「お姉様、ずるい!」とあなたは言うけれど
「ジェシカお姉様、ずるい!」
妹のエミリーがこの言葉を言い始めたのは、彼女が八歳の時。そして姉である私――伯爵家のジェシカ・ロゼットの十歳の誕生日だった。
翡翠色の瞳がじっと私の手にある猫のぬいぐるみを見つめ、そしてピンク色の唇を開いて「ずるい!」と訴える。
「エミリー、私のなにがずるいの?」
「お姉様だけ猫のぬいぐるみを貰ってずるい! 私も欲しい!」
「そんな、だって今日は私の誕生日よ。だから誕生日プレゼントを貰ったの」
この猫のぬいぐるみは只のぬいぐるみではない。
有名な魔法ディーラーが一つ一つ自らの手で作り上げたものだ。ゆえに出回っている数も少ない。
デザインも猫を程よくデフォルメしており、くりっとした大きな瞳が愛らしい。その大きな瞳には特殊な魔法術式が刻印されており、きょろきょろと瞳を動かして他所を見たり、瞳孔の大きさが変わったり、愛情を持って接すると持ち主を見つめて目を閉じたりするのだ。鳴き声の魔法術式も組み込まれており、私の腕の中でニャアニャアと鳴いている。
それほどの代物なのだから高価なのは当然だし、そもそも入手が困難。私は何年も前からこのぬいぐるみが欲しいと両親に訴え、念願叶って今年の誕生日にお父様が買ってくださったのだ。
「私が最初に欲しいって言った時、エミリーにも『あなたもお願いしたら』って聞いたじゃない。でも貴女はそれより別のものが欲しいって言ってた」
「だってこんなに素敵だなんて思わなかったんだもの、ずるい!」
ずるい! とエミリーが訴える。
これには両親もエミリーを宥めようとするが、エミリーは言い出したら己が納得するまで引かない性格だ。
両親もそれを分かっていて、宥めたり、叱ったり、譲歩案を出したり、別の話題で気を逸らせようとしたり……、とあの手この手でエミリーを落ち着かせようとしている。
そんな中、またエミリーが「ずるい!」と言い出したタイミングで、私は「それなら」と話し出した。
「それなら、エミリーが自分でぬいぐるみを作れば良いじゃない」
「私が?」
「そうよ。自分でぬいぐるみを作って、魔法術式を埋め込むの。そっくり同じものを作ったらディーラーに怒られちゃうけど、似たものなら他にもいっぱい出回っているでしょ?」
私が誕生日プレゼントに貰ったものは、正真正銘、オリジナルの魔法ディーラーが手ずから作り上げたぬいぐるみだ。
だがその人気にあやかろうと、二番煎じどころか三番四番と似たようなものが世間には溢れている。もちろん目が動き、鳴き、中にはオリジナルにはない要素を追加されたぬいぐるみもある。更には猫だけではなく、犬や兎、珍しい動物をモチーフにしたぬいぐるみも。
言ってしまえば模造品・海賊品だ。だがオリジナルのディーラーが商売関係に無頓着で、瞳に刻印された魔法術式と足の裏に刺繍したサインさえ真似しなければ良いと宣言しているだけに、類似品は後を絶たない。
だからきっと、幼い子どもが自分用にと真似て一つ造ったところで誰も何も言うまい。
そう考えて提案すれば、エミリーは眉根を寄せて考え……、そしてコクリと頷いた。
それから数日後、「お姉様、見て!」とエミリーが私の部屋に入ってきた。
絆創膏だらけの手には猫のぬいぐるみ。随分と造りが粗く、ゆえに一目で手作りだと分かる。
「私、自分で作ったのよ!」
得意げに胸を張ってエミリーが誇る。
更には「見ても良いのよ!」と机にぬいぐるみを座らせた。
灰色の猫のぬいぐるみ。あちこちほつれて布が歪み、ジグザグな縫い目も見えている。目もくりっとはしているが正面から見ると左右で少し高さがずれてる。
「魔法術式は組み込んだの?」
「もちろんじゃない。でも瞳を動かす魔法術式は難しいから、まずは鳴き声にしたの。……そうしたらね」
じっとエミリーがぬいぐるみを見つめるので、つられて私も注視する。
二人分の視線を受けた猫のぬいぐるみは本を背もたれに座り……、
『パォオオオン』
と、高らかに鳴いた。
「エミリー、貴女いったいなんの鳴き声を組み込んだの?」
「猫よ。でも何度魔法術式を立て直してもニャァって鳴いてくれないの」
どうしてかしら? とエミリーが首を傾げる。その間にもぬいぐるみは『パォオオオン』と力強い雄叫びをあげた。
それを聞いたエミリーがパッと顔を上げると「ジェシカお姉様、ずるい!」と訴えてきた。
「お姉様、ちゃんと『ニャァ』って鳴くぬいぐるみを持っててずるい!!」
「『パォオオオン』って鳴くぬいぐるみの方が希少性は高いと思うけど」
「私も『ニャァ』って鳴くぬいぐるみが良い! お姉様はやっぱりずるいわ!」
ずるい!とエミリーが訴える。
それに対して私は少し考え、机の一角に飾ってあるぬいぐるみへと手を伸ばし……、
「お姉様、ぬいぐるみくれるの!?」
「そんなわけないでしょ」
瞳を輝かせたエミリーの期待をぴしゃりと叩き切り、ぬいぐるみの横に置いてある本を手に取った。
「魔法術式の本よ。エミリーの年齢には少し難しいけど、頑張って読んで勉強すればちゃんと猫の鳴き声を組み込めるわ」
「えぇー……」
不満気にエミリーが唇を尖らせる。
それでもしばし悩むと本を受け取り、「行くわよ、パオリーヌ」とぬいぐるみを手に自室へと戻っていった。
◆◆◆
エミリーの、「ジェシカお姉様、ずるい!」はその後も続いた。
学力テストで一位なんてずるい、絵画コンテストで優勝なんてずるい、素敵なドレスを仕立ててもらってずるい!
