23. 幕間:天使のストラテジー(戦略)
クラウド推進部の、ガラス張りのモダンな会議室。そこには、『プロジェクト・ネクストX』の連携を巡って、重い空気が漂っていた。
開発二課の課長である佐々木が、クラウド推進部の古井部長、そしてエース格の高橋を前に、神妙な面持ちで何かを切り出そうとしている。その傍らには、どこか落ち着かない様子の森田愛莉の姿もあった。
佐々木が、クラウド推進部の間で、何らか ―― おそらくは、愛莉のプロジェクト関与について ―― 調整を行おうとしていることを、彼女は敏感に察知していた。
(させないわよ、思い通りになんて…!)
愛莉が内心で反撃の策を練り始めた、まさにその時だった。
「失礼します!」
会議室のドアが勢いよく開かれた。現れたのは、社長秘書室のスタッフと、その後ろに続く、この会社の最高権力者――社長その人だった。
さらに、その後ろには、苦虫を噛み潰したような顔の磯山事業部長と、困惑した表情の人事部長・野村も付き従っている。
「しゃ、社長!? い、磯山事業部長まで…!?」
予期せぬトップの登場に、古井部長も高橋も、そして佐々木も、驚きを隠せずに立ち上がる。場の空気は一変し、尋常ではない緊張感が支配した。
「うむ、皆、揃っているようだな。急な話で済まないが、緊急かつ最重要の決定事項を伝えに来た」
社長は、威厳のある声で切り出した。
「かねてより我が社が総力を挙げてアプローチしていた、政府主導の『次世代行基プロジェクト』のコンペに、正式な参加が決定した! これは、我が社の未来にとって、またとないビッグチャンスであり、国家的にも極めて重要なプロジェクトだ!」
その言葉に、会議室にいる全員が息をのむ。噂には聞いていたが、まさかこれほど早く、そして正式に決定するとは。
「そして」と、社長は続けた。
「その第一次審査となるデモンストレーションが、来週末に迫っている! 我が社としては、現在開発中の『プロジェクト・ネクストX』の成果をもって、この審査に臨むことになった。これは、我が社の技術力、特にレガシー刷新とクラウド連携、そしてAI活用の先進性を示す、絶好の機会だ。 失敗は、絶対に許されない! 」
来週末――あまりにも短い準備期間。佐々木の顔から血の気が引いていくのが分かった。
重苦しい沈黙が流れる。誰もが、そのあまりのプレッシャーとスケールの大きさに言葉を失っている。佐々木も、高橋も、古井部長ですら、すぐには言葉が出てこない。
その沈黙を破ったのは、森田愛莉だった。
彼女は、すっと優雅な動作で立ち上がると、社長に向かって完璧な角度でお辞儀をした。
「社長、素晴らしい機会をいただき、誠にありがとうございます」
その声は、鈴を転がすようにクリアで、しかし確かな意志が込められていた。
「僭越ながら、申し上げてもよろしいでしょうか」
「うむ」と、社長が促すと、愛莉は続けた。
その顔には、一点の曇りもない、自信に満ちた天使の笑顔が浮かんでいる。
「このような国家プロジェクトの成功には、卓越した技術力は勿論ですが、我が社が、社会の潮流を捉えた多様な価値観を体現していることをアピールすることも、極めて重要かと存じます」
彼女は、会議室にいる全員、特に社長と磯山事業部長の顔をゆっくりと見渡しながら言った。
「幸いにも、現在進行中の『プロジェクト・ネクストX』では、開発二課の芽上結衣さんと、私、森田愛莉という、二人の女性エンジニアがキーパーソンとして深く関わらせていただいております。これは、政府が強力に推進しておられる『女性活躍』の流れにも完全に合致しており、我が社の先進性とダイバーシティを、国の審査員の方々にも強く印象付ける、またとないアピールポイントになると確信しております」
場の空気が変わる。彼女の言葉は、単なる自己アピールではない。プロジェクトの成功と会社のイメージアップに繋がる、極めて戦略的な提言だった。
「ぜひ、この重要な局面において、 私と芽上さんに、プロジェクトの『顔』として 、デモンストレーションの構成や対外的なプレゼンテーションを主導させていただく機会をいただけませんでしょうか? 我々女性ならではの視点と感性も活かし、必ずや社長のご期待に応えてみせます!」
愛莉は、再び深々とお辞儀をした。その姿は、健気で、意欲に満ち溢れ、そして何より、計算され尽くしていた。
「ほう…!」
社長は、感嘆の声を漏らした。
「森田くん、君は…面白い! 実に面白い! 若いのに、時流をよく読み、それをプロジェクトの力に変えようという発想、気に入った!」
社長は、満足げに頷く。
一方、磯山事業部長は、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいる。
(女が生意気な…しかし、『女性活躍』を盾に出されては、表立って反対はできん…!)
高橋や古井部長も、内心で舌打ちするしかない。
(やられた…! このタイミングで、このカードを切ってくるとは…!)
そして、佐々木は―― 完全に、先手を打たれていた。
彼が愛莉の問題点を指摘しようとしていた、まさにその席で、彼女は社長を味方につけ、自らを、そして結衣をも巻き込んで、プロジェクトの中心人物へと押し上げたのだ。しかも、『女性活躍』という、誰も反対できない大義名分を掲げて。
佐々木には、もはや反論する術も、異議を唱えるタイミングも残されていなかった。彼の表情には、唖然とした色と、どうにもならない状況への無力感が浮かんでいた。
「よし、決めた!」社長は、パンと手を打った。
「今回の国プロ第一次審査は、森田くんと芽上くん、二人をプロジェクトの顔として進める! 佐々木くん、高橋くん、古井くん、そして磯山事業部長も、彼女たちを全面的にバックアップするように! いいな!」
まさに、鶴の一声。それは、開発現場の事情や人間関係などお構いなしに下された、トップダウンの決定だった。
「はい! 全力で務めさせていただきます!」
愛莉は、満面の笑顔で、しかしその瞳の奥には勝ち誇るかのような光を宿して、力強く答えた。
――― 天使は、神の不在をいいことに、その玉座に手をかけた。
天命により、女性は活躍しなければならないのです。




