02. 面接!「森羅万象の最適化」が強みです
デジタル・ハーモニー社の、無機質な会議室。人事部長の野村は、手元の履歴書に一度目を落とすと、深いため息をついた。
「あの、野村部長。この時期に中途採用の面接なんて…。随分、急なんですね」
向かいに座る若手の佐藤が、疲れきった様子の野村を見て、心配そうに問いかけた。その声に顔を上げた野村は、まるで国家機密でも打ち明けるかのように、声を潜めて告げた。
「……ここだけの話なんだが。どうも、採用エージェント側に手違いがあったらしい。なぜか手続きだけが勝手に進んでいて、断るに断れない状況になっていたんだ」
「ええっ、そんなこと…あるんですか?」
「正直に言って、前代未聞だ。あのエージェントとの契約も見直さねばならんな…。だが、アポイントがある以上、今更キャンセルもできん。形だけでも面接はするしかないんだ。…すまんな、佐藤くん。忙しいところ、付き合わせてしまって。課長の佐々木くんに頼んだのだが…例の件で、手が離せないようでな」
申し訳なさそうに頭を下げる野村に、佐藤は「いえ、とんでもないです」と苦笑いを返すしかない。どうやら今日の午後は、この不毛な『形だけの面接』に時間を費やすことになりそうだ。佐藤もまた、静かにため息をついた。
コンコン、と。控えめなノックの音が、二人の間の重い空気を破った。
「どうぞ」野村が応じると、ドアが静かに開き、一人の女性が入室してくる。
その瞬間、会議室の空気が、ぴんと張り詰めた。
候補者である女性 ―― 芽上結衣は、想像していたよりもずっと冷やかで、そして美しい女性であると野村の目に映った。佐藤も、彼女の一点の隙もない立ち居振る舞いに、思わず息を呑んだ。
「よろしくお願いいたします」
涼やかな、そして、どこか機械的とも感じられる声が響き、二人は、我に返ったように、居住まいを正した。野村が、意識的に『笑み』の形に表情を取り繕って口を開く。
「こんにちは、芽上さん。本日はよろしくお願いします。私が面接担当の野村です。こちらは開発チームの佐藤です」「こんにちは。本日は貴重な機会をいただき、ありがとうございます」
結衣が、事前にインプットした定型挨拶を、淀みなく返す。野村は、一切表情を変えない結衣を見て、更に『笑み』の形を深めた。
「はは、少し緊張しているかな? リラックスして話してくださいね」
「緊張、ですか。現在の私の体内に、その状態を示す特定の数値変動は見られません。むしろ、解析結果によると、野村様から微弱ながら緊張の要素を示すパラメータの揺らぎが観測されます。リラックスという感情状態については、解析が未完了です。野村様は、どのような状態をもって『リラックス』と定義されているのですか? よろしければ、それを解析させていただけますか?」
真顔で質問が返される。野村の顔から和ませようとした意図が消え、困惑の色が浮かぶ。隣に座る佐藤は、「ええ…?」と小さく呟き、それをごまかすように咳き込んだ。
面接室に、数秒の静寂が流れる。野村は、どう言葉を返すか迷うように視線を彷徨わせた後、観念したように小さく息を吐いた。
「ええと……失礼しました。その件はまた改めて、ということで。では、早速ですが、芽上さんが弊社を志望された動機を教えていただけますか?」
結衣は、野村の質問を咀嚼するように小さく頷いた。志望動機とは、人間界において、自身の行動原理を示すパラメータだ。それは、主として、組織と個体リソースとの適合性評価のKPIとして用いられる。将来的な不調和の発生を抑制するには、初期段階での正確な情報同期が必要不可欠だ。
その重要性を瞬時に理解した結衣は、正確に、かつ論理的に伝えようと言葉を選んだ。
「はい。私が貴社を志望しましたのは、世界の調和を再構築するため、その阻害要因であるシステムに蔓延する不調和、そしてその根源たる人間のアルゴリズムを、現場で、直接解析する必要があると考えたからです」
面接官二人の困惑が深まる。
(世界の、調和…? …うちの企業理念に『世界平和』とか、あったっけ…?)