そのたびに私は、それなら貴女も一位を、絵画コンテストで入賞を、素敵なドレスを自分で仕立てて……、と促してきた。
そうするとエミリーは少し悩み、だが納得すると頷いて応じるのだ。
学力テストでは一位ではないが三位を、絵画コンテストでは見事に最優秀賞を取った。ドレスに関しては秘めていた才能を発揮し、それはそれは素晴らしいドレスをデザインした。
……のだが、あまりに素晴らしすぎて、著名なデザイナーが参考にさせてくれと頭を下げてエミリーのドレスを持っていってしまった。――結果的にエミリーはドレスを持っていかれて着れなかったので、さすがにこれはと両親が仕立ててやった――
魔法研究討論会で私が金賞を取った時なんて、いつも以上に「ずるい」と言っていた。
「お姉様だけ金賞なんてずるいわ!」
「またずるいって……。それなら貴女だって討論会で金賞を取れば良いじゃない」
「そうね……。いえ、私は金賞なんかじゃ満足しない! もっと良い物が欲しい!」
エミリーが喚くが「金賞以上が欲しい」と言っても金賞は討論会で最も優れた者に与えられる賞だ。これ以上はない。
そう話せばエミリーはしばらく悩み、真剣な顔付きで口を開いた。
「……オリハルコン賞」
何か閃いたらしい。
「そうね、金よりオリハルコンの方が価値は高いわね。でもねエミリー、討論会にオリハルコン賞はないのよ」
「でも私はオリハルコン賞が良い! 金賞で満足してるジェシカお姉様には分からないわ。私、絶対にオリハルコン賞を取るんだから!」
高らかに宣言し、エミリーがぴゃっと走っていった。
◆◆◆
「エミリーは相変わらずだね。いずれは僕とジェシカの仲も『ずるい』と言い出すかな?」
そう楽しそうに笑いながら話すのはこの国の第一王子カイン様。
金の髪が美しく、穏やかで優しい私の婚約者だ。
十五歳の誕生日に彼から婚約を申し込まれその場ですぐに返事をした。そして二年を経て、次の春で私が十七歳になったら結婚式を挙げる予定だ。
彼の冗談に私もつい笑ってしまう。
「言い出すかもしれませんね。お姉様、素敵な婚約者がいてずるい! って」
「素敵な婚約者に愛されていてずるい! じゃないかな」
カイン様が更に冗談めかしてくる。
……冗談と、そして冗談以上に愛を込めて。
彼の手がそっと私の手に重なった。無理強いをすることなく、私の反応を窺いながら、それでもゆっくりと手を握ってくる。
カイン様は同い年だ。だけどやはり男性だけあって手は大きく、私の手は彼の手に包み込まれてしまう。
「ジェシカ、顔が真っ赤だよ」
苦笑するカイン様に指摘され、私は思わず握られていない方の手で自分の頬を押さえた。
今は夜。ロゼット家の敷地内とはいえ屋外は暗く、頬が赤くなっていても見えないはずなのに……、と私が困惑していると、カイン様がクスクスと笑った。
穏やかなで品の良い笑み。だけど悪戯ぽくも見える。彼の顔を見て私は揶揄われていると察した。
「婚約者を揶揄うなんて酷い方。それが王族の在り方ですか」
ふいとそっぽを向いて拗ねている事を訴えれば、カイン様の笑みが強まった。
「そう怒らないでくれ。ジェシカはいつも凛としていて大人びているだろう? そんな君が真っ赤になって慌てる……、僕にだけ見せてくれるその一面が愛しくて堪らないんだ」
「でしたら、普段の凛として大人びている私のことは愛しくないという事ですか?」
揚げ足取りで更に拗ねる素振りを見せれば、この一手は予想していなかったのかカイン様が驚いたように目を丸くさせた。
「参ったな、余計に君を怒らせてしまった」
参ったとは言いながらもカイン様の声は嬉しそうだ。きっと私が拗ねている事すらも彼にとっては『ジェシカが自分にだけ見せてくれる一面』と考えているのだろう。
事実、これがカイン様相手でなければわざと拗ねる素振りなんてするわけがない。拗ねてみせたのはカイン様だからであり、そして彼からのご機嫌取りを期待しているからだ。
カイン様相手だと私も我が儘になってしまうみたい。
そんな事を考えていると、カイン様が優しく私の名前を呼んできた。
ちらと様子を窺えば私の視線に気付いた彼が穏やかに微笑む。そのうえゆっくりとだが身を寄せてきた。
穏やかに見つめてくる目が細められる。
彼が何をしようとしているのかを察し、私もまた目を瞑った。私の手を握っていたカイン様の手がそっと離れ、私の肩に触れる。
「ジェシカ……」
穏やかで甘い声がすぐ間近で聞こえる……。
だが次の瞬間、
「カイン様、そろそろお戻りの……」
という声が割って入ってきて、私はついパチと目を開けてしまった。
目の前にカイン様の顔がある。近すぎてよく分からないほどだ。パチパチと数度瞬きをしながら見つめていると、カイン様の顔が離れていった。
穏やかだった表情が渋いものに変わる。眉根を寄せた表情で、声のした方へとゆっくりと向く。
「ギュスター、お前……」
「も、申し訳ありません。お戻りの時間が近付いてきたのでお声掛けしようと思いまして……」
「だからってタイミングというものがあるだろう」
「それは……、く、暗くてよく見えず、お二人がただ話しているだけだと思ったんです」
焦りの色を露わに弁明するのは、カイン様の護衛騎士であるギュスター。
年は私達よりも三つほど年上。カイン様が幼少時から護衛を務めているため、私も彼との付き合いは長い。
騎士らしく背が高く体躯の良い男性で、勇ましい風貌をしている。……が、申し訳なさで縮こまる今の姿からはあまり騎士の勇ましさは感じられない。
「キスをし損ねるなんて、ジェシカを揶揄ったバチが当たったかな」
カイン様が肩を竦める。
彼の冗談めかした言葉に、キスをしようとしていたところを見られたと羞恥でいっぱいになっていた私の気持ちも和らぐ。
「それじゃぁジェシカ、また」
「はい。……あの、カイン様」
立ち上がった彼に続くように私も立ち上がる。
そうして彼へと身を寄せ……、頬にキスをした。
軽く一度だけ。まるで子供の頬にするかのように唇を触れさせる。
だが恥ずかしさからすぐさまパッと離れ、それどころか二歩三歩と後退った。
「ジェシカ……?」
カイン様が目を丸くさせて私を見る。
彼からキスをしてくれる事は今まで何度もあったが、私からは初めてだ。だから驚いているのだろう。
だけど私も胸中穏やかではない。自分からキスなんて、頬とはいえ大胆過ぎて恥ずかしい……。
