人気者《きみ》の中には
自宅での仕事に一区切りついた小島。腹減って冷蔵庫を開けるが何も入っていない。部屋中を探しても食べ物という食べ物が見つからず、仕方なく外へ買いに出ることになる。
「つっかれたぁ〜」
いつも通りの薄い布団に背中を預けながら、疲労に満ちた声を上げた。
膝に置いたパソコンも、寝っ転がった衝撃で傾いて、腹に激突する。
「うっ」
でもそんなことは気にしない。
あれだけあった山のような書類に目を通し、合わせて作成した資料。全て片付けたのだ。
とりあえず一区切りついた小島は、ただただ久々のこの開放感に浸った。
(ああ……もう動きたくねー……でも——)
それに合わせるように腹から盛大な音を部屋中に響かせた。
「腹減った……」
呟いたのを引き金に、むくりと起き上がった。
吸い込まれるように冷蔵庫に行ったが、開けたらあら大変。
「なんもねー」
ガクンとうなだれると、静かに冷蔵庫を閉めた。
炊飯器も確かめてみたが、さすがにもう空だった。
インスタントはどうだろうか。入ってると思われる引き戸を引いてみると、なんだか仕組まれているのではないかと思うくらいに——
「ない」
閉じると、さあ、どうしたものかと腰に手を当てた。
「もうなんもないじゃん……せめて菓子とかくらいは買っとけっての……」
今までの自分に言い聞かせるように呟く。
面倒だが、何か買ってこようか。でも、まともな休み、何もしなくても良いという幸せ、もはや夜まで寝てても良い。もったいないと思う人もいるだろう。だが、それでいいのだ。そんな言葉、今のオレには効かない。
「むむー……」
葛藤したのち、結局、空腹には勝てない。何か買うことを選択した。
部屋着のままでも良いと感じたが、汗をかいてもと思ったのか、そこら辺の服を拾って着替えた。まだ、暑いとはいかないが、暖かさが増している。一応を考えても問題ないだろう。
しっかり鍵を閉めたことを確認し、階段を降りた。
エコバッグを手に持ち、携帯と財布はポケットに突っ込んだ。
(コンビニか……それともスーパーか)
どちらにしようかと迷ったが、スーパーに行くことにした。
コンビニの方が、スーパーよりは近いのだが、コンビニは高い。なんでも揃っている分、スーパーに比べると価格は高く感じてしまう。
(なんか特売やってたっけ)
ぼやーっとした記憶を思い起こしながら、スーパーへとゆったりとした時間を過ごした。
スーパーが見えてきた。そこまで広いとも言えないが、狭いと言うほどでもない。
大抵は揃っているので、文句はないのだが。
自然と早足になって前に進んでいると、ドンっと誰かにぶつかってしまった。一瞬よろけたが、後ろ足を踏ん張ってそれを阻止する。
「す、すみません!」
すぐに口から出た謝罪の言葉に、相手も同じように返してくると、何事もなかったかのように、お互いの道を進んだ。そして、その時だった——
(あいつっ……!)
——謎の声が聞こえたのは——
「だ……」
れと言い切る前に、小島は落とされるように意識が消えていった。いったと思った。
「おいお前!待ちぃや!」
おそらく自分と思われる声が耳から伝わる。
走り出した自分の足。スーパーとは真逆の方向へ、そして、先程ぶつかった人の元へと全速力で走った。
その声に反応した先程の人は、ハッとして走り始める。
だが、自分は喋っていない。だが、自分の口から発せられ、体も動いている。
体が妙に軽い。だが、まるで自分の中にいるような不思議な感覚。
まるで……映像でも見ているのではという感覚。
「待っってコラって!」
追いつくと、その人の襟を掴み、こちらに寄せるように腕を引く。
「んだテメっ!」
それに怒った先程の人。ちゃんと見てなかったが、男だったようだ。
小島は襟を掴んだまま、暴れる男を前に言った。
「お前今、こいつの財布取ったやろ?」
自分を指しているが、なぜこいつなのだろう。
「なっ……何言ってんだコラぁ!んなことっ——」
「これは、確かに『ショーじ』のや。堪忍しぃ」
いつの間にか抜き取られていた財布に驚いたのに、今度はいつの間にか、小島は抜き返していた。
それを見せながら言ったので、男もいつの間にと自分の上着のポケットを確認する仕草をする。
そして、何事かと周りに人がざわざわと集まってくる。
都合が悪いと判断したのか、男は無理やり小島の手を剥がすと、よろけた体で全力で走ってみせた。
「次は無いでー」
その後ろ姿を見てそう言うと、ハッとして財布の中身を確認する。
「さ、財布の中身、これで全部やろか……確認せぇへんで逃してもうた」
あわあわとする謎の存在に、ダメ元でそれに話しかけるように声を出してみた。
(それで全部のはずだよ、多分)
声に出したはずだが、自分の口から発されることなく、心の中で発されたような形になった。
「そ、そうか……ならよかっ——」
途中まで出された言葉が止まった。意識がないと思っていたのか、突然の声にビクッと肩を揺らした。
「な、なんでぇ?」
(それを聞きたいのはこっちなんだけど……とりあえず、オレの体返してくんない?)
