彼女は爪をたてる
ついにこの時がやってきてしまった三人。二手に分かれて霊との距離を離すが、予想を超える霊との戦闘で二人の元へ逃してしまった力声。すぐさま追うが、その霊はかなり暴走していて——?
「ぐっ……」
ものすごい煙の中、力声は腕で口を覆いながら、もう片方の手で煙を払うようにして歩く。
(かなり力が暴走してんな……これじゃ他に被害がまわりかねないぞ……っていうか、もうまわり始めてるか)
力声は腰から銃を抜くと、しばらく耳を澄ます。
スッ……
(きた!)
力声は右手で銃を構えると、迷わず一発を放つ。それは斜め左の壁に向かって進むと、壁に当たって跳ね、跳ねたその先の通路に真っ直ぐ進む。
「ぐあっ」
そのような声が聞こえると、力声はその通路に駆けつける。それと同時に銃口をそれに向ける。
が、そこには誰もいない。
「は?いない?」
暗くて見えていないだけかと、奥まで進んでみるがゴミ箱の裏や中にもいない。
(確かに当たったはずだ……)
すると、後ろに不穏な気配が力声の背中を刺す。
「っ!」
その気配に力声は後ろを振り返ると、壁に這いつくばるようにくっついていた。
髪の隙間から見える口は不気味に笑っていた。
ドーン!
また何かが崩れるような音が鳴り響く。
(音が近くなってる、このままじゃ……)
光は後ろにいる咲桜に目を向ける。
「さっきから、一体何が起きてるんですか?」
咲桜はそれをずっと考えていたようだったが、やはり考えても分からず、光に聞いてくる。
「俺もよく分からない。けど、止まったら危ないのは確か」
「…………」
その言葉に咲桜も不安そうな顔をする。その様子を横目で見た光は、咲桜に声をかける。
「大丈夫」
「っ……!」
下を向いていた咲桜は顔を上げる。光も前に向けていた顔を咲桜に向けた。
「絶対無事に帰すから、それは約束する。だから……いや、心配しないでとは言えないな……」
一人でぶつぶつ言ったのち、光は「よし」と声に出すと、再び言った。
「心配は、ちょっとだけして」
ちょっと、と示すように、親指と人差し指を近づけて見せた。
それに咲桜はきょとんとしたが、しばらくすると、ぷっと小さく笑ってしまった。
「ふっ……それ励ましになってません」
光はそれを聞いて困った顔をしたが、咲桜は続けて言った。
「でも、ちょっとだけ……心配しておきます」
と、光がやったのと同じように、ちょっとと指で示す。
光はそれを見て少しホッとすると、優しく笑みが溢れた。
シュッ!
と女性が腕を振れば、振った先の建物は綺麗に切れて崩れる。
「切れ味やぁばあ」
それを見た力声はそんな声が漏れる。
爪であんなことができるなんて、もう包丁いらないじゃん。などと考えていると、また次の攻撃がくる。それを難なく避けると、パンッ!と銃口から弾が発射される。
それは女性の肩をかすめた。
「やっぱ予備の安物は使いにきぃ」
と手に持つ銃を眺めながらぼやくと、また一発を放つ。
二発目はさすがに避けられ、その鋭い爪を振り下ろす。
恐ろしいほどの切れ味を持つその攻撃は、力声の後ろの建物の一部を崩す。
頭上から硬いコンクリートの欠片が、次々と力声を襲う。鈍い音を立てながら地面に落ち、力声を一瞬にして埋め上げた。
「ぷはっ」
欠片の中から顔を出すと、手や胴と次々と出す。
「よいしょっと……」
コンクリートの山から降りると、パンパンッと服に付いた汚れや粉を落とす。
力声は予想通りの景色にため息を吐いた。
「……俺って、霊に嫌われてんのかな……」
誰もいなくなった、しん……っとした空間を目に呟いた。
暗くなってきた辺りを、がむしゃらに駆ける女は、負の感情で溢れていた。
怒りはもちろん、憎い、苦しい、悔しい、様々な感情が、女の中で入り混じり、それがどんどん膨れ上がっていく。
もはや自分が何に対してこんな感情をばら撒いているのか、分からなくなってくる。
ただ一つ確かなのは『愛する人がいた』ということ。
その人を探すため、いろんなもの犠牲にした。何年も何年もここにとどまり、ただもう一度、一目会いたいがためにやっていること。
何も間違っていない。
間違いなどと言われても、私が認めない。
これほどの思いを積んで積んで積み重ねてきた思いを、誰にも否定させはしない。
(近い近い近い……!)