「で、では、私これで失礼いたします! お戻りの道中、お気をつけください!」
まくし立てるように告げ、踵を返すとすぐさま屋敷へと戻っていった。
「ジェシカお姉様、ずるい!」
エミリーに言われたのは、カイン様と別れて屋敷に戻り、出迎えたメイドに対して赤くなった頬を誤魔化しながら自室へ戻ろうとした時。
廊下をトタタと小走り目に走ってきたエミリーは、私の目の前で足を止めるや開口一番にいつもの口上で羨んできた。
なんで今このタイミングで……、と心の中で恨む。きっと今の私はまだ赤い頬をしているだろう。胸の高鳴りもまだ収まっていない。
出来ればこのまま部屋に籠って自分を落ち着かせたいのに。これでは先程のギュスターのようなタイミングの悪さだ。
だがそんな私の心の中の恨み言など想像もしていないのだろう、エミリーは改めるように「ずるい!」と言ってきた。
「エミリー、なにがずるいの?」
「私、見てたんだからね! お姉様ずるい!」
「えっ!?」
驚いて声をあげてしまった。
『見てた』とは、つい先程までカイン様と一緒に庭園に居たのを見ていたという事だろう。人目に付きにくい場所にあるベンチを選んだつもりだったが、所詮は敷地内の庭園、完全なる死角とは言えない。
きっとエミリーは私とカイン様が過ごしていたのを見て、それをずるいと訴えているのだ。
だけど、それはつまり……。
「まさかエミリー、貴女もカイン様の事が好きなの?」
まさか姉妹で一人の男性に想いを寄せるなんて……。
そう困惑を隠しきれぬ声色で問えば、エミリーは翡翠色の瞳をパチンと瞬かせたのち、
「いえ、それはべつに。カイン様はタイプじゃないし」
と、はっきりとした口調で断言してきた。更には両手をこちらに向け、首を横に振るというジェスチャーまで付けてくる。
果てには「カイン様は細すぎるのよね、もっと男らしい人じゃないと」とまで言ってのけるのだ。どうやら本当に好みではないのだろう。
それは良かった。……良かった、けれど。
「なんだかお姉様は今とても貴女を引っ叩きたい気分だわ。一発いっても良くって?」
すっと片手を軽く上げて見せれば、叩かれると察したエミリーが素早く後ろに飛び退いた。我が妹ながら見事な反射神経。
仕方なく上げていた手を降ろすとエミリーが分かりやすくほっと安堵する。……まだ距離を取ったままだけれど。
「それで、いったい私の何がずるいの?」
「いつも会ってる事よ。さっきだって庭にあるベンチで一緒に居て、ずるいわ!」
「……そ、そんな事を言われても困るわ。それに覗き見なんてはしたないわよ」
「覗き見じゃないわよ。私の部屋の小窓からばっちり見えてるの。とにかくお姉様はずるい!」
咎めるもエミリーは聞く耳もたずで、「ずるい!」と訴えるだけだ。
これに対して何かしてやる気にはならない。もちろん「それなら貴女もカイン様と」なんて言う気もない。そもそもエミリーはカイン様が好みではないというし。
「貴女も誰か男性と夜の庭園で二人きりで過ごしたいのね。憧れるのは分かるけど、ずるいと言われてもどうしようもないわ」
「でもずるい!」
「それならお父様を誘ってみたら? まだこの時間なら起きてらっしゃるし、きっと付き合ってくれるわよ」
「お父様じゃ意味が無いのよ! お姉様だけ恋人と素敵な時間を過ごせるなんてずるい!」
ずるい! と最後に一度喚いて、エミリーがふんとそっぽを向くと踵を返して去っていった。
そうして私も部屋に戻り就寝の準備をし、ふと思い立って窓を開けた。
試しにと少し身を乗り出して外を見る。私の部屋からは庭のベンチは見えそうにない。
「明日エミリーの部屋に入れて貰ってどう見えていたのか確認しようかしら。……あら?」
夜の静けさの中、何か聞こえてくる。
意識を集中して耳を澄ませば、聞こえてきたのは微かな話し声、それと……、
『パォオオオン』
という逞しい雄叫び。
「……エミリー、パオリーヌと庭に出たのね」
それならお父様を誘っても良かったんじゃ……。
そんな事を考えつつ、覗き見はもちろん盗み聞きも駄目だと考えて窓を閉めた。
◆◆◆
「冗談のつもりだったが、まさか本当に言い出すなんてな」
驚いたと言いたげに話すのはカイン様。
今は招待された夜会の最中で、挨拶の合間に時間を見つけて二人でテラスへと出て他愛もない会話をしている。
そんな中で先日のエミリーとのやりとりを私が話せば、カイン様が肩を竦めながら先程の言葉を返してきた。
「エミリーも年頃ですし、誰かと二人きりの時間を過ごしたいという思いは分かりますが……」
「だけど聞いた話ではエミリーはどんな縁談も断ってるというじゃないか」
「えぇ、そうなんです」
エミリーにも縁談はきている。他家の子息、他国の名家子息、名の知れた学者……、と様々だ。
だが顔を合わせることも無く、釣り書きすら碌に見ずに片っ端から断っている。以前に一度「実際にお会いしてみたら」と提案したところ「嫌よ」と即答されてしまった。そのくせ「お姉様は既に婚約が決まっていてずるい」と訴えてくるのだ。
「いったい何がしたいのか、何を求めているのか、我が妹ながら分かりません。どんな殿方が良いのか聞いてもすぐに『お姉様はずるい!』と言い出すし」
「現時点で親しい相手が居るわけでもないんだよな?」
「はい。そういった話は……。私もそれとなく探りを入れてみましたが、それらしい素振りはありませんでした」
誰かと秘密裏に会っている様子も無ければ、密かに手紙のやりとりをしている様子もない。
時折物憂げな表情でほぅと吐息を漏らす事は有るが、私が見ている事に気付くと直ぐに「お姉様ずるい!」と言い出すのだ。先日など、彼女が悩まし気な表情をしていたから気遣って声をかけたのに、
「……お姉様に私の気持ちは分からないわ。本当、お姉様ってずるい」
と吐息交じりの憂いを帯びた声で言われてしまった。
これには私も「引っ叩いても許されるはず!」と片手を掲げた。その瞬間のエミリーの軽やかなバックステップと言ったら無い。
「せめて相談をしてくれればこちらも動きようがあるんですが……」
「僕との婚約を羨んで、でも僕自体には興味はない。となると僕の身分、王族が理想なのかな?」
「さすがに王族の方との縁談は難しくとも、身分ある方との縁談の話はきております。ですがエミリーはどれも断っていて……。あまり身分に拘っているという風でもないんです」
