初任務——策——
力声は足止めのため、それぞれの武器をぶつけ合っていた。切っても切っても一向に減らない、キリがないと思い始めていた力声だったが……。
光は頭が真っ白になり、そこで意識が落ちてしまった。一瞬の時間の消費も許されない状況で、光は懐かしい夢を見ていた。それは、久しぶりのあの姿。
キンッ!
金属同士がぶつかり合う音が鳴り響く。
それはまるで、誰かと誰かが金属をぶつけ合っているような……。
「おまっ!何本持ってやがんだ!」
そう叫んだのは、二人いるうちの一人、力声という少年である。片手に備えられたナイフは、何度も鉄の棒に当てては流している。
「まだまだぁ!」
そしてもう一人。もう一人とカウントしていいかは怪しいが、体からぼんやりと光を発し、両手に二本の鉄パイプを持って力声に対抗している。
そして後ろの腰には、何本もの鉄パイプがベルトのようなものに挟むように備わっていた。
この交わりは、かれこれ十分を経とうとしている。
この時間の中で、何度か力声が鉄パイプを切り落としたり、使い物にならない状態にしたが、次から次へとまた新たな棒が出てくる。これじゃあキリがない。
パキンッ!
力声が斜めに線を描きながら鉄を切り飛ばす。ぐるぐる円を描き、空を舞った。
だがまた新たな鉄パイプを抜き取り、振り出しに戻ってしまう。
すると、霊の方から声をかけてきた。
「おい、いいのか?」
「あ?」
二本の鉄を一本のナイフで受け止めながら、答える。
「これは、その辺に落ちてたのを拾ったもんだ」
これとは、その身が今まさに使っている鉄パイプのこと。そして、落ちていたというところからその辺の工事現場で使っているものを拝借したというところだろうか。だが、それがどうしたというのだろう。
「お前がこいつを切ったのはいくつだ?こんなどさどさ切っちまって本当にいいのか?」
「だからどうい——」
とそこでそいつの言ってることがようやくわかった。
「っ……まさか」
思わずそう声を漏らしてしまう。理解したことを悟って霊も高らかに笑う。
「ああそうだ!お前がこれを切ってる限り——」
無駄に溜めてあることを口にした。
「——工事に使う鉄がどんどん減ってくんだよ‼︎」
数秒の沈黙が流れ、動きも止まる。だが、当然そうなるだろう。あれだけ溜めに溜めて、作った雰囲気の末がこれだとは。
「っ……なん、だと!」
だが、それは大体の人がなるであろう反応。あの力声がその部類に入るわけはなかった。
そしてツッコミ役が不在の為、この流れは続く。
「ハーハハハハハッ!」
腰に手を当てながら、まるで絵に描いたような姿である。そう、題名をつけるとすれば、『魔王』である。しかもかなり馬鹿な。
「くっ……!」
力声は、わざとなのかそれとも無意識なのか、胸あたりを服ごとギュッと握り締め、いかにも苦しんでいるような姿である。
正直言うと、もうこれ以上何もしないでくれと言いたいほど、見ていられない状況である。
その様子にお構いなく、再び鉄を振り下ろす。思わず、装備しているナイフで受けてしまったことにハッとなりながらも、力を緩めることはできない。
そして、わざとなのか霊はさらに力を込めると、ナイフの刃に鉄が鈍い音を立てて、めり込んでいく。最初は浅かった隙間もだんだんと深深くなっていく。
「くっ……」
思い通りの筋書きに唇を噛みながら考えた。
(……くそっ……少し早いが、ここで動くか……!)