佐藤は困惑しながら、記憶の引き出しを探った。たしか、デジタル・ハーモニー社の企業理念は『顧客に寄り添う』とか『革新』とか、比較的『現実的』なものだったはずだ。
「……えーと、人間のアルゴリズム、ですか。……それは、その…弊社のAIモデルを解析したいということでしょうか?」
野村が慎重に言葉を選びながら尋ねる。彼は、結衣の壮大な言葉とシステム開発という現実が結びつかず、明らかに混乱していた。
「AIモデルは、人間の思考アルゴリズムを模倣したものです。私が解析したいのは、その模倣元である人間の、より根源的なアルゴリズムです。その理解によって、あらゆるシステムの不調和の発生機序が解明でき、世界の最適化を実現することが可能だと考えております」
結衣は、純然たる事実を端的に述べた。それは、宇宙全体からすれば塵のような『真理の断片』にしか過ぎない。
だが、人間の限られた処理能力では、そのささやかな欠片すらも受信できなかったようだ。その証拠に、野村の表情からは完全に『笑み』が消えさった。佐藤はペンを取り落としそうになり、慌てて握り直している。二人が、互いに助けを求めるように視線を交わし合う様子を、結衣は静かに観察していた。
重い沈黙が、面接室に張り付く。数秒が永遠のように感じられる。
やがて、野村は小さくため息をつき、面接官としての役割を思い出したかのように、表情を引き締めた。
「……分かりました。では、その、……………芽上さんの、システム開発における強みというものを、具体的に教えていただけますか?」
悩みぬいた末、定型的ともいえる質問を繰り出す野村。結衣は、真顔で即答した。
「私の強みは、森羅万象を最適化できることです。万物の根源情報にアクセスし、そのアルゴリズムを、完全な『調和』状態へと導くことができます 」
―― カンッ、カラカラカラ‥‥
佐藤が取り落としたペンが、場違いな音を立てて転がっていく。人事部長として鍛え抜かれたはずの野村のポーカーフェイスはとうに崩れ去り、眉間に深い深いシワが刻まれていた。
「………………ええと……それはつまり……どういった、能力で? システム開発とどのような関係が?」
彼の額には、うっすらと汗が浮かんでいる。自分の理解能力が試されているのではないか、そんな風にさえ感じていた。
「私の視点から見れば、万物はすべて書き換え可能なソースコードです。『調和』を司る私にとって、御社のシステムが抱える非効率性や脆弱性は修正すべき『バグ』の一つ。宇宙の根源的な絶対調和 ― システム開発でいうところの『要件定義』に基づき、そのアルゴリズムを最適化することは容易に可能です」
「そう…ですか」
野村はそれだけ言うと、口をつぐんだ。
「…………え、ええと…。あの……ですね。もう少し、こう、一般的な………プログラミングスキルとか、チームでの役割とか……何か、そういうアピールポイントは…ないんですか?」
沈黙に耐えかねた佐藤が、果敢にも口を挟んだ。それは、もはや面接官としての問いではない。どうにか常識的な発言を引き出し、この面接から解放されたい。その一心だった。
「はい。プログラミングスキルについては、あらゆる言語構造はアルゴリズムの具現化に過ぎません。基本原理を理解すれば応用は容易です。人類が定義付けしていない言語であっても、構造と論理さえ存在すれば問題ありません。チームでの役割については、私という存在は、根源的な宇宙秩序に基づきます。御社の全てのプロジェクト、業務運営において、無駄や矛盾、非効率性をゼロまたはそれ以下にする、完全なる『最適化』をもたらすことが可能です」
「……なるほど」
野村は、深く頷いた。理解を示したのではない。既に思考がフリーズして何も入ってこないだけだった。
彼の頭の中では、「危険」と「未知」という二つの単語だけが、巨大なエラーメッセージのように点滅し続けていた。このまま彼女をどう扱うべきか、という未解決タスクが積み上がっていく。
……本当に、とんでもない人材を寄こしてくれたものだ。この面接が終わったら、即刻、エージェントに契約の打ち切り…いや、損害賠償の協議に向けて、社内弁護士にアポイントを取らねばならない。
目の前の理解不能なタスクから逃避するかのように、今後の具体的な対応について考え始めていた。