エミリーの気持ちが分からない。
参ったものだと話せば、カイン様もまた頭を悩ませ、そして私に釣られるように溜息を吐いた。
「申し訳ありません、私の悩みばかり話してしまって」
「いや、気にしないでくれ。エミリーはいずれ僕の義妹になるんだ。僕も彼女が落ち着いてくれれば良いと思ってる」
「ありがとうございます。お優しいんですね」
「そんな事ないさ。……実を言うと、優しくすれば今度は唇にキスをして貰えるんじゃないかって下心があるんだ」
僅かに頬を染めつつ苦笑しながらカイン様が話す。
彼の言葉に私の頬が熱くなる。きっとカイン様と同じくらいに赤くなっているのだろう。
「そんな、カイン様ってば……。今は夜会の最中ですよ」
「あ、あぁそうだな。……それならせめて、僕から頬にキスをしても良いかな。実はこれから父上と挨拶回りをしないといけないんだ。ジェシカに触れられたらきっと頑張れる」
照れ臭そうなカイン様の言葉にますます私の頬が熱くなっていく。
……だけど嫌ではない。カイン様から触れて貰うとドキドキして幸せになる。
だがはっきりと言葉で肯定するのは恥ずかしくコクリと頷くだけで返せば、カイン様の表情がパッと明るくなった。
次いでそっと手を伸ばして私の髪に触れてくる。彼の手が私の髪を梳く。まるで宝石を扱うような、むしろそれ以上のものに触れるような慎重な動きだ。
そうして彼がそっと顔を寄せ……、
「カイン様、陛下がお呼びですのでそろそろおもどりにっ………!!」
というギュスターの声に、カイン様の動きがぴしりと固まった。
またも絶妙なタイミングでギュスターが現れたのだ。本人もまずいと思ってるのか引きつった表情を浮かべている。
穏やかに微笑んでいたカイン様の表情がスゥと波が引くように冷ややかなものに変わり、ゆっくりとギュスターの方へと向いた。
「ギュスター……、お前……」
「申し訳ありません! 陛下がお呼びでしたのでつい……!」
「……一度ならず二度までも邪魔をするとは。もしかしてお前、僕とジェシカを引き裂こうとしているのか? まさか謀反か?」
「め、滅相もございません!!」
謀反の疑いまでかけられてギュスターが一瞬にして青ざめる。
そんなやりとりを前に私は気恥ずかしさを覚えつつ、カイン様の腕に触れた。
彼がこちらを見る。整った顔が少し不満を露わにしており、子供っぽいその表情は愛おしい。これが私の頬へのキスを邪魔されて不貞腐れていると考えれば猶更だ。
「カイン様、ギュスターをいじめてはいけませんよ。機嫌を直してください」
「うん……。それは確かにそうなんだが。もう少し粘ればまたジェシカからキスをして貰えるかもと思ってさ」
「まぁ……」
悪戯っぽくカイン様が笑う。先程までの不貞腐れた表情から一転して今度は悪だくみをする子供のようだ。彼の表情はコロコロと変わり、どれも愛おしい。
その愛おしさを胸に、私はそっとカイン様に身を寄せた。チラと一瞬ギュスターに目配せをすれば、察した彼が慌てて背を向ける。
「お勤め頑張ってください、カイン様」
そう囁いて彼の頬にキスをしようとし……、その寸前、くるとこちらを向いた彼の唇に私の唇が触れた。
「あっ……!」
「はは、やっぱりジェシカは頬にキスをしてくれると思ったんだ」
「も、もう、カイン様ってば。ここは夜会ですよ!」
私が怒るも、カイン様は嬉しそうな緩んだ笑みで「まぁまぁ」と宥めてくる。
だけどカイン様に宥められても簡単には落ち着けない。なにせ頬どころか顔すべてが熱いのだ。招待された夜会でキス、それも自分からキスをしてしまった……、と考えると頭の中が混乱してクラクラしてしまう。
「ギュスター、ジェシカが会場に戻る時は案内してやれ。それでさっきのはチャラにしてやる」
「かしこまりました」
「それじゃあジェシカ、また後で」
「行ってくるよ」と告げてカイン様が会場へと向かう。颯爽と立ち去る後ろ姿は立派だ。
……少し浮かれているように見えるのは気のせいではないだろうけれど、今の私には恥ずかしさでそれを指摘する余裕はない。
「ギュスター、もう少しここに居ても良いかしら。顔が熱くて会場に戻れないわ」
「反逆罪で訴えられかけていたところを救って頂いたんです、何時間だろうとお付き合いいたします」
肩を竦めながら話すギュスターにお礼を言って、頬を押さえていた手をそっと放す。
熱を持った頬に夜風が気持ちいい……。
「お姉様ずるい!!」
エミリーが不満を露わに言ってきたのは、頬の熱もおさまって会場に戻ってすぐ。
ここまで案内してくれたギュスターに感謝を告げてカイン様の元へと向かう彼を見送り、さぁ夜会を楽しもう……と思った矢先だ。まるで待ってましたと言わんばかりにツカツカと近付いて、私の前に立つなり開口一番にこれである。
また始まった、と思わず溜息を吐いてしまう。周りを見れば友人が「頑張って」と声にはしないが目配せで鼓舞し、異国の来賓と話をしている両親は今は抜け出せないと申し訳なさそうにちらと一瞥してきた。
つまりエミリーの相手をするのは私と言う事だ。
「エミリー、いったい何がずるいって言うの? 他の方もいらっしゃるんだから、はしたない言動は慎んでちょうだい」
「お姉様がずるいからずるいって言ったのよ。お姉様はずるいわ、本当にずるい」
「エミリー、ビンタか引っ叩かれるか頬を打たれるか、好きなものを選ばせてあげる」
「ずるいうえに暴力!」
すっと片手を軽くあげればエミリーが華麗なバックステップで距離を取ってきた。ドレスにヒールの高い靴という動きにくい格好でありながらなんて軽やかな動きだろうか。
だが不満はあるようで距離を取りながらも私を睨み、もう一度「ずるい」と訴えてきた。
「お姉様はずるいわ。私、見てたんだから」
「み、見てたって……。まさか、テラスに居たのを覗いていたの?」
「覗いてたわけじゃないわ、ちょっと気になって見てただけ。夜景の見えるテラスで一緒に過ごして……、ずるいわ」
「良いじゃない、別に。だって私とカイン様は婚約関係にあるんだもの」
キスをしていたところをエミリーに見られたと考えれば赤くなれば良いのか青ざめれば良いのか。
動揺を悟られまいとツンと澄まして返せば、エミリーが恨みがましそうに「ずるい」と訴えてきた。そんなエミリーを置いて夜会を楽しもうと歩き出すも、エミリーは私の後を着いてくる。それどころか隣に並んで歩き出した。