そう心の中で呟き、ナイフを握っている手を支える形で重ねていた手をサッと離す。
どうにか片手で支えながら、離したもう一方の手を鉄の棒に向けて伸ばし、バシッと掴む。そしてそのままそれを勢いよく押し、片足で霊の体を押し倒すようにして離れる。その勢いで宙を舞った体は一回転し着地する。
止める間もなく、力声はそのまま身を任せ、目の前の霊とは逆方向にくるりと向き直り、そのまま走り出した。
蹴飛ばされた反動で、後ろに倒れ込むように地面に尻もちをつく。
「っ……てぇ……」
そうやって体を支えるように手をつき、それを軸に立ち上がる。痛そうに尻をさすりながら、あっ!と声を漏らす。
「ちょっ……お前待て!」
と力声の後を追い、走り出した。
——ここは……?——
そんな弱々しい声を出したのは、ある少年だった。
周りを見渡すとそこは至って普通の部屋。足元には、子供用のおもちゃだろうか。車やらブロックやらなんとも『the男の子』のようなラインナップで、その割には部屋が少々可愛らしくも思えた。
ガチャッ。
後ろから扉が開くような音が耳に伝わると、体ごと後ろへ振り向く。
そこには、白いシャツにネクタイをした、会社員のような格好をした、スラリとした長身の男が立っていた。背が小さいので、足元から順に見上げていくと、いかにも優しさが滲み出ているような、そして可愛らしくも思える笑顔を向けてきた。
「ここにいたのか、光」
そう言って扉を閉めると、改めて光と呼ばれた少年に向き直る。
「おとーさん!」
光は、そう言って両腕をバッ!と大きく広げながら、父親らしき男の胸に勢いよく飛び込んだ。
なぜそう呼んだのかわからない。ただ無意識に出た言葉だったが、不思議と違和感がなかった。
光の背に合わせて、膝を折ると父親も大きく手を広げ、準備万端といった様子で飛び込んでくる我が子を受け入れた。
「うおっ!」
勢いに負けて後ろに倒れそうになった体をどうにか支えて、光の体をしっかり掴み、持ち上げる。
「よいしょーー」
笑顔でこちらに目を向けながら、光の体を包み込むように、抱き抱える。
「へへっ……」
抱っこされたのが余程嬉しかったのか、幸せに満ちた声を上げた。
その姿に優しい顔で見守りながら、これまた優しい声色で光に語りかける。
「もー元気なのは良いことだけど、危ないから勝手に動いちゃダメって言っただろ?」
とても落ち着く声。「まったくもー」などと少々面白おかしく言いながら、幸せオーラ全開である。暖かい腕の中。光はまさしく、とても幸せな空間にいた。
そのせいなのか、強烈な眠気が襲う。
「うっ……ん……」
しょぼしょぼとなる瞼に耐えながら、目を擦る。
明らかに眠いとバレバレな姿に男は言った。
「……眠いよな。よし、ベッド行こうなー」
そう言って部屋の扉を開けて、寝室へ向かった。ポンポンと背中に触れられる感覚は、くすぐったくも、気持ちよく感じた。
「ん……」
服越しからでも伝わる冷たい感覚と硬い感触。感じながら重い瞼を上げると、真っ暗闇で、ほんの少しの小さな輝きが散らばっていて、それが寂しげな空を彩っていた。
体を持ち上げると妙に重く感じて「よっ……」と上体を起こしながら声を漏らす。
——えっと、なんだっけ……確か、車かなんかに——
とここまで思ってハッとする。そして急いで自分の体に目を移すと、同時にその手で体の至るところを確かめるように触る。
体のどこも痛みを感じない。袖をめくって見ても、傷らしきものもない。
——もしかして、勘違い……?よかったー……!——
その気持ちが込み上げると同時に、改めて冷静になると、そもそも車に轢かれたのなら体が痛くて動かないだろうし、今こんなことを考えることさえできないだろう。
ああ、最近いろんなことがありすぎて、いろいろバグってきてる気がする。
「はあー……」
と一息つくと、それで余計な要素が抜けたのか、脳が本来の目的を呼び起こす。
「あ」
たった一言を漏らすと、急いで立ち上がる。そして携帯の時計を見るともう七時を回っている。
「やべっ」
急いでポケットにそれをしまうと、真っ直ぐ道をかけて行った。
「うおっ!と」
力声はその辺に置いてあるゴミ箱に衝突しそうになり、慌ててそれを避ける。