何かを辿っているのかそう感じ取ると、さらにスピードを上げる。
風に煽られ髪が後ろに靡く。口元は徐々に笑みを見せていく。
(……いたぁ……)
求めていた姿を捉えると、笑みが隠しきれず、溢れ出しそうで口元を隠すように押さえるが、全く隠しきれていない。
女は壁に乗り移ると、スピードを落とさず進み、捉えた二人の頭上に向かって飛び降りた。
「暗くなってきたね」
まだ明るさは残っているが、全体的に暗さを帯びている。
辺りもまだ見えるが、元々場所が暗い分、さらに暗く感じる。空を見上げた光は、思ったことを口にした。
「そう、ですね」
咲桜も同じく空を見上げながら、短くそう答えた。
「あ、そういえは今更だけど、家、大丈夫?」
「え」
本当に今更だが、一応咲桜に関わることなので聞く。
「なんか思ったより遅くなってるし、心配してないかなーって……」
自分で連れ出しておいて何を言ってるんだと光ならキレる案件だが、咲桜はさらっと答えた。
「ああ!一応今日は遅くなりそうとだけ伝えてあるので、あんまり遅くならなければ大丈夫かと……」
「おお……」
なんと仕事が速い。いつそんなことやったのかはわからないが、感嘆の声を漏らす。
そんな中冷たい風が二人に吹き抜ける。だんだん冷えてきたことを体で実感しつつも、前に進む。すると——
また例の感覚に襲われる。視界が青みがかった色に覆われ、その後自分がどうなるのかを見た。誰かに、切り裂かれる瞬間を——
少し強めの風が吹き、片腕で顔を守るように覆う。そして、その風の中に奇妙な音を拾った。
微かだが、誰かの足音と髪が擦れる音が混じっていた。
見える限りを見渡すが、前にも後ろにもいない。注意しつつも、スピードを少し上げながら進んでいくと、先程より視界が暗くなる。まるで、何かが上から覆っているような——
「っ……!」
ハッとなり頭上を振り向くと、そこには恐ろしい笑みを浮かべた、長い髪の女性がこちらに鋭い爪を向けていた。
ドーン!
ものすごい音とともに、砂埃が舞う。
「ゲホッゲホッ」
口を腕で覆いながら光は咳打つ。
咲桜も光と同じように砂埃を吸ってしまったのか、咳をしている。
かろうじて咲桜を引き寄せ避けたものの、この状況は最悪だ。
少々咳をしながらも、咲桜を守るように前に出る。
先程までいた地面には穴が開き、そこにいたらどうなっていたか、一瞬で想像がつく。
光は静かに後ろから、力声からもらった銃を握る。
目の前にいる霊の後ろ姿を目の当たりにしながら、少しずつ後ずさる。
こちらゆっくりと振り返ると、一瞬にして目の前から姿が消える。
「はっ……消え——」
と言いかけると、すぐ目の前に姿が現れる。だが、先程よりはるかに近く、肩を掴まれていた。
「っ……」
(はやっ……)
「ねぇ?今どんな気分?」
目の前には真っ黒な髪が視界を埋め、掴まれた肩のせいで動けない。
「私は今、最高の気分よ……ようやくあなたを手にかけられる……!」
喜びに満ちた表情。恐ろしく白い肌と薄い色の口元はより恐ろしい雰囲気を漂わせる。だが、それよりも——
「——俺?」
そう、今確かに言った。『あなたを手にかけられる』と。
何かの人違いか?この霊が狙っているのは、咲桜のはずだと思っていた光は戸惑う。
「どんな死に方がお好みかしら?私は優しいから、いつも死に方を選ばせてあげてるの……」
この言い方だと、かなりの人を……とそこまで考えていると、霊は続けた。
「この美しい爪で切り刻まれたい?それとも、心臓を取ってもらいたい?ああ、死なない程度に切って、最後に……ってのも良いわねぇ」
どれも最悪な選択しかない死に方に、絶対に選びたくない光。
(死ぬならもっと痛くないやつが……)
と贅沢な考えをしていると、霊がよそ見をしているうちに、光はチラッと自分の右手を見る。
銃は握られたままで、引き抜くことはできないが、これはそんな必要ない。ホルダーの蓋を手で全開にすると、光はその霊に向かって声を出す。
「死に方を選ばせてくれるなんて、とても優しいですね……」
その声によそ見していた霊がこちらを向く。
「そうでしょう?それで……決まったかしら?」