「お姉様はずるいわ。今夜の夜会、私のエスコート相手は伯父様だったのよ。それなのにお姉様ってば……」
「婚約者なんだからカイン様にエスコートして貰うのは当然でしょ」
「お姉様、早くに王宮に行っていたじゃない。会場に来る前にお茶もしたんでしょ? なのに私は伯父様がギリギリになるっていうから家でずっと待ってたのよ。ずるいわ!」
「またそうやってずるいずるいって……」
呆れ交じりに会場内を歩けば、エミリーは律儀に私の隣をついてきた。
ずるいずるいと訴えて。でも時折どこかをチラとよそ見しながら……。
「と、ところでエミリー……。夜会での私とカイン様を見ていたってことは、つ、つまり、見ていたのよね?」
「あぁ、お姉様からのキス? 見てたわよ。まったくお姉様ってばずるっ……!!」
言葉の途中でエミリーが軽やかなサイドステップで距離を取った。
私からのビンタの気配を感じ取ったのだ。
運動神経も良いし勘も良い妹だこと……。
◆◆◆
カイン様との仲は順調で結婚式も目前。
そんなある日、私は王宮に呼ばれていた。理由は分からないが早急に来てほしい……との事。
呼ばれたならば応じないわけにはいかない。そう考え、私は迎えにきた馬車に乗り込むと急ぎ王宮へと赴いた。
そうして広間に着くなり、
「ジェシカ様は魅了の魔法を使ってカイン様を騙しているんです!」
と、フィシュア子爵家のステイシーさんが私を糾弾してきた。
思わず目をぱちくりと瞬かせてしまう。
見れば広間の奥にはカイン様と両陛下。それに彼等の周囲には護衛達も居り、ギュスターもカイン様の隣に立ち、眉根を寄せている。
他には国内の貴族が数名。呼び出されたのかたまたま居合わせたのか、誰もが困惑の表情を浮かべており、必死に糾弾しているステイシーさんと彼女の背後に立つ数人の男性を見ていた。
「……これはどういうことでしょうか」
「ジェシカ様、私、真実を知っているんです。これ以上隠すのは無駄です。正直に話してください!」
「ステイシーさん、何のお話をしているの?」
「魅了魔法です! 違法とされている魔法を使ってカイン様の心を奪うなんて酷い!」
ステイシーさんは涙目になって訴えてきており、そこに演技めいた色はない。
彼女は本気で私が魅了の魔法を使ってカイン様を騙していると信じているのだ。
確かに魅了魔法というものは存在する。かけた相手に己への好意を抱かせる魔法だ。
だが魅了魔法をはじめ他人の気持ちを操る魔法は総じて禁止されている。その異質さから非人道的とまでされており、軽いものでも使えば罰せられる。これは誰もが子供の頃からきつく言い聞かされている事だ。
そもそも魅了魔法は難解で、使える者は限られている。
それを、よりにもよって私がカイン様を相手に使ったと、ステイシーさんはそう訴えてきている。
「お話の意味が分かりかねます。私が魅了魔法なんて」
「去年の魔法研究で発表された魔法、あれは魅了魔法にも関与するものですよね? それに討論会でも魅了魔法と精神関与の魔法についてお話しされてました」
「それは……、確かにそうだけど。魅了魔法についてだけではないわ。それに魅了魔法や精神関与の魔法について話をしていたのは私だけじゃないでしょう?」
ステイシーさんが言う通り、私は魔法研究の発表会でも討論会でも魅了魔法について話していた。
だがけして題材にしたわけではないし、もちろん禁止されている魔法の研究なんてするわけがない。研究の流れでたまたまその話題に触れただけで、思い返しても一言二言程度だ。十分程の尺のうちのわずか数十秒程度。
ただ話の流れで少し触れただけでしかなく、同程度の、むしろ今回の件について私以上に話していた生徒だっている。
だというのにいったいなぜ私が槍玉にあげられているのか。
そう疑問を抱いて問えば、ステイシーさんはきつくこちらを睨みつけてきた。彼女の表情には強い意志が感じられる。
たとえるならば『絶対に悪を正す』と胸に誓っているような、そんな表情だ。
もっとも、彼女の背後にいる数人の集団の表情からは、彼女のような強い意志は感じられないけれど。
「利用されている事にも気付かないなんて……」
私の胸に呆れの感情が湧く。
ステイシーさんは私達と同じ十七歳。物事をきちんと考えて行動せねばならない年齢だ。貴族の令嬢なら尚更。
そんな私の呆れに反して、ステイシーさんは私を糾弾し続け、挙げ句には苦し気に「私だって……」と呟いた。
「私だって、カイン様の事を」
言いかけた言葉を、私は咄嗟に止めようとする。
それ以上の発言は取り返しがつかなくなる。だから「駄目」と……。
だが私が制止の声を発するより先に、「それ以上は言うな」と厳しい声が発せられた。
カイン様だ。
先程まで呆れ交じりの表情だった彼が、今は厳しい顔付きでステイシーさんを見つめている。睨んでいるとさえ言える鋭い眼差し。
カイン様の口調と眼差しに怒りの色を感じたのか、ステイシーさんがビクリと体を震わせた。彼らしからぬ威圧感は、私でさえ向けられたら臆してしまいそうなほどなのだ。
「ですが、カイン様……、私は……」
「ステイシー・フィシュア。伯爵家令嬢への不当な疑いに加え、その発端が僕への横恋慕となれば、君はおろか君の家ひいては一族への処罰の可能性も出てくる。それは分かっているのか?」
「処罰……? そ、そんな」
事が大きくなったからか、ステイシーさんは信じられないと言いたげに動揺を露わにした。サァと彼女の顔色が青くなる。
そんな彼女を他所に、カイン様は真っすぐに私のもとへと来ると片手を取ってきた。彼の手が優しく私の手を包む。
「ジェシカ、変な事に巻き込んでしまってすまない」
「いえ、構いません。ですがこれは……」
「きみが魅了魔法を使っていると彼女達が糾弾してきたんだ。話を聞く気は無かったんだが、僕があしらおうとする事こそ魅了魔法の影響のせいだと言ってきかなくて。ジェシカを連れてこいと騒ぎだしたんだ」
「それで私を呼ばれたのですね」
「すまない。本当は僕だけで対応するつもりだったんだが、彼等は話を聞かず騒ぐ一方で。果てにはこの話を世間に公表するとまで言い出して参ったよ。こんな話、他所に聞かせるわけにもいかないだろう」
当然、私は魅了魔法なんて使っていない。清廉潔白。
