思いがけないことの連続
咲桜は、ある人を探すためにほぼ毎日同じ場所に通っていた。あの謎の声が聞こえてからも、いろいろとおかしいと感じることも増え、それを確かめるためでもあった。だが、今日も特に何も見つけられず、あと一回だけで何もなければ諦めるという決意をする。
恋とは思いがけないことの連続だ。
誰にも予想はできないし、わかっているつもりでも実際は、奥底が見えていない時だってある。
だからこの気持ちを恋というには、いくら条件を提示したところで、当てはまるもの、そうでないもの、必ずしもあるだろう。
だから絶対という確証は、いくら探しても決定的なものはないのだ。
何が言いたいかと言えば、自分でもよくわからない……だ。
例えば、恋とはドキドキすること。という条件を提示したとしよう。
では、『ドキドキ』とはなんだろうか。心臓が通常よりも激しく動くこと?胸の辺りが苦しくなること?
どれもこれも恋以外でも経験することだろう。
それではもう、何を根拠に動けば良いのだろうか。
「あら、どこ行くの?」
家の仕事を終えたのか、エプロンを外そうとした母が、着替えた咲桜を見て問いかけた。
「ちょっと散歩」
リビングのドアに手をかけた咲桜が母の方へ振り向き言った。
「また?最近ほぼ毎日よね、どうしたの?」
「なんでも」
「なんでもって……まぁいいけど、遅くならないでね。気をつけるのよ」
そう言いながら、玄関まで見送ってくれた。
「うん、ありがとう」
そう言って暖かい我が家から、冷たい風が吹き抜ける外へと足を踏み出した。
咲桜はここ最近ずっと同じ場所に通い続けていた。
理由は簡単。お礼を伝えるため。
わざわざそこまで?と思う人もいるだろう。実際、咲桜にもよくわからない。なぜ自分がここまで行動を起こすのか。
でもそれは必要なことな気がしたのだ。
それに、気になることもあった。
謎の声が聞こえて以来、変な人に絡まれる回数が前より増えた気がするのだ。
確かに前も同じような生活を送っていた。自慢に聞こえるのであまり言いたくはないが、自分の容姿は平均よりも優れているのだろう。あれだけ絡まれれば、嫌でも思い知らされるものだ。
良いことももちろんある。だが、良いこともあれば悪いこともあるものだ。
勝手に理想の人物を押し付けられ、周りも咲桜をよく思ってない人だって必ずいる。
もちろん周りに良くしてもらえることはありがたい。でも、良くされすぎてそれが逆に目立ってしまっているのかもしれない。
咲桜は今年から晴れて高校生となった。その名も青海原高校。
やはり初めてのことは緊張するものだが、案外あっさり溶け込めている。それも、この容姿と作り上げた理想のおかげなのだろうか。
まぁ作り上げたと言っても、そんなに大きく差があるわけではないが、やはりいい子ぶってないと言えば嘘になる。
と、例の場所に着いた。
何度も通ったせいか、もう迷わずにここに辿り着けるようになった。
あの声が聞こえてから、少しの間行かないようにしていたが、結局は行くことを選ぶ。
あれから数回ここへ来たが、例の声はあれ以来聞いていない。
正直記憶も曖昧なのだ。呼吸がしづらくなってからの記憶は特に。
辺りを見渡すが、やはりあの人も、その声の主らしき人も見つからない。
あまり遅くなるのもあれなので、早めに帰るが、そろそろこのようなことをするのも良くないと思ってきた。
親には心配されるだろうし、何かあってからでは遅い。
あと、一回。一回だけ、ここに来て何もなかったら、諦めよう。
そう心の中で呟くと、咲桜は家に向かって再び足を進めた。
——次の日——
「咲桜ー次移動だよ?」
そう咲桜に声掛けたのは、クラスの中では最も仲良いと思われる女子——沙良叉——だ。おーいと確かめるように顔を覗き込み手を振ってみせた。
ぼーっとしていた咲桜は、その声に慌てて反応する。
「えっ、あ、うん……」
「大丈夫?なんか最近、時々思い詰めたみたいな顔するよね?なんかあった?」
どうやら顔に出ていたようで、不安にさせてしまったようだ。
「ううん、平気!何もないよーほら、早く行かなきゃ授業遅れちゃう!」
そう言って教科書などの必要なものをまとめて手に持つと、急いで教室を出た。
沙良叉もそれに続いて教室を出る。
遅れると言っても、まだ五分以上は余裕がある。
走るということはせず、いつもより少し早めに足を進めた。
そして沙良叉は横に並ぶように歩くと、口を開く。