「……ああ、決まった。でも、せめて最後に……ラムネの一粒は食べたいかな」
「は?ラムネ?何言っ——」
そう言いかけた時、光は思いっきり、これでもかと大声を上げた。
「——報酬は、ラムネ丸々一本!」
「うおっしゃーー‼︎」
その声とともに、ホルダーから銃が飛び出してくると、その霊の頭目掛けて、銃が勝手に引き金が引かれ、弾が発射された。
間近で食らった霊は光から手が離れ、後方へ飛ぶ。
光もすぐ近くで銃声を聞いたため、耳がキーンとしたのか、片目を瞑っていた。
「ありがとう、ラム」
光にラムと呼ばれた銃から、餅のようにぷくっと可愛らしい顔を出す。
「オイらにかかりゃ余裕よ!で?ラムネは?」
目をキラキラさせながらそう言ってくる。
「今のでラムネ一本とか贅沢言うな……」
などと呆れながら言うと、チラッと後ろの咲桜が目に入った。
いろいろと信じられない光景が続き、あわあわ戸惑っている。
「あ、明智さん……?」
その様子は変わることなく、ポカンとしている。光は考えを巡らせた後、光は再び口を開く。
「ゆ、夢!夢だから!」
「……ゆ、夢?」
ようやく反応を示し、光の言ったことを復唱する。
「そう!夢!ドリーム!」
英語化する意味は特にないのだが、口から勝手に出てきた。
「夢……ドリーム……」
と何度か呟くと。
「そ、そうですよね」
あははとした雰囲気になると、光は再び霊を見た。
銃弾が頭を突き抜けたが、むくっと立ちあがろうとしている。
「明智さん、とりあえず俺から離れないで、見えるとこにいて。俺が何かあった時は、とりあえず置いて逃げて。自分で危ないと思ったら、離れていいから」
「え」
「今言ったことは、絶対覚えてて」
真剣な顔で言われ、今まで見たことのない姿に咲桜は驚く。
「は、はい……」
そう言って頷くと、光も満足したように頷く。
「ラム。なるべくこの子優先で頼む。できれば援護も」
「贅沢言うなぁ」
とラムがぼやくと、光は確実な一言を添えた。
「場合によっちゃ、報酬増えるぞ」
「任せとけ!」
ドンっと胸を張ると、ドヤ顔をかます。まだ何もやってないのだが。
霊もそろそろ動き出しそうな気配がし、光も動き始める。
「じゃ頼む」
そう言って霊の方へ向かうと、霊もタダではやらせてくれない。
例の爪を光に向けて振り上げる。
ものすごい風とともに繰り出された斬撃は、光の横をスレスレに通り抜ける。
霊の魂は人間と同じ、心臓の位置にある。魂を囲う壁もそこに存在する。
霊自体が弱い、または大人しい場合は、いつもの瓶に入れることができるが、このように霊が拒むような場合、瓶が耐えきれず、逃げられてしまう可能性もある。
なので今回も壁を破壊することになるわけだが、この斬撃がとても厄介だ。離れていても攻撃できるということは、近づくことが困難だということ。
こちらも離れて攻撃はできなくもないが、確実性が薄れる。
光が使えるのは、そこそこ切れるナイフ一本と例の瓶のみ。いざという時は、ラムを使うことになるが、なるべくそれは避けたい。
ずんずん進み、腕を振ればギリギリ当たる範囲まで近づけた。
だが、そこで攻撃を当てられたとして、すぐにあの斬撃を繰り出されては、そこで終わってしまう。なのでここは、攻撃すると見せかけ、横を素通りし後ろに回り込む。
(とった!)
髪の隙間から微かな光を捉え、後ろから壁を破壊しようとした瞬間——
スルスルッと何かが光の腕を巻きつけた。それは——
「髪⁉︎」
その長い髪はまるで生きているかのようにうねり、髪とは思えない強さで光の腕を縛り上げる。
「くっ……」
(力、つぇ)
巻かれた腕は全く動かず、解こうともう片方の手で髪を掴むも、びくともしない。武器は引き抜けるのではないかと考えたが、刃の部分しかもはや掴めるところがない。このまま掴んでしまおうか。
そして髪が鋼のような光沢を持ち、鋭い先端を光に向けた。
それは見ただけでも、当たったらやばいのはわかった。
だが、もう身動きが取れない。足はもう地についていないし、両手も使えない状態になっていた。
(終わった……)
と思った瞬間——
パンッ!
