がかかり、俺は椅子から飛び上がりそうになった。


「うおっ!? な、なんだよ芽上! いつの間にそこに!?」


そこには、いつもの無表情な鉄面皮……いや、今日はなんだか様子が違う。

とにかく、"超絶有能と噂のスーパー新人"(ケッ)・芽上結衣が、なぜか身を乗り出すようにして、俺の顔をマジマジと、それこそ穴が開くほど見つめていたのだ。


しかも、その深い青色の瞳が、普段の冷静沈着な光とは違い、何かこう……期待感に満ちてキラキラと輝いているように見える。なんだ、気味悪い。


「あの。業務外の申し出で、大変恐縮なのですが…」


こちらの顔色をうかがいながら、妙に言い出しにくそうに口ごもる。おいおい。あの芽上が、どうしたってんだ。槍でも降んのか。


「あんだよ、言いたいことがあるならハッキリ言えよ。調子狂うだろ、お前がそんなだと」


芽上は、さっきまでの(殊勝そうに見えた)態度はどこへやら、パッと表情を輝かせたかと思うと、機敏な動作で、ガッ!と無遠慮に俺の手を掴み上げた。


「恐縮です。あなたの現在の感情パラメータは、私の研究にとって非常に重要なサンプルとなります。研究データを取らせてください。失礼します」


「はぁ!?」


俺の返事も待たずに、芽上はどこからともなくスマートウォッチによく似た、しかし明らかに俺の知ってるどのメーカーの製品よりも洗練されすぎてる計測器を取り出した。そして、それを、有無を言わさぬ手つきで俺の腕に装着し始めた!


「おい! ちょっと待て! 何すんだお前! 勝手に!」


「ご安心ください。これは私が個人的に改良した非侵襲型(ひしんしゅうがた)の生体センサーです。あなたの脳波の一部、心拍数、皮膚電気反応、ストレスホルモンの分泌レベル、その他約128項目をリアルタイムでモニタリングし、私の解析ユニットへ転送します。ご協力に深く感謝します。これらのパラメータ変動の推移は、私の現在の最重要研究テーマの進捗に不可欠なのです」


テキパキと、しかもどこか楽しそうに説明しながら、芽上は自分のPCに何やら複雑怪奇なグラフや数値を表示させ始めた。


「……心拍数に若干の上昇、血圧も通常時より高く…ふむ、興味深い波形ですね。あなたの感情は、特定の外部刺激、具体的には、森田愛莉さんを中心とする集団の社会的インタラクションの視認に対し、極めて特徴的な反応を示しています。そして、この変動の振れ幅は…」


さっきまでの恥ずかしそうにしていた(気のせいだったかもしれない)姿とのギャップに、俺の顔は引きつった。怒る気も失せて、ただただ呆れるしかない。


「……てめぇ、一体何の真似だよ……」


俺が絞り出すように言うと、芽上はPCの画面から顔を上げ、難しい顔でうーん、と唸った。そして、すっと俺の視界の先、愛莉ちゃんたちがいる方を顎で示した。


「あちらをご覧いただけますか?」


「あ? なんだよ」


いぶかしみながらも、俺は言われた通りにそちらに視線を送る。愛莉ちゃんの楽しそうな笑い声が、やけにクリアに耳に届いた。


(……チッ)

再びこみ上げてくるモヤモヤ。


モニタを食い入るように見つめていた芽上は、さらに難しい顔になる。やがて、残念そうにため息をついた。


「ダメです… せっかく素晴らしい純度の『嫉妬』の波形が出ていたというのに、黒川さんが落ち着いてしまわれたので、貴重なピーク値を記録できませんでした。 非常にもったいないことをしました」


「はぁ!?嫉妬!? 俺は別に…!」


「人間の『恋』という感情アルゴリズムは、実に刹那的で、再現性の低い現象のようですね」俺の反論が耳に入っていないのか、芽上は腕を組み、本格的に考え込み始めた。その横顔は、いつになく真剣だ。