「まあ、咲桜はいろいろあるしねーさすがにほぼ毎日あんな生活送ってたら疲れちゃうもんね」
さっきの話の続きだろうか。沙良叉はそう言って疲れるというアピールなのか肩をすくめる。
沙良叉の言うあんな生活とは、この前のようにいろんな人に絡まれるといったことだろう。
「別にそんなほぼ毎日ってほどでも……それに、こんな私でも一応好意を持ってもらってるんだから、嫌われるよりマシじゃない?」
咲桜は絡まれるだけには留まらず、告白だって何度も体験した。その中でも、少なからず咲桜自身を好きになってくれた人もいるだろう。でも大体は見た目での好意。好意を持ってくれるだけありがたいと思うべきなのか、でも咲桜自身あまり嬉しいとは言い難い。
「まあそうだけど……でも、『こんな』じゃないよ!咲桜にこんななんていらないよ。みんな咲桜のことよく知らないだけだから!」
「う、うん……ありがとう」
顔をぐいっと近づけられて、すごい形相でこちらを見て言うので、少し驚いてしまった。その言葉に満足したのか沙良叉は顔を離して言った。
「うむ!わかればよろしい」
話がなんとなく区切りがついたようで、いつものようにくだらない話で歩いていると、前方からトンっと誰かと軽く肩がぶつかる。
「あ、すいません」
とぶつかった男子生徒がすぐさま謝ってきた。
「いえ、私こそぶつかってしまってすいません」
咲桜もすぐにそれに反応する。その言葉を聞いて、授業が始まるからか「じゃ」と一言だけ咲桜に言うと咲桜とは反対方向に再び歩き出した。
そして咲桜はすれ違いざまにその生徒の腕が自然と目に入った。
青い上着が羽織られているその腕には、目を引く刺繍がされている。
たった一瞬の出来事。
それでも咲桜にはその一瞬が強く目に焼き付いた。
それを追うように、その人が歩いた方向へと振り返る。
行っちゃう。
心の中でその言葉がぽつんと浮かぶ。
スタスタと歩いていく彼の後ろ姿を眺める。
「っ……」
咲桜はその彼に吸い込まれるように駆け出した。
ほんの数メートルのはずなのに、ものすごく長く感じる。
「あの!」
その人に向けて叫んだが、気づいていないか、あるいは自分に向けられていないと思っているのか足を止めることはない。
「あの、待って!」
咲桜は思わず手を伸ばした先には、彼の腕があった。パシッと掴み、それと同時に持っていた教科書類が落ちる。
掴まれたのでさすがに足を止めざる得なかった男子生徒は、掴まれたと同時に肩をビクンとさせて咲桜の方へ振り向いた。
その光景に廊下を通る生徒たちが少なからず注目している。
咲桜はやってしまったと思いながらもそれはもう遅い。
——違うかもしれないのに、体が勝手に動いて——
咲桜は掴んだ腕に向けていた視線を気まずそうにゆっくりと顔を持ち上げる。
「……」
そこに映し出されたのは、あの時と同じ……あの印象に残った瞳だった。
あの時は少し青みがかって見えたが、近くで見ると思ったよりも黒い。
あの時のとは劣るが、吸い込まれそうなほど、綺麗な瞳だ。
まるで鏡のように自分が映されているのがわかる。
手を掴まれて身動きが取れない彼は、ただ驚き、というより困惑の方が強い表情をしていた。
私は今、どんな表情をしているのだろう。
彼は、どんな気持ちなのだろうか。
「……えっと……?」
「はっ……!」
固まった咲桜を動かしたのは、彼のその一言だった。
「なにか……用でも……?」
青い上着を羽織った彼は、周りに?《はてな》マークを散りばめているかのような顔をして言った。
「あ、や……えっと……」
咲桜は戸惑い、目を逸らすように泳がせる。
「……?」
特に何も考えず掴んでしまったが、どうしたものか。
これ以上彼の時間を使わせるわけにはいかない。
ゴクリと唾を飲み込み、意を決して少し高い彼の目線に合わせるよう見上げる。
「えと…………この前はありがとうございました‼︎」
咲桜は腕を掴んだまま、まるで握手会でもやっているかのように深々とお辞儀をする。
「…………へ?」
その言葉に彼も一体何を言っているのかという様子で動揺している。
そして、その声を合図に授業の始まりを告げる鐘が、学校中に鳴り響いた。
前回と同じく、咲桜という人物に視点を置いた話でしたね。肝心の主人公である人が出ない。すみません!
次回くらいになれば、おなじみの人たちが出てくるような気もするので、よろしくお願いします!