そしてその後ろからかなり離れてはいるが、追ってきている者がいた。
霊——光が使っていた鉄男を使わせてもらおう——が力声を追いつくべく走る。
(あれから結構経つけど、光大丈夫かな……)
力声は走りながら、念の為、光に連絡を取る。
耳につけたイヤホンのようなもの——おそらく通信機——の端っこ部分の小さなダイヤルを一回回す。そして、ついているボタンを二回タップする。
ザザッと砂嵐のような音が一瞬流れたのち、ぷつっと繋がったことを知らせる音をその耳で拾う。
「光、そっちはどうだ。大丈夫か?」
と呼びかける。だが、応答する気配がない。
「光?聞こえてるか」
聞こえていないのかと思い、もう一度声をかけるが、やはり何も聞こえない。
「光?光⁉︎」
何度か呼びかけるも光の声は聞こえない。これは何かあったのでは⁉︎力声は急いで通話を切ると、ダイヤルを調節し、別のところにかける。
「おい晶子!聞こえるか⁉︎今すぐ光の位置情報を送ってくれ!すぐにだ!」
それを聞きつけた晶子は、通話を担当していた隊員に代わり、横からマイクで語り出す。
『それは構わないが、どうした?』
「光と連絡がつかない。いくら声かけても何もないんだ!何かあったかもしれない。そっちで何かわからないか⁉︎」
『少し待て』
そう言うと、カタカタとキーボードを打つような音が聞こえたと思うと、すぐに返ってくる。
『位置情報は今送った。調べたが、少なくとも監視カメラには光君の姿は映っていない』
「そうか……」
力なくそう答える。
「分かった。とりあえず光のところに向かってみる。そっちも、何かわかったら連絡頼む」
『分かった』
その言葉でボタンを一回タップし、通話を切る。
(さて……)
チラッと後ろを見やりながら続ける。
(光の状態がわからないとなると、このまま追いかけっこするのも危なくなってきたな……)
「仕方ない」
ザザーッと足を無理やり止めると、後ろに向き直る。そしてそのまま、ぶつかるのではないかと思ってしまうほどの勢いで、鉄男の方へ走る。
「⁉︎」
それにさすがの鉄男も驚いたのか、思わず減速してしまう。何かされるのではと、手に持つ棒を構えると、視線で急速に近づいてくるのを捉える。
三メートル、ニ、一。と距離を縮める。
力声は腰から、鞘と刃が擦れる音を立てて武器を抜くと、それと同時にいつの間にか、ゼロに近い距離になっていた。
至近距離で目を見開く姿を見ると——
シュオッ!
鉄男は終わりを迎える。と考えたが、いつまで経っても、切られたという感覚、ましてや触れられた感触さえ感じない。
「?」
半端薄目になりかけていた目を持ち上げ、不思議に思いながら、体に触れるが何もない。
まさか、スルーされた?
後ろを急いで振り返るも、もう力声の姿はなかった。
あいつのことだ。何もしないということはないだろう。だが、あの一瞬で何をされたのか全くわからなかった。
「……なんなんだ、あいつ……」
暗闇にポツンと立ち尽くしながら、自分の言葉が響いているのを耳にした。
(よし、これであっちはなんとかなった。あとは——)
力声は携帯の画面を確認しつつ、光のもとへ走る。
ここから光のいるであろう元までは、かなりの距離があった。
結構な時間を使ったのだと再確認する。
(ここからずっと動かない。やっぱり何かあったんだ)
力声は送られてきた位置情報を確認しながら、スピードを上げた。
目覚めた光は、本来の目的を達成するべく、引き続き走っていた。
感覚ではそんなに気を失っていて訳ではなく、ほんの少しのようだ。
だが、それでも時間を使ってしまった。力声がこちらに来る前に早く適当な場所を探さなければ。
長い一本道を出ると、再び建物が現れる。
さっきとは違い、きれいな建物ではなく、廃屋のような、崩れかけの建物やひび割れたものも見える。
思わず足を止め、口からこぼれる。
「奥に、こんな場所あったんだ……」
しっかりとした建物があった場所を目にしたからなのか、より目の前の光景に呆然とする。
辺りを見渡しながら、ゆっくりと前に出る。
「…………」
しばらく見つめていると、ある建物が目に入る。
周りと比べて建物は低く、窓も少ない。あまりにも使われていなそうな雰囲気だった。