根も葉もない噂を流されたところで真実が変わるわけではない。……のだけれど、私とカイン様の立場を考えれば、たとえ真っ赤な嘘とはいえ下手な噂を流されるのはあまりよろしくない。
特に今は結婚式を目前に控えている身なのだ。
騒動に巻き込まれ世間におかしな噂が流布されている中での王族の結婚というのは、近隣諸国から冷めた目で見られかねない。『結婚で浮かれているが、自国の管理も出来ていないのか?』と、こんな風に考えられる可能性だってある。
だから内々で話を終わらせるために私を呼んだと話すカイン様に、私は彼の手をぎゅっと握り返した。
「賢明なご判断です」
彼の判断を肯定すれば、カイン様がほっと安堵の表情を浮かべた。
そうして彼がステイシーさんに向き直り、何かを言おうとした瞬間……、
「お姉様、魅了魔法が使えると思われているなんてずるいわ!!」
と、高らかな声が割って入ってきた。
それと同時にバン!!と勢いよく広間の扉が開かれる。現れたのは……、言わずもがなエミリー。
なにやら妙に綺麗なトロフィーを手にしながら登場したエミリーは、私を見ると「お姉様ずるい!」といつもの口上を訴えてきた。
「魅了魔法は限られたひとしか使えないとされている禁忌であり高等魔法よ。それを使えると思われているなんてずるい!」
「エミリー、また貴女は……」
「それにカイン様とまたイチャイチャしてずるいわ」
「分かってちょうだい、エミリー。今は貴方を引っ叩いている場合じゃないの」
「暴力反対! 貴族の令嬢たるもの話し合いで解決すべきよ。この馬鹿げた話も、私が話し合いで解決してあげるの!」
「エミリー?」
いつもの調子でずるいずるいと騒いだかと思えば、突然エミリーが今回の件について口にし出した。それも自分が解決するとまで言い出して……。
「え?」と思わずエミリーを見れば、彼女は厳しい表情でステイシーさんを睨みつけていた。
「エミリー、何を言ってるの?」
「お姉様が魅了魔法を使ってる? そんなの、我がロゼット家への侮辱だわ。ロゼット家を名乗る者として許しておけるわけがないでしょう!」
「そんな風に考えていたのね。エミリー、あなたも大人になって……」
「それにお姉様が魅了魔法を使えるほどの才能の持ち主と思われてるのもずるいわ! 私だって凄いのに! でも魅了魔法を使ったなんて言われるのは嫌だわ。でも才能があると思われているお姉様はずるい!」
「ちょっと見直したらすぐにこれ……」
「だからすべて私が論理的に話して一刀両断してみせるの。この、討論会で金賞ではなくオリハルコン賞を取った私がね!」
ドヤァ! とエミリーが胸を張った。
手にしていた妙に美しいトロフィーを胸元に見せつけるように持ちながら。
「設立したのね、オリハルコン賞。そして自ら受賞したのね……」
「オリハルコン賞に選ばれた私からしたら子爵家とその取り巻きなんて取るに足りないわ。お姉様が魅了魔法を使えるほど才能に溢れてるなんてずるい説、私の華麗な討論技術で叩き斬ってあげる!」
掛かってきなさい!とエミリーが高らかに宣言する。
そんなエミリーを、私はどうしたものかと悩み……、「僕の出番は」と唖然とするカイン様を宥めることとした。
そうして始まったエミリーの討論は、それはそれは凄いものだった。まさに圧巻。
いかに魅了魔法が難解でリスクが高いか。魅了魔法を王族に使うことの危険性と、使った場合の予想される末路。その末路を私が分からないわけがなく、私がそのリスクを取ってまでカイン様を魔法で魅了するのは愚策であること。
とにかくエミリーは魅了魔法を否定し、尚且つ私が魅了魔法を使うわけが無いことを理論的に連ねていく。
ステイシーさんや彼女の後ろに構える者達が何を言おうとも尽く正論で否定し、それでいて「異論はあるかしら」「何か仰いたい事は?」と相手を誘う。時には間違いを誘っておいて否定する事も。
先程まで高らかに宣言していたというのに途端に声色も静かになり、それがまた他者を威圧する。
これは本当に私の知るエミリーなのかしら?
と思ったけれど、合間合間に「お姉様がずるいのはさておき」だの「お姉様がずるいのは前提として」だのと挟んでくるので間違いなくエミリー。
引っ叩きたくて右手がうずくけれど、それはグッと堪えておいた。
そうしてさすがオリハルコン賞といえる討論技術を披露し、エミリーがふぅと一息ついた。
ステイシーさんや男達はもはや口を開くことすら躊躇われるようで、誰もが青ざめた表情をしている
男達は己の立場が悪くなったのを感じ取り逃げ道を探すように視線を左右に巡らせ、ステイシーさんに至っては己の訴えを尽く打ち砕かれて涙目だ。俯いてふるふると震えている。
「オリハルコン賞を受賞した私の討論技術、どうだったかしら? 金賞のお姉様」
「……凄いわエミリー。さすがオリハルコン賞ね。何度ステイシーさんにタオルを投げたくなったか」
「そうでしょう! 私の方が凄いんだもの!」
エミリーが得意げに己を誇る。
だが誇るだけある見事な討論だった。あまりに一方的であまりに無慈悲。討論の討が闘争の闘に変わりかねないほど。
そのおかげで広間はすっかりと静まり返り、困惑の表情を浮かべていた者達も今は非難の視線をステイシーさん達に向けている。
「……すっかり活躍の場をエミリーに奪われてしまった」
とは、私の手を掴んだままのカイン様。
私への疑惑が晴れたことは良かったが、それは自分がやりたかった……。と言いたげな顔をしている。
どことなく拗ねているようにも見えて、場違いなのに「可愛らしい」と思ってしまったのは内緒。
そんなカイン様は拗ねていた事を悟られたのが恥ずかしいのか、少し頬を染めてコホンを咳払いをすると――その表情と仕草も私には可愛らしく見えるのだけれど――、改めるようにエミリーを呼んだ。
「エミリー、ここからは僕に対応させてくれないだろうか」
「あら、カイン様。私ってばオリハルコン賞に浮かれていて、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません」
「気にしないでくれ。それより助かったよ」
「それで……、ここからとは?」
「彼等の処罰についてだ。一方的に言われて見せ場無しは王族として情けないだろう? 特に今はジェシカがいるから、良い所を見せたいんだ」
