辺獄の羽根編 第一話
著者:ハトリユツキ 様
企画・原案:mirai(mirama)
「ウイリアム、あのね、蝶が——」
それが、妻メアリの最後の言葉だった。
ベッドに横たわるまだかすかに温もりのある彼女の身体をウイリアムは強く抱きしめると、涙を流した。木製のテーブルにはたくさんの瓶が並んでいる。異国の地から取り寄せた様々な薬だ。
メアリは原因不明の病であり、その病気について知るものはまだこの世界にいない。とは言え、ウイリアムは医者であり、一人の医者として、そしてメアリの夫として、できる限りの医療施術を行い、薬の処方を行なった。それでも彼女の病が治ることはなかった。
ウイリアムは日に日に弱っていくメアリに点滴をうち、内服をさせた。神に祈りを捧げ、メアリに話しかける。効果はなかった。睡眠も取れないままに、治療を続ける。眠ってしまったら、次に目を覚ましたとき彼女が息をしていなかったらどうしようと思うと、ろくに睡眠などとれなかった。希望を信じて取り組むしかなかった。それなのに——。
「……どうして、メアリ……君はいってしまったんだ」
今はもうベッドに彼女はいない。優しく微笑んで自分の頬を撫でる彼女も、自分の名前を愛しげに呼ぶ彼女も、もういない。彼女の命は病という名の死神が奪ってしまった。
この世に、神も、医療もない。死んだ。ウイリアムの中で、彼女の死とともに、すべては失われたような気がした。
昼過ぎ、太陽の光が柔らかく窓から差し込む。テーブルの上には酒の瓶が並んでおり、ワイングラスにはなみなみとワインが注がれている。ウイリアムは頰を真っ赤に染め、ただ彼女の名前を呼び続けた。けれど返事が返ってくることはなかった。
——ドン、ドンと自宅のドアが叩かれる。
「先生、ウイリアム先生、うちの娘が昨日から熱を出していて、少しみていただけませんか!」
ウイリアムはぼうっと視線をドアの方に向けたが、すぐに視線をワイングラスに戻し、ゴクリとワインを嚥下した。患者はしばらくドアを叩いていたようだったが、返事がいつまでも返ってこないので去っていく。
「僕のような出来損ないの医者に治療を受ける患者はあまりにもかわいそうだ……そうだ、僕は何も救えなかったんだ、何も、何一つも……」
ウイリアムはまたワインを飲み干す。酩酊して、思考が曖昧になる。悩み事やメアリの顔が頭の中から消える。何も、考えずに済む。もう何も考えたくはないのだ。
「メアリ……」
無意識に彼女の名前を呼ぶ。ワイングラスが音を立てて、床に落ちた。真っ赤なワインが流れる。まるで、血のように。