——もしかすると、ここなら——
そう思うとその建物に向かって走り出した。
中へと足を踏み入れると、自分の足音が反響する音と共に、階段が目に入る。なんとも危なげな階段であった。
意を決して一歩踏み出す。自分の足音に、壊れるのではないかと、ビクつきながら登る。
途中、階段が一部崩壊していて、行き止まりになったが、なんとか残った部分を伝って登った。
一通り登り終えたと思うと、ドアが半開きになっている部屋を見つける。不気味に思いながらもドアをツンっと突くと、ギギィッというなんとも気持ちの悪い音を立てて開く。
自分でやったことなのに、それにビビりながら、そーっと入る。
「失礼しまーす……」
誰に向かって言っているのか、誰にも聞こえないような声で呟く。
予想通り、ボロボロで、壊れた椅子や机が一個二個転がっているくらいだ。
「んで……」
そう言って、ポケットから丸い、野球ボールくらいの大きさの球体を取り出す。
「あとは……」
引き続きポケットから二つ折りの小さな紙を取り出す。
この二つは力声に先程もらったもので、頼まれたことでもある。
さすがにあの短い時間で、使い方まではわかっていないので、それの説明書的な紙を一緒に手渡されたのである。
(確かここに書いて——)
と紙を開く。サッと目を通すと、ふーんと声を出す。
「…………」
そこに書いてある文字を読み終えると、しばらく沈黙の時間が流れる。
やっとふぅーと息を吐くと、顔を上げる。
「…………って!なんだよこれーーー⁉︎」
誰もいない建物内に光の声はよく響いた。
「はあ……はあ……」
ものすごい勢いで足を動かす力声は、立ち止まって改めて場所を確かめた。
ほぼリアルタイムで更新される位置情報を当てに光を探す。それを見て、力声はあることに気づく。
「あれ……」
そう、さっき見たはずの場所から明らかに。
「……動いてる……」
それを確認すると、すぐさま通信機で光に連絡を取ろうと手にかける。すると——
ザザッ……。
と繋がったことを知らせる音が鳴り響く。
「?」
力声が触れる前に、その音を拾った。だが、それはおかしい。まだ繋げていないのに。
その疑問を解決するかのように、再び音を拾う。
『……せ……』
「?」
繋がり切る前に喋っているのか、途切れ途切れで、よく耳を澄ます。
『りーーーせーーー……』
「え……」
突然の恐ろしい声にビクッとしながら間抜けな声を上げる。
「えと、どちらさ——」
ま、と言い切る前に自分ではない声が響く。
『おーまーえーはーーー……』
スゥーと息を吸い込む音が微かに聞こえる。
『なっっっっんで!こうなんだ!』
「え……って、もしかして、光か?」
その声の主にそう問う。
『そんなことより!」
「そんなことより⁉︎」
『なんだこのメモ!』
「メモ?」
相変わらず話が見えず、首を傾げる。
『お前に渡された紙。これ……』
光は手に持った紙をギュッと力を込めながら言った。
『——ただのおつかいメモじゃねーか!』
「へ?」
そう、光の紙をよく見てみるとこんなことが書いてあった。
『じゃがいも、にんじん、にく、カレーのこな、いろいろ』
メモなので字は綺麗とは言えないが、書かれていた文字を読むと、続けて声を上げた。
『なんだじゃがいもって!間違いにも程があるだろ!』
「いやそんなはず——」
と言いながらポケットを漁ると、やがてクシャッとという音とともに、掴んで取り出す。
するとそこには『初心者必須!取扱説明書』と書かれたくしゃくしゃの紙が出てくる。
「…………」
それをしばらく眺めると、静かにポケットに戻す。天を仰ぐように空を見つめると。
「……気のせいじゃない?」
『おい今クシャって聞こえたぞ。それに謎の間があったぞ』
何事もなかったかのように口に出したが、すかさず口を出される。
ゴホンッとわざとらしく、仕切り直すように出すと、力声は言った。
「それより、お前今どこにいんの?」
『それよりって……んーなんか、どっかの廃墟?』
「どっかって……まぁいいか。それより、頼んだ件、どうなった?」
『今お前のせいで取り込み中だっつの……あとこれさえやり方分かれば終わる』
「そっか、とりあえずそっち向かうから、待ってろ」