「そこまで思われているお姉様はやっぱりずるいですわねぇ」
コロコロとエミリーが笑う。
普段から我が儘で「ずるい」を連呼するエミリーだが、話が分からない子というわけではないのだ。
本人が引くべきと考えた時はきちんと引く。――こちらが引いて欲しい時に引いてくれるかは定かではないが――
とりわけ今はオリハルコン賞の腕前を披露して満足したようで、品良くスカートの裾を摘んでお辞儀をすると数歩後ろに下がった。カイン様に場を譲る、という事だ。
「場を譲ってもらうのもそれはそれで情けないが、このまま終わるよりもマシだろう。ステイシー・フィシュア。それと、ステイシーを担ぎ上げてこんな馬鹿な騒ぎを起こした者には後日処罰を言い渡す。これ以上悪あがきはよして大人しく沙汰を待っていろ」
「……カイン様、私。本当にジェシカ様が魅了魔法を使っていると思って……、それで」
「そうです、我々はカイン様を救いたいと思って!」
切なげに訴えるステイシーさんの言葉に乗じて、彼女の後ろで青ざめていた者達が己の無罪を訴えだす。
勘違いで騒ぎを起こしたがカイン様を救いたかった一心だった。魅了魔法の恐ろしさを知っているからこそ、間違いを正そうと必死になってしまった。……と、あくまで自分達は善意の行動だったと訴え、恩情を得ようとしている。
挙げ句、彼等は私の方を向くと「ジェシカ様!」と名前を呼んできた。ステイシーさんは泣きそうな顔で、対して男達は鬼気迫るような迫力を感じさせる表情で。
そのうちの一人は名前を呼ぶだけに留まらず覚束ない足取りで私の方へと近付いてきた。
思わず私がビクリと肩を震わせて後退れば、察したギュスターが私の前にさっと割って入ってくれた。
「そこ、動くな。これ以上悪あがきをして無様な姿を見せないでくれ」
「カイン様、ですが我々は……。魅了魔法を……」
「話はエミリーが決着をつけてくれただろう。僕は彼女から引き継いで後始末をするだけだ。話を聞く気はない」
はっきりとしたカイン様の断言には怒りの色が含まれている。
静かで落ち着いていて、王族らしい気品を感じさせる口調。その静かさが反論を許さぬ圧を相手に与える。
正論で相手を叩き伏せたエミリーとはまた違った、それでいて同じくらいに無慈悲な断言。
これを受けて男達は縋るのも無理だと察したのか見て分かるほどに落胆して肩を落とし、ステイシーさんだけは掠れるような声で謝罪の言葉を呟いた。
見守っていた者達は誰もが終幕を感じ取り安堵する。
……エミリーだけは、私を見て恨めしそうに「お姉様ずるい」と呟いていた。
◆◆◆
ステイシーさんが引き起こした騒動は、世間に広がる前にカイン様が収めてくれた。
発端は、王族と繋がるロゼット伯爵家への妬み。とある家が我がロゼット家を引きずり降ろそうと考え、カイン様に横恋慕していたステイシーさんや、与太話を鵜呑みにしてしまった男達を利用したのだ。
直接手を下さず彼女達を利用したのは、いざとなれば切り捨てようと考えたからだという。もっとも、カイン様はその企みさえも看破し、発端である家に処罰を下した。爵位を剥奪するという厳しい処罰だ。
もちろん、利用されたとはいえステイシーさんや彼女の後ろに付いていた男達も処罰された。こちらは家からの追放。ステイシーさんは大人しくそれを受け、深く頭を下げると社交界から去っていった。今は田舎で静かに暮らしていると聞く。
そうしてこの一件が世間に広まることなく終幕となり、頃合いを見て私とカイン様の結婚式が行われた。
華やかに飾られた式場。数え切れぬほどの生花が会場中はおろか会場までの道を飾り、楽団は今が腕の見せ所と軽やかな音楽を奏でる。来賓達は誰もが私達を祝福してくれて、両親は何度もスカーフで涙を拭っていた。
そんな式を終えて今は夜会。
王族の結婚だけあり祝いの場は何度も開かれている。愛を誓いあう厳格で神聖な式から始まり、他国の来賓を招いてのパーティー、国内の主要人物達とのパーティー。そして今は夜会。
数え切れないほどの祝いの言葉を送られ、それに返し……、としている中、僅かに空いた時間で会場の外へと出た。
庭園は美しく、月明かりを受けて花が輝いて見える。
あの騒動を経て結婚からパーティー続きの私には庭園の静けさが随分と久しぶりに思え、ベンチに腰を掛けると小さく息を吐いた。
「ジェシカ、ここに居たのか」
声を掛けてきたのはカイン様。
今は紺色のスーツを纏っており、落ち着いた色合いの服装と金色の髪がよく合っている。
結婚式で着ていた白いスーツも素敵だが、今の紺色のスーツもまた素敵だ。ほぅと思わず吐息を漏らせば、彼は苦笑を浮かべながら隣に座ってきた。
「パーティー続きで疲れさせたかな」
「いえ、夜風が気持ちよさそうだったので少し当たろうと思っただけです。それに、これほどたくさんの方に祝って頂いて疲れなんて感じません」
「そうか。でももし疲れたなら言ってくれ。その時はどこかで休ませてもらおう」
カイン様の気遣いに、私も感謝の言葉を返す。
そうして二人きりの時間を……、となったのだが、
「あ、ここにいたのね。お姉様ずるーい」
と、自然な流れでエミリーが現れた。
「エミリー、あなた最近、とりあえず『ずるい』って言っておこうと思っていない?」
「失礼ね。そんなこと考えていないわ。素敵な夜景を眺めていてずるいって思ったのよ」
「そう……。それで、私をずるいって言うために探しに来たの?」
「お姉様もずるいけど、カイン様もずるいわ」
不満そうなエミリーの言葉に、私は思わずカイン様と顔を見合わせた。
幼少時こそ我が儘で周囲を手当たり次第にうらやんでいたエミリーだが、相応の年齢になると羨むのは私だけになっていた。そのぶん「お姉様ずるい」を集中的に言われていたのだけれど。
そんなエミリーがカイン様に対して「ずるい」とは……。
「エミリー、僕のどこがずるいんだ? もしかして素敵な伴侶を得たからずるいって事かい?」
「まさか、エミリーあなた、私達が周囲から祝福される愛し合う夫婦だからずるいと言いたいの?」
「二人揃って惚気てこないで! 私がお姉様とカイン様をずるいと思う理由はただ一つよ!」
勿体ぶるようにエミリーが一度言葉を止める。
そうしてスゥと息を吸うと、口を開き……、
「私という素晴らしい妹を持っていることがずるいのよ!」
と、高らかに断言した。
瞬間、庭園に、本来の静けさとは違う静けさが漂った。
