とある人気配信者
暗い雰囲気を漂わせるごく普通……とは言えないが、一応会社員に勤めている小島。押し付けられる仕事、怒鳴り散らす暴力上司、これを世間ではブラックなんちゃらというのだろう。思ってもないことを口にして、ひたすら頭を下げる。そんな彼の裏の顔は、配信者。
だが、再生回数もごくわずか、コメント数も同様、あるとしても良いとは言えない言葉ばかり。会社員と配信者を行き来しながら、彼はいつものようにこれをループする。
人は、誰かを頼らなくては、生きていけない。
確かに、親がいなければ人は生まれない。何かを学ぶには、先生が必要。それぞれ持っているスキルが違う。得意不得意を補い合わなければ成せないことだってある。
だが、オレはそんな大層なスキルを持っていない。人を頼ろうにも、頼れる人はいない。
子供の頃、夢見てたことがある。それは、画面の前で楽しそうにする配信者。自分も楽しそうなのに、それを見ている視聴者も楽しませる。そんな姿に、自分もなれるだろうかと夢見ていたことがあった。
勢いで動画配信を始めた。当然視聴者はバーンと増えるわけもなく、さまざまなことを試した。ゲーム、悩み相談、絵、などなど、自分には不向きだとわかっていたこともやった。
だが、それでもダメだった。
ある時、自分の動画のコメント欄で見つけてしまった。
『正直言ってつまらない』と。
はっきりと言われてしまった。
それに続くように、さまざまなコメントが寄せられた。
『才能ないよ〜』
『他のこと始めたら?』
『やってて楽しいの?』
もちろん良いコメントもいくつかあった。だが、段々悪い方が多く感じられるようになった。傷つくのもあったが、段々と怒りが込み上げてきた。
お前らに何がわかるんだよ。と。
子供の頃から夢見てきた配信者。それをやりたくてやっているだけなのに、他人が口出ししてくる意味は?つまらなければ、見なきゃいい話だろ。
なんでも口に出せてしまうネットだからこそ、軽々しくそう言えてしまう。
ふざけて言っているのもあるだろう。本気で言っているのもあるだろう。アドバイスのつもりなのだろう。
オレを見下しているのだろう。
弱い人間は、弱い人間を見て、生きていく。日頃の自分と重ね、勝手にイラついて、勝手文句言って。
それがオレ。
弱い者は、強い者に縋るしかない。媚び売って、頭下げて、思ってもいないこと言って。時には濡れ衣をかぶって。
オレがやっていることって、一体なんなんだろう。
「小島!!」
耳に響く声を上げたのは、うちの上司だった。
「はい……」
メガネをかけた暗そうな男性が、弱々しい声で返事し、その人の元へ向かう。
いかにも怒ってますオーラを出した上司は、手に持った資料をパンっと小島の胸に叩きつけると言った。
「これちゃんと確認しとけっつったよなぁ⁉︎おかげで俺のミスになって大恥かいたんだけどどうしてくれんの?ああ⁉︎」
普通の声でもしっかり聞こえる位置にいるのに、大声で怒鳴る上司。
(オレに任せたのお前だろ)
いつも通り頭を下げて謝る。
「すいません!」
「すいませんじゃすまねぇよ!」
そう言って小島の腹を力強く蹴る。
「ぐっ……」
必死声を押さえながらも、声が漏れる。床に倒れ込み、腹を押さえながら立ちあがろうとするも、それは阻止される。なぜなら、上司は立ち上がる隙も与えず、もう一度蹴りを入れたからだ。
「いつまで経っても変わんねぇなぁ?お前は!」
「うぐ……」
何回も何回も体に衝撃が走る。
「すいません!すいません!ちゃんと、しますから!」
腹を庇いながらただ謝り続ける小島。
もう何度言ったことだろう。この言葉。もううんざりするほどだ。
自分でブラック会社に入ったのに、なんだろう。楽な気がする。
今日も満足するまで蹴らせればいい。それで一日が終わる。それで満足して帰っていく。それで何も言われないなら、もうそれでいい。難しいこと、考えなくていい。
よろよろと歩きながら、お腹をさすって家までゆっくりと足を進める。
(今日は、いつもより長かったなぁ)
そんなことを考えながら、倒れそうな体を堪えて歩く。
多分、あの時課長が上司を呼ばなければ、もう少し続いていたと思う。
(オレ……いつまで生きてられっかな……)
今こうして生きているのが不思議なくらいの人生だ。
辞めたい。そう思ったことなんか数えきれないほどある。でも辞めさせてもらえなくて、目の前で辞表をビリビリにされて、ああ、もう無理だなと思った。ここからは、一生出られない。
(定年退職まで踏ん張れるかな……それでも辞めさせてもらえなかったらどうしよ)
ハハっと軽く笑う。酷すぎて、笑える。
日に日に増えていくアザ。ピリピリする体。ボロボロな心。
そんなオレは、配信者をやっている。それが唯一の癒しとも言えるだろう。
「はぁ……はぁ」
荒くなる呼吸。辛い。体が思うように動かない。早く横になりたい。
そんな思いを胸に、小島は冷たい地面に倒れた。
「——まさん——じまさん——」
誰かが、自分の名前を呼んでいる。思い瞼を開けると、そこには見知らぬ女性がこちらを見て叫んでいた。
「——小島さん!」
「っ!」
その声にハッとすると、ガバッと起き上がる。びっくりした看護師らしき人が起き上がる小島をギリギリで避ける。