と通信をプツッと切る。
「あっ、おい!って……切れてるし……」
光は呆れた顔をしながら、手に持つ球体を見つめてぽつりと呟いた。
「せめて使い方教えてから切れよな……」
シュオーと風に流れるように進む者がいた。
(くそっ!かなり体力を使ったな……)
光たちの捕獲対象である鉄男——勝手に名前をつけているだけ——が軽く舌打ちをかましながらキョロキョロと辺りを見回している。
(どっかに、ちょうどいい人間は……)
そう、思った以上に力を使ったので人間に憑依し、霊気を蓄えようとしていたのだ。
すると何かを察したように止まったと思ったら、近くの壁のくぼみに身を潜めるように壁にくっついた。
「はぁ…………はぁ」
険しい表情を浮かべながら、軽く息切れを起こしている。
しばらく静かにしていると、何かがこちらに近づいてくる音を拾う。なにやら足音のようだ。それはだんだんと聞こえる音が大きくなり近づいてくるのを感じる。
だが、急に足音が止まった。通り過ぎたのかとも思ったが、不自然な鎮まり方。しばらく息を潜めながら動かないでいる。
少しずつ顔を出していくと、やはり何かある訳ではない。自然と足を一歩踏み出す。
その時——
タタタタタッ!
さっきと同じと思われる足音が再び鳴り響いたと思うと、ものすごい勢いで近づいてくる。その音を拾いながら、辺りを見渡し、どこからだと必死に探す。そして。
シュオオオオ!
風のような音がものすごい大きさで鳴り響く。まるで、足音を消しているような。
「……!」
微かな音を拾い、上を見上げた。するとそこには、壁を伝ってこちらに降りてくる人影を捉えた。ありえない光景に目を見開く。
その様子に構わず無言で迫り来ると、持ってるナイフの刃を下にし振り下ろした。
ドォーーーン!
ものすごい威力にコンクリートでできた道は穴が開き、それを中心にひび割れる。
風により立った煙が辺りを埋め尽くす。
やがて煙が薄くなると、そこから黒い陰が浮かび上がる。だんだんと姿が露わになると、その姿に鉄男はまた目を見開く。
それもそのはず、鉄男は今、一番出会いたくない相手に出会ってしまったのだから。
「あーれ、けっ……こう深く刺さったなっ……とうわっ!」
深く刺さりすぎてしまったナイフをしゃがんで両手で抜くと、その勢いに尻もちをついてしまう。
「いってぇー」
ついた尻を地面から浮かし、腰のあたりをさすりながら呟く。
鉄男はその様子にただただ見ていることしかできなかった。見つかってしまった、早くここから立ち去らなければという衝動があったが、足が動かない。
なぜだろう。今までこんなことなかったというのに。
だが、なんとなくそれに思うところはあった。さっきのあのギラついた目。一瞬だが、暗いからこそその目の輝きは目立つ。
そしてわかった。あいつはあんなもんじゃない。
最初の方は手を抜いていることはなんとなく察せられた。だが、途中からそいつの力はこうだと、勝手に決めつけていた。
そいつは立ち上がり、こちらに視線を向けると言った。
「あれ?こんばんは、本当によく会うね」
こっちのピリピリとした空気感など知る由もなく、しかし不気味にも思う笑みをこちらに向ける少年。あの妙に霊気が弱いあいつには、力声だと呼ばれていた男だ。
その声でようやく、足が動き、後ろへ後ずさる。それと同時に唇もようやく動き、声を発する。
「な、んでここに……」
とくに何か意味があったわけではない。出た言葉がこれであったのだ。
「え?いや、まぁ……いろいろあるんだよ」
などと全く説明になっていない言葉を口にして、視線を逸らす。
「とまぁ、今日はいろいろと大事な日なんでね、お付き合い願おうかな」
そう言ってこちらに歩み寄ってくる。
「くっ……!」
自然と出た声に気づくこともなく、それが合図になったように、鉄男は逃げるように走り出す。
辺りが暗いのはまだいい、だが道も複雑で鉄男自身でもわからなくなる程だ。
何を考える余裕もなく、めちゃくちゃに走る。どこに行き着くかなんてどうでもいい。ただこいつから距離を取れれば、力を蓄えて万全の状態を取り戻せれば。
次の分かれ道。特に考えがあるわけでもなく、右へと方向を変え、前に進もうとした途端。
シュッ!