「エ、エミリー……、素晴らしい妹、って……」
「こんなに素晴らしい妹がいるんだから、ずるいと思われて当然じゃない。私は私という素晴らしい妹を持てないのよ?」
「そ、そう……、ね。エミリーはエミリーを妹に持つことは出来ないわね」
「そうでしょう? だから、私という素晴らしい妹を持っているお姉様はずるいし、お姉様と結婚して素晴らしい義妹を持つカイン様もずるいのよ」
己の自論を疑いもしていないようで、エミリーはふんと得意げに胸を張っている。
そんなエミリーの話に、私は数度瞬きをし、……そして耐え切れずに笑い出してしまった。
「そう、そうね。エミリーみたいな素敵な妹を持っているんだもの、私もカイン様もずるいわね」
「ようやく認めたわね。お姉様はずるいのよ!」
「えぇ、本当にそう思うわ」
笑いすぎて浮かんだ涙を指先でそっと拭う。
見ればカイン様も楽し気に笑っており、私と目が合うと「素敵な妹を独占するずるい夫婦だな」とこの話に乗じてきた。
彼の言葉も面白くてまた私の笑いを誘う。同意を示せばエミリーがほら見たことかと言いたげに得意げに胸を張るので、それもまた面白い。
「でもエミリー、貴女だってずるいのよ?」
笑いを堪えながら私が告げれば、エミリーが意外な事を言われたと言いたげに目を丸くさせた。
「私が? お姉様じゃなくて? どうして私がずるいのよ」
「こんなに妹想いの素晴らしい姉を持ってずるいじゃない。私、外に出てくる前に彼にエミリーと一曲踊ってくれるように頼んでおいたのよ?」
「彼に……?」
いったい誰? と問うようにエミリーが首を傾げる。
だが「こちらにいらっしゃいましたか」と声が掛かるとビクリと肩を震わせた。途端、エミリーの顔が赤くなっていく。
「ギュスター……!」
「あ、申し訳ございません。カイン様とジェシカ様とお話をされていたんですね。自分はどうもタイミングが悪く……、お邪魔をしてしまいましたか」
「い、いえ、良いのよ! 話はもう終わったもの!! そ、それより、お姉様から聞いたんだけれど、私と……」
「はい、一曲お願い致します。もしよろしければ、先日デザインしたというドレスについて伺ってもよろしいでしょうか? とても素晴らしくデザイナー達が騒いでいたと聞きました」
「え、えぇ、もちろん良いわ!」
「では参りましょうか」
ギュスターがエミリーに手を差し伸べる。
真っ赤になったエミリーは、私のビンタを避ける時の軽やかな動きが嘘のようにおずおずとゆっくりとした動きで、それでも彼の手を取った。
「なるほど、そういう事だったのか」
と感心するように呟いたのは、ギュスターとエミリーを見送った後のカイン様。
彼の言葉に、私もまた彼等を見守りながら頷いて返した。
「エミリーは昔から私に対して『ずるい』と言っていましたが、特にカイン様と過ごした時によく言っていたんです。恋愛に対して憧れを抱くような言い方でした」
「それでいて僕には興味が無くて、相手を探すような素振りはしていなかったと言っていたもんな」
「はい。だから不思議に思っていたんですが、あの騒動の時、ギュスターに護られた私を『ずるい』と言ってきて、それで気付いたんです」
エミリーはギュスターに想いを寄せていた。
だから私がカイン様と会うと『ずるい』と言っていたのだ。ギュスターはカイン様の護衛を務めており、私がカイン様と会う時はいつも彼がそばにいたから。
時には彼も交えて話をし、共に行動をする。以前にあったパーティーでは、カイン様が先に会場に戻り、私は少し遅れてギュスターに会場に案内された事もあった。思い返せば、あの時のエミリーの『ずるい』はいつもよりしつこかった気がする。
どうやら私の予想は当たったようで、ギュスターと踊るエミリーは遠目でも分かるほどに嬉しそうだ。
「まさかエミリーがギュスターのことを……」
「私としてはうまくいって欲しいのですが、どうでしょうか」
「驚きはしたが、意外とうまくいくんじゃないかな。ギュスターは振り回されるのは苦じゃないタイプだし。なにせ長年僕の護衛を務めているくらいだからね」
カイン様が悪戯っぽく笑う。
彼がふとした時に見せる子供のような笑みだ。私からのキスを強請る時とか……。
あの時のやりとりを思い出し「確かにそうですね」と同意した。カイン様は時々悪戯っぽくなったり、何かを企んだりする。
もちろん、すべて可愛く思えるような企みだけれど。
「だけど、ついに僕もずるいと言われたか」
「妹が失礼なことを言って申し訳ございません」
「謝らなくて良いさ。実際に、世界で一番の女性を伴侶にして愛されているんだから、エミリーどころか世界中からずるいと言われても仕方ないくらいだ」
「まぁ、カイン様ってば。……ですがそれなら、世界で一番の男性を伴侶にして愛されている私もずるいと言われても仕方ないですね」
カイン様の言い分に思わず私も笑いながら同意すれば、彼が楽しそうに目を細めて笑った。
その表情にもまた私の中で愛おしさが増す。温かくて優しい笑顔。なんて素敵なのだろうか。
その愛おしさに後押しされ、私はそっとカイン様に身を寄せた。
「カイン様、動かないでくださいね」
「ん? 頬にキスをしてくれるのかな?」
カイン様が嬉しそうな表情を浮かべる。そんな彼に、私は「動かないで」と念を押した。
以前に私が頬にキスをしようとした時、彼は私の行動を先読みし、それどころか隙をついて頬へのキスを唇へのキスに変えてしまった。
その時のことを彼も覚えているのだろう、「今回は大人しくしているよ」と苦笑交じりに告げてくる。
そんな彼に、私は愛を込めてキスをした。
頬に、……ではなく、唇に。
軽く触れてさっと離れれば、カイン様が目を丸くさせた。
「ジェシカ、今……」
「カイン様ってば、頬へのキスだと思って油断しましたね? お顔が真っ赤ですよ」
彼の頬をちょんと突っついて笑えば、カイン様が気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ずるいなぁ」という彼の声は甘く嬉しそうで、私はしてやったりと笑いながら「えぇ、そうです。私ってばずるいんですよ」と同じように甘い声で同意した。
……end……
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