自分の部屋ではない。綺麗にされた部屋。覆われたカーテン。真っ白なベッドに、看護師。そして、鼻をツンっとさす、病院の匂い。
「いっ……」
突然の痛みに、思わず腹を押さえる。
「まだ動いちゃダメですよ!全身アザだらけなんですから!」
看護師がそう言って寄り添う。
記憶が曖昧だが、なんとなくわかる。とうとう倒れるまでにきてしまったか。
「道で倒れてたって病院に搬送されたんですよ?一体何があったんですか?」
そんなことを聞かれるが、何があったかなんて言えるはずもない。
「……あ」
一瞬本当のことが口から漏れそうになったが、口をキュッと結んで堪える。
「ちょっと、最近転びやすくて……」
えへへと軽く笑ってみせる。正直軽くだけでも、全身に響いて痛い。
看護師は明らかに疑わしそうにじとーっと小島を見つめる。その顔にうぐっとなりながらもその場を流す。
「はぁ……とりあえず、今日は安静にしててください。しばらく経ったら念の為検査をしますので、呼びにきますね」
ため息を吐きながらも、それだけ言って部屋を出て行った。
それで気が抜けたのか、ベッドに背中を預けた。ボーとしてるだけでも、なんだか心地がいい。病院は別に好きではない。でも、自分の部屋より気が抜けた。
(やば、もしかして昨日、配信できてないかも……)
ふとそんなことを思う。下手をしたら今ここにいないかもしれなかったのに、何を言ってるんだか。
小島は今しか味わえないこの空間に浸りながら、ほんの少し眠りについた。
検査の結果、もう少し休む必要があると言われた、体もそうだが、精神的にもあまりよろしくないようだ。
それでもそう休んではいられない。もし休みにでもしたら、今まで以上の仕置きをくらうだろう。どうせ休んだって、次の日には元通りだ。
小島はなんとか説得をして病院を出た。家で安静にしているからと。医師が引き止める隙を与えず、少しは楽になった体を動かして、家に帰った。
正直、もう少しあの場所に居たかった。ほんの少しでも、ゆっくり眠れたのはいつぶりだろうか。
また、同じような生活に戻る。ただそれだけ。これが自分の人生だ、自分で選んだ道だ。今更後悔なんてしてられない。
部屋の中は相変わらず綺麗とは言えない。溜まったゴミ袋が玄関を埋め、部屋着もそこらに投げ捨てられている。中央に机があるくらいで、本当に何もない。
(これが、家か)
一人になると、こうも悲惨なのだと感じる。
冷蔵庫から冷たい水のペットボトルを出し、まとめてある雑誌を腰掛け代わりにして座る。
(ソファくらい……欲しかったなぁ)
パキッという音を立てて、水滴の付いたボトルを持ち上げて口に近づける。口を付けた箇所から冷たい水が入り込み、喉、腹へと満たしていくのを感じる。
ふぅーと一通り水分を摂取すると、蓋を閉め、机に置き、倒れ込むように横の平たい布団に体を沈ませた。
冷たい。硬い感覚。病院のベッドとは大違い。あのふかっとした感触とさらっとした手触りを思い浮かべながら、自分の布団を撫でる。
今日は眠れたはずなのに、横になった途端、一気に睡魔が襲ってきて、しょぼしょぼとした瞼を閉じ、体を休めた。
カーテンの隙間から差し込むのは、朝だと知らせる太陽の光。そして、起こすように鳥が鳴く。
また眠りにつきそうな瞼を持ち上げて、上体を起こす。どうやら昨日はあのまま眠ってしまったらしい。
ぼーとした意識の中、ふと浮かぶ思い出したくもない会社の姿。
「んー…………っ!」
目をカッと開き、ようやく目を覚ます。手探りに携帯を探し、手に取るとすぐに時間を確認する。時刻は四時四十一分。準備するにはまだ早い。
「はあ……びっ……くりしたぁ」
額に手を当てながら、ホッとした息を吐く。
自分の生活が、だんだん会社に支配されているのを日に日に感じる。
もう少し寝ようとも思ったが、今度こそ遅刻しては洒落にならないので、起き上がって洗面台で顔を洗って、改めて起こさせる。
朝食の準備でもしようかと、冷蔵庫をのぞいたが、数本の飲み物と瓶に入ったのりの佃煮にくらいで、ほぼ空に等しい姿であった。
恐る恐る炊飯器を覗くと、奇跡的に二杯分くらいは残った白米があり、冷蔵庫の佃煮と合わせて、それを朝食にすることにした。
やはりすぐに食べ終わってしまい、時計を見るも、まだ出る時間にはならない。
(洗濯でもするか)
そう思い、洗濯機へ向かうと、洗うのは下着か一、二枚のシャツくらい。着回しなどをしていたのもあるが、会社以外外に出ることがないに等しい。
とりあえず、洗濯機に放り込むと、またまたやることがなくなる。スーツに着替えてもいいが、しわくちゃになっては大変だ。スーツといえば、こうのんびりしているが、急ぎの仕事はあっただろうか。
布団で再び横になっていた小島は、携帯を手に取ると、ファイルを開いて確認する。
特に急ぎの仕事はなさそうだ。
「はあ……」
携帯を手に持ったまま、息を吐くのと同時に、持ち上げていた腕から力を抜くように広げる。
このまま眠ってしまいそうになり、起き上がって再び携帯を見る。最近見れていなかった動画の数々に手をつける。
どれも自然と笑みがこぼれてしまう、そう、オレの憧れる理想。どれも輝かしい。こんなオレとは違って。
(待て待て!)