何かが素早く鉄男の顔をスレスレで通り過ぎる。そしてすぐさま硬い何かに当たった音が鳴ったと思うと、パキッと軽く折れるような音が鳴り響く。
間一髪で避けた鉄男は、その音の方向に目を向けると、そのすぐ横の壁に、折れ曲がった木の棒が突き刺さっていた。
穴が浅かったのか、すぐカタンっと軽い音を立てて落ちると、今まさに追われていることを思い起こす。
状況から見て力声の仕業だろうが、そんなことは今どうでもいい。
鉄男は素早く判断して、反対の道に駆けた。
誰もいなさそうなある一つの廃墟に、一人の少年が立っていた。波河光。記念すべき初任務を遂行中なのだが、光はずっと途方に暮れていた。
「これ、ずっと待ってなくちゃいけない感じ?」
誰もいないことはわかっているのだが、独り言も言いたくはなる。なぜなら、光の他にもう一人、任務中の少年——力声がいるのだが、その力声からの頼まれ事のためここに来たのはいいものの、肝心の物——光の手に持っている球体——の使い方が分からず途方に暮れているところだ。
連絡すればいいのではと思ったそこの君。
した、したんだよ。なのになんの情報も得られず切られてしまった。本当に自分勝手というかなんというか。
と、そんなことを思っている場合ではない。
力声にはとりあえずそれをできるだけ、被害が少なくなさそうな、できるだけ低い建物にこれを仕掛けてほしいとのことだったが、使い方が分からなければ、仕掛けるも何もあるまい。
仕掛ける、というのだから、前もってやっておくものなのだろうができない。
もし、ここであの霊——鉄男——が来てしまったら光にはどうもできないだろう。
何のためにここまで訓練してきたのかとも思うが、そんな簡単にできるほど現実は甘くないということだ。
何もしないのもあれなので、とりあえずその球体を振ってみる。
小さい割に、意外と重みがあることが伝わる。
球体の底を覗くなど、特に理由もないことしてみる。だが、何もない。
なので、とりあえず振ってみる。昔のテレビなどは叩いてどうにかしていたというが、別に故障しているわけではないし、そんなことをしたら、逆に壊れそうなのでやめておく。
「あ」
ふいにその一言が溢れる。
その理由は簡単。ブンブンと振っていた球体が光の手からスルッと抜けて飛んでいったのだから。
飛んでいったといっても、ほんの少しの距離を飛んだだけだが、それを光は受け止めることができず、地に落ちてしまう。
やってしまった。とすぐさまそれに駆け寄りその球体に触れる。
と、その寸前。
『対象、発見。捕縛モードを作動します』
とアナウンスで流れてきそうな女性のような、しかし機械が混じった声、がその球体から発せられると、光が声を出す隙も与えず、その球体からとても見えないような細い糸のうなものが出される。
光は何が起こったのか分からぬまま、その糸に体がぐるぐる巻きにされる。
「えっ⁉︎ちょっなに⁉︎」
もちろん答える人はいるわけがなく、あっという間に身動きがとれなくなった。
どうやらどこかしらの作動するスイッチか何かを落としたはずみで触れてしまったようだ。
腕は体と共に縛られ、ご丁寧に足までも縛られ、全く身動きが取れなくなってしまった。
唯一動くのは首くらいだが、あんまり動くとその糸に当たってしまいそうだ。
「っ……くっ……」
何度か解けないかと試みるも見た目の割には、ものすごく丈夫で、逃がす気など微塵も感じさせない。
「はぁ……」
やがて疲れてため息混じりの息を吐くと、続けて言った。
「ご予定通り、作動したわ……」
疲れ切った声で、体育座り状態になった光は、がくりとうなだれた。
景色がほとんど変わらないと言ってもいい通路をひたすら走り続ける。