「せ、せやな!」
そう口にすると、スッと意識が水から浮き上がるように自分の体にはまっていく。
「も、戻った……のか?」
口をパクパクさせ、自分の頬やら、口やらを触って確かめる。
(戻ってんで、ちゃんとお前さんの体にな)
先程は自分の声だったが、今は別人のように違う。渋い、というか、声からして男性。明らかに自分より年上そうな声。だが、その中に若々しさをも感じる、不思議な声だった。
「……ていうか、誰?」
心の中で念じれば良いものだが、なんとなく声に出して話してしまう。
(そらぁ……あれや。まあ、いろいろあんねん)
「説明にもなってねー」
(そんなことよりええんか?今日、肉の超特売やで?)
「えっ」
(ほんまやて、あのスーパーは毎月、ニが付く日は肉の特売。特に二が二つ付く、二十二日は、肉の超特売。毎月戦争や。早よ行かんと出遅れるで)
「んでんなこと知ってんだよ……ていうかそれを早く言えよ!」
そう独り言を呟きながら、スーパーへと走った。
謎の人物の助言で、なんとか二パック肉をゲットすることができた。よく母さんが「戦争に勝ってきた!」と肉を掲げていたが、その気持ちがよく分かった。
そして、よろよろとしながら買い物カートを押していると、謎の人物が声をかけてきた。
(こ、これ!おい、これがいい!)
そう言われ、隣の棚を見てみると、生姜のポテトチップスが置いてあった。
それにしても一人称が『おい』って……
「……なんで?」
疲れ切った顔でそのポテトチップスと向き合う。
(これがごっつうまくてのぉ……小腹が減った時はもちろん、ご飯にかけても美味いんやで!)
その言葉にはぁーと息を吐いて、額に手を当てる。
「そんなこと聞いてんじゃないって……」
(騙されたと思って、一回食ってみ!やみつきなってまうでー?)
そこからずっとそのポテトチップスの魅力やらなんやら聞かされそうになったので、仕方なく一つだけ入れた。
そこから適当に安い食材と、いざと言う時のレトルト食品をいくつか買って、スーパーを出た。
家に帰るまでの時間、改めてそいつと話すことにした。
「えっと……聞き損ねてたんだけど、名前は?」
地味に重いエコバッグを持って、ゆっくりと足を進めた。
(名前?ああ……名前な……)
その様子にあまり教えたくないと感じ取ったのか、小島は口を開く。
「ああいや、言いたくないならいい」
それにそうではないと、慌てて否定する。
(ちゃ、ちゃうねん!そうやのうて!呼びやすいのがええかな思とっただけやて……)
思った以上の慌てようで少し驚いたが、小島は思ったままのことを言った。
「別に気にしなくていいよ、オレだって呼びづらい。小島だし。だから勝手に呼びやすく呼ぶさ」
(そ、そうか?なら、おいの名前は、置多田いうんや。な?呼びづらいやろ?)
「まーたしかに」
包み隠さずサラッとそう答える小島。
(少しは否定せーや!)
「呼びづらいって自分で言ってたろ」
そんな会話に、自然の笑みが溢れた。
こんなふうに、どうでもいいこと話して、まともに誰かと語り合ったのって、いつぶりだろう。
そんな新鮮さを感じながら、家に帰った。
再び小島視点が帰ってきました。主人公は出てもすぐに帰っていきますね。しばらく小島さんをよろしくお願いします!