ネガティブなことばかり考えている頭をふるふると振って切り替える。
(動画ってのはこんな気持ちで見るもんじゃないって!)
そして数十分の動画を見終わると、ある動画がおすすめ欄に出てくる。それは——
「オレの動画……?」
ぼーと眺めていると、自動的にその動画が流れ始める。
『えーと、なんやったっけか?あ!「ショーじ」の……パーティートーク!これか?おーこれこれー』
などと一人で賑やかに喋る自分の姿。だが、なんだろう。まるで別人のようだ。
流れ続ける動画の下をふと見ると、そこにはこの動画の再生回数が表示されている。結局、いつも通り——
「!」
手がブルブルと震え、目がガンっと見開く。
(さ、再生回数が……)
その画面をしっかり目に映したまま口にした。
「はちゃめちゃ上がってるぅぅ!!」
流れるようにコメント欄を見てみると、今までにないコメント数。そして、マイナスなことばかりで目立っていたコメントも良い印象が多くなっている。
呆気を取られたように、力無く床に手をつくと、額に汗を滲ませていた。
(今まで、一番多くて百三十三回だった動画が、一晩で……こんな……)
再び携帯を見るが、正直これは自分でないように思える。そもそもいつもこんな喋り方はしないし、昨日動画を撮った記憶もない。
この画面に映る『ショーじ』の姿は……
「本物みたいだ……」
ポツリとそう呟く。いや、ショーじは確かに自分だ。でもこれは、小島の求めていた理想型。自分も楽しく、視聴者も楽しい。それが今、画面の中で実現されている。
そうこうしているうちに、時間が迫っている。目に入った時計を見ると「やべ」と、布団に滑りそうになりながら、支度を進めた。
(今日は珍しく少し怒鳴られる程度で済んだな)
仕事帰り、いつもの道を歩きながら、今日のことを振り返っていた。
朝は例の不思議なことで頭がいっぱいだったが、途中からそれどころではなくなっていた。いつも何かと暴力を加えてくる上司の顔を伺うことに頭を使っていたのだ。今日は仕事を押し付けられ、この前のことがまた起きたらぶっ殺すぞと脅されたくらいだ。
ひと段落した仕事を頭の片隅に置き、朝の出来事を考え始める。
(それにしても、なんだったんだ?朝の……)
相変わらず下を向き、足元を見て歩く小島は首を傾げるばかりであった。
(オレのにしては、喋り方、企画、編集も全部別物だ。しかも今のオレには考えられないほどの出来。それに、動画が配信されたのは昨日の夜中。オレの記憶は水を飲んだとこくらいしか覚えてない。というか、あのまま寝落ちした気しかしない……配信なんてできる体じゃなかったし、時間もなかった。なのに……)
現に動画は配信され、未だに回数を伸ばしている。
「はあ……」
(全くわからない……)
頭を抱えながらため息を吐く。
自分の動画を見てくれる人が増えたこと。それは嬉しいはずなのに、自分で撮ったかも怪しい、そんな動画が伸びているというのは、少し複雑だ。
そんな中、楽しそうに話す男女の声が耳に入る。おそらく学校帰りだと思われる二人、前から歩いてくる姿が目に入った。
すれ違いざまに聞こえた話からして、何かを食べた帰りのようだ。
(いいなぁ、これが青春ってやつか……)
なんだかそんなことを思う。自分でもオヤジくさいことを言っている気がする。
「ははっ……なんかいろいろおかしくなってんな、オレ……」
とぼとぼと帰路を歩いて、自分でも聞こえないような声で呟いた。
今回はこの話では主人公と言えるような人の話です。わけがわからない、という方がいらっしゃったならすみません!今後もこんな感じがあるかも知れませんが、温かい目で見守ってください。よろしくお願いします!