通ろうとする道をひたすら阻まれ続けてどれくらい経っただろうか。
ほとんど真っ暗だった通路をやっと抜け出す。
目の前に広がるのは、先ほどとは明るさが段違いであった。月明かりがよく当たり、建物がいくつもあるが、見晴らしも良いのではないのだろうか。
「うっ……」
頭上から振る鬱陶しい光から顔を守るように手をかざす。
忘れているかもしれないが、鉄男は光が苦手なのである。
いち早く当たらない場所へ目指し駆ける。
あまり光が当たらない建物裏へと駆け込むがここもすぐに見つかってしまう。
どこか一時的にでもいいから隠れられる場所はないだろうか。光に当たらないよう、あまり建物から顔が出ないように探す。
やはりそんな都合の良い場所はあるわけ……と思った直後、ある建物が目に入る。
周りと比べてあまり高さがなく、うまく光を避けているように見える。唯一建物に光を送り込む窓も見たところ少なく丁度良い。
すぐに走り出そうとしたが、思いとどまり、しっかり辺りを確認する。念の為上も、ついでに下も。
すぐ近くにいることは確実。見つかるとしても、建物の中に入ってしまえば、しばらくは時間を稼げるだろう。
そうして暗い影から出た瞬間、それを狙っていたかのように横から例のあいつが迫ってくる。
だが鉄男は一瞬驚くような表情を見せたが、それだけで足を止めることはしない。建物に入ることを優先したのだろう。
思惑通り、中に入ることができ、危なっかしい階段を登る。
しばらくしないうちに、こちらまで反響してきた足音を拾う。
すぐそこまで追いかけてきている。
そんなことを思っている中、一通り登り終えたのか、一つの部屋を見つける。
扉はほとんど開いていて、一部中が見える。
ボロボロの内装。外装もそうなのでそんなに驚きはない。
タタタタタッ
足音が大きくなってきているのを聞きつけると、とりあえずその部屋に身を潜めようと思い飛び込む。
全て閉じると音も鳴ってしまうので、半開き状態にしておく。ギギィッと閉じる際にほんの少し鳴ってしまったが本当に近くにいないと聞こえない程度だろう。
一息吐きながら、後ろに体を向ける。
「ん⁉︎」
思わずそんな声が出てしまった。まずいと思い、すぐさま手で口を覆うように押さえ込む。
だが、声が出てしまうのも無理はあるまい。
今、鉄男の前に広がっている光景は、なんとも不思議なものだった。
ボロボロで、大したものも置いていない、ただの一部屋。だが、そこには一つ、いや一人がぽつんと体育座り状態で、まるで何かに縛られているような謎の光景だったのだから。
その人もこちらに気づいたからか、驚きを隠せない様子で、その中に気まずさを感じさせる表情をしていた。
よく見ると、あの姿に見覚えがある。
それもそのはず。最初以来、もう片方の人物としか接していなかったが、今目の前にいるのは間違いなく、力声という少年の連れていた、光と呼ばれていた少年である。
「……どうも……」
ぺこりと首だけ下げるようにお辞儀をする。
「…………」
今だに現実を把握しきれていないらしく、どちらもいろんな意味で身動きがとれないでいると。
ドンッ!
勢いよく何かが開く音で、ハッとする。こんなことをしている場合ではない。今は——
「光!って……何やってんの?」
その一部屋を占領していた人物に声をかけたのは力声だった。あの言い方からして、どうやらここにいることがわかっていたらしい。
「いや俺が聞きてーよ!」
何をやっているのかという質問に対し、そう答えることしか出来なかった。
そう言い合う二人に挟まれた鉄男は、そいつから離れるべく動き出す。
(こいつなら丁度いい!こいつの体を取り込んじまえば……!)