と銃声が聞こえると、さっきまで向けられていた先端は、粉々に砕けていた。
その後立て続けに縛られた髪が、銃弾によって切れていく。
その方向に目を向けると、それはラムの銃弾だった。
(そういえばいたわ)
と先程援護を頼んだやつのことを忘れかけていたことを思い出す。
心の中で感謝しながら、解けた瞬間、腕を振って体に突き刺す。
が、刺さったと思った瞬間、刃がつっかえる。金属同士が当たるような硬い音が鳴ると、光の目には、硬くなった髪の毛が守るようにナイフの刃を防いでいた。
「めんどくせぇ」
押し当てていた刃を引っ込めると同時に離れる。
(ていうか髪の毛も使えるとか反則かよ)
次々と襲い掛かる髪の毛から逃げるように走る。拘束する用の通常の髪の毛と攻撃用の鋼バージョン。それをうまく組み合わせながら攻撃してくる。あの長い髪の毛だからできることだろう。
(あれ?ていうかその髪の毛が届かないとこに行けばいいんじゃね?)
そんな簡単なことになぜ気づかなかったのだろう。光は距離を取るため、届かない位置まで走る。
(よし、ここまでくれば——)
と思った矢先、さらに髪の毛を伸ばしてきた。
「成長スピード早すぎだろぉぉ!」
なんとなく予想ができていたような展開に、叫びながら、霊の周りをぐるぐると回るように走る。
そんな様子を見ていた宙に浮かぶ銃から声がかかる。
「おーい、そんなんじゃ一生おわんねーぞー」
「完全にお客気分じゃねーか!」
「へへっ」
「へへじゃねぇ!」
いつまでも逃げるわけにはいかないので、試しにナイフと髪の毛をかち合わせてみる。通常の髪はなんとか流せるが、硬い鋼のような髪の毛は、当たるだけで弾き飛ばされそうになる。
ならもう、死ぬ気なんてないが、当たる覚悟で突っ込む。
最低限は避けながら、距離を詰めていく。
霊の魂は通常の状態は、いくら透けていたとしても見えない。なぜなら目で視覚できないほどとても薄いから。
人間の心臓が普通見れないのと一緒だ。
だが、無理矢理見えるように魂を引きずり出すかその霊の弱った状態など、このような状態になれば、魂は淡く光って見える。
だが、余程目の良い人か、晶子のような上の存在は、見えなくても感覚でどうにかできるみたいだが、あれは光にとってはまだまだ遠いことだ。
魂は傷つけない。壁だけ破壊する。
実は光たちがやっているのは、魂を破壊するより、よっぽど面倒で難しい。
だからなんとなくで刃を通すのは、それができるようになってから。
(まずは……腕!)
爪を一時的にでも使えなくするため、何度かつっかえそうになりながらも切り落とす。
できるなら髪も切り落としたいところだが……とそこで思った。あるじゃないか、切れるもの。それは——
「ラム!」
光は背後に回り込みながらその名を呼んだ。
それに気づいたようで、「ん?」と声を漏らし、光はそのまま続ける。
「俺が合図したら、一発だけ頼む!」
と、返事も待たずに行動に移す。
髪を束ねるように掴むと、それを持ち上げるように霊の背中を台にするように飛ぶ。
上に持ち上げられた髪は、硬くなり始めると、手を離す。
「今だ!」
パンッ!
ラムの一発がその髪目掛けて飛んでくる。
硬くなった髪は、光が離してもなお持ち上がった状態を維持している。
バリバリバリッとめり込んだ部分からヒビが広がり、粉々に散る。
全てとはいかないが、かなり髪の毛を減らせたのではと思う。
そして淡く光り始めた左胸を捉えると、それを囲う壁も見えてくる。今度こそ、と思った矢先——
「ギャァァァァァァ‼︎」
突然悲鳴のような声を上げたかと思うと、後ずさる。
それを間近で聞いた光は耳に壮大なダメージを負い、壁から狙いがズレてしまう。
女性は髪の毛が減ったことで、顔が見えるようになり、それを見られたくないのか、顔を手で覆うような動作をする。
「み、見ないで……こんな、こんな顔……」
だが、腕が切られたことにより、まだ回復しきれていないようで隠しきれていない。女性が顔を上げた瞬間、その場にいた者は皆、衝撃を受けた。
「はっ……」
「あいつ!」
「あれ……!」
皆がそんな反応をするのも無理はない。その女性は、目、鼻、口、顔に必要なパーツがなかった。まるで、顔全体に大きな穴が空いたように、黒かったのだから。
そんな中、トンッと靴音が鳴ると、そこには出遅れた力声の姿があった。その状況を見た力声は、ぽかんっとすると言った。
「……これ……どういう状況?」
そんな声に気づいていないのか、誰も返事をすることはなかった。
あともう少しでこの霊の話は終わりそうです。
長々と付き合わせてしまってすみません!面白いと思ってもらえたら嬉しいのですが……。
とにかくこれからも優しく見守ってくださると嬉しいです!