「いやだから、『恋』とかじゃなくてだな…。おい、聞けよ!!」


「この『恋が引き起こす感情』の変動の一時性…。これは対象への関心が薄れたのではなく、むしろ感情のエネルギーがより深層へ潜行し、潜在的な『期待値』として蓄積されるプロセスなのではないでしょうか。そして、ある(しきい)値を超えた時、それは再び顕在化し、より大きな感情の爆発を…」


(…全っ然、聞いてねェ。どこまでマイペースなんだ、この女)


芽上は、俺の抗議などどこ吹く風で、一人で小難しい恋愛講座(?)を続けている。


腕には変な計測器。隣には真顔で「感情エネルギー」だの「閾値」だのを語る鉄面皮。なんだこの状況、シュールすぎる。ていうか、こいつに、いちいちムキになっている自分が、一番、滑稽じゃね?


そう思うと、さっきまでのイライラが馬鹿らしくなってきて、思わず笑いがこみ上げてきた。


「……くっ、くく…」

俺は、堪えきれずに笑い声を漏らした。


それと同時に、キーボードを叩いていた芽上の指が、ぴたりと止まった。彼女はわずかに目を見開くと、注意深くモニタに映る数値の羅列を精査し、それから、探るようにこちらを見つめてくる。


「黒川さん。あなたの生体パラメータが、非常に安定した状態に移行しました。なぜでしょうか。これまでの観測データとは明らかに傾向の異なる推移です。穏やかで『心地いい調和』の波形。これは…私の仮説とは大きな乖離(かいり)があります。これを、『恋による一時的な感情変動』の一種と仮定するなら…」


「なんでって、そりゃお前が……」


俺はようやく笑いを収めて、顔を上げた。彼女と真正面から視線がかち合う。まっすぐな瞳に見つめられ、俺は――――






自分の単純さを、心から呪った。



ピピッー!ピピピピーッ!!




静かなオフィスに、けたたましい電子音が響き渡る。腕に付けられた計測器が、これまでにない激しい反応を示し、赤いランプを点滅させていた。


「これは…! 黒川さん、素晴らしいです! 心拍数の上昇率は、安静時の約1.8倍! そして脳内からはエンドルフィンとオキシトシンの同時分泌が……この急速な変動…!『恋の高揚感』とも異なる、新たな感情パターンであると云えます! このデータは……!」


「るっせぇわ!!!!もう十分だろコラ!!いい加減にしろ!!」俺は、反応を示した計測器を乱暴に引きはがして芽上に付き返し、脱兎のごとくその場から逃げ出した。


もう無理だ! こいつとこれ以上関わったら、俺の何かがおかしくなる!



++



「…ったく、調子狂わせやがって」


ひとまずあの場を離れた俺は、芽上の気配が遠のいたのを確認してから、そっと自席に戻った。まだドキドキしている心臓の音が、やけに大きく聞こえる。あの女、やっぱりわけがわからん。だが……悪い奴じゃ、ないのかもしれない。少なくとも、愛莉ちゃんみたいに裏表がある感じはしない。ただ、ズレてるだけで……。



ピコン。


その時、タイミング良く、愛莉ちゃんからチャットが届いた。


『黒川さん、お疲れ様です♡ 今日、芽上さんと何か難しいお話しされてましたよね? 大丈夫でしたか? 芽上さんって、すごく優秀な方ですけど、時々、周りの気持ちとか全然考えずに正論を言っちゃうというか、ちょっと怖いところがあるって、クラウド推進部の子も心配してて…。黒川さんが、何か嫌な思いをされたりしてないか、私、すごく心配で…』


チャットを読んだ俺の顔が、再び曇る。


(…… 愛莉ちゃんが、心配してくれてる… 俺のこと、気にかけてくれてたんだな… )


(いや…あいつはただ、空気が読めないだけで………悪意は…たぶん、ねぇだろ……。けど、愛莉ちゃんのいう事も、まあ…… )


(…………嫌な、思いね……クソッ… )



開発二課のフロアでは、今日も天使が甘く微笑み、女神は静かに世界を観察している。


そして俺は、その間で、ただただ戸惑うばかりだった。



急に一人称になってしまいすみません。

黒川さん目線、(書いてて)楽しすぎる。クセになりそうです。

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