そう心で叫びながら、身動きの取れない光に手を伸ばす。
それにいち早く気づいた力声も動く。
鉄男を軽く追い抜き、ぶつかるのではないかという勢いで光に向かっていく。
いつ取り出したのか、左手には切れ味の良さそうなナイフが備られていた。
「いっ!」
それにも光は引きつりながらも声を頑張って押し殺す。
フワッと力声に体を支えられたと思うと、プツッという聞き取れるかも怪しい小さな音を立てて巻かれていた糸が切れた。
どうやらそのナイフで球体と繋がっていた糸の部分を上手く切ったらしい。
糸が解け、動けるようになったのを確認するように手を開いたり閉じたりしていると。
「!」
またしても光の脳内に、あの嫌な映像が流れる。その映像を見るや否や、叫ぶ。
「お、おい!お前まさかっ!」
これからすることを察した様子で言う。
『対象の移動、及び外部からの妨害を確認。直ちにトラップを作動します』
糸が切れると、すぐにあの時と同じ声があの球体から鳴る。
「喋ってると怪我だけじゃ済まない……ぞ!」
その言葉を言い切ると共にこの部屋にたった一つしかない、目の前の窓ガラスに突っ込むと、バリンッ!という音を間近で耳にする。その行動に思わず目を瞑り、力声の服をギュッと掴み力を込める。
ピーーーーーー
窓ガラスを割ったと同時に音が鳴り響くと——
ドオォォォォォン!
何かが破裂するような音とそれによって巻き起こる風が光たちを襲う。
「うぉっ!」
その風の勢いに背中を押されたのか、バランスを崩しつつもすぐに直す。
瞑った目を薄く開き見てみると、さっきいた建物が煙を上げて崩壊していくさまを見た。どうやらさっきのは爆発音と爆風だったようだ。つまり一歩遅ければあそこで建物と一緒に自分も崩壊していたということだ。
「くっ……」
そんな小さな声を聞きつけ、思わず辺りを見渡すと、光たちに遅れて落ちてきている鉄男の姿があった。
鉄男は爆発に巻き込まれてしまったのか、左腕が半分以上なくなっている。霊は血の代わりなのか、光の粒がサラサラと風に流されている。その姿を目にした光に向かって力声はあるものを渡してきた。
「はいこれ」
そう言って渡してきたのはいつの間に抜き取ったのか、光が身につけていた銃を渡してきた。
「え、なに」
「あれ」
力声は落ちていく鉄男に向かって指さしながら続けた。
「最後はお前が決めろ」
「え」
それに驚きの表情を力声に向けながら続ける。
「で、でも俺やり方……」
「だいじょーぶ。やり方は前と一緒。ほら、あそこ壁を狙えばいい」
力声は鉄男の左胸辺りを指さす。爆発の影響なのか、人間でいう皮膚が薄くなったのか、薄ぼんやりと明るく光っている。
あれがあの霊の魂。
オレンジ色に近い光、つまり魂を取り囲むようにあるもの、あれが壁。
この前は運が良かったというのもあるが、あれはラムが補助してくれていたおかげ。だが、今はそれがない。何週間か訓練はしたが、まだ短い距離でも確実に当たる保証がない。
今回はおまけに動いていて、安定した地上ではなく、今そこに向かって落ちていっている状態だ。
カチャリ
だが、そんなことがどうした。やれと言われた。あれだけの人たちがこんな俺を認め、預けた仕事だ。どんな結果になろうとやったという努力だけは残る。
鉄男の壁に狙いを定める。力声に体を支えられながら、銃口を合わせる。
そんな長く使ってられない。モタモタしてると地面と正面衝突。
もうやるしかない。
「ふぅー」
と息を吐きながら、目を見開いた。
(ここ!)
パンッ!
やけにスローモーションになったような感覚に襲われた。
ずんずんと銃弾は進み、やがて胸に向かい、そして壁まで数センチのところまでくる。みしみしと壁にヒビが入っていき——
パリンッ!
まるで床にグラスを落とした時のような音が鳴り響く。
壁を壊した時に鳴る音だ。
壁が壊されたからなのか、力が