辺獄の羽根編 第二話
著者:ハトリユツキ 様
企画・原案:mirai(mirama)
妻メアリが亡くなってから、数ヶ月が経った。
ワインの瓶の山にもたれかかりながら、ウイリアムはじかにワインの瓶に口をつける。流し込むように酒を煽る。唇のはしからワインの赤が溢れて、首をつたう。頭痛が続く。
「メアリ……君のいない人生はあまりにも長い……あまりにもむごい」
あまりにも長い、苦痛の時間。空虚で、痛みだけを認識する時間があとどれくらいで終わるのだろう。あとどれほど生きれば、彼女の元にたどり着けるのだろう。
ウイリアムは、頭痛と吐き気にまぶたを強く閉じた。
暗い闇の中。
——声が聞こえた。
誰の声だろうか。低く呻く、動物のような唸り声。けれど、声には力がない。声を出しているというよりも、唇から漏れているという方が正しいのかもしれない。
声は一つではない、あちらこちらから聞こえてくる。音は狭い空間で反響する。
「これは一体」
驚いたウイリアムがまぶたを開けると、そこは薄暗い闇で覆われていた。自分が先ほどまでいたワイン瓶の転がった自宅ではない。では、ここは一体どこだ。
風が吹いた。どこからだろう。おそらく狭く感じられるこの空間のどこから、その風が吹き込んでくるのか、彼には見当もつかない。とはいえ、手を伸ばして、この空間を認識することも恐ろしく感じられた。
風の音とうめき声はどこかよく似ていて、どちらも風の音なのかと勘違いしてしまいそうになる。けれど、声は時折うすく悲鳴をあげる。苦しそうに息をしている。
「そこにいるのは、誰だ」
私は医者だ——そう言いかけて口をつぐむ。こんな出来損ないの医者が、医者を語っていいはずがない。
「痛い……とても痛いのです、痛い……誰か、助けて……誰か、痛い、痛い……」
薄暗い闇の中にいると不思議なもので目が慣れる。ウイリアムはようやく声の主の形を認識した。そして、その声の主が今喋っている。
「苦しい、痛い」
這いつくばる人間の肌はぼこぼこと膨らんでいた。つま先が赤黒く変色している。人間はうめき声をあげながら、ウイリアムに近づいてくる。ウイリアムは動けなかった。その場で頭を抱え、うずくまる。もう、何も。
「私は何もできない、できやしないんだ。私は何も、もう何も……」
涙が頬をつたった。ウイリアムの頰、すぐそばを何かがかすめた。
ハッと顔を上げると、そこには一頭の蝶がいた。真紅に染まった血の色。鮮やかな羽根。蝶は静かに羽根を動かしながら、闇の中に消えていった。
——気がつけば、夕方だった。
ウイリアムはワイン瓶の山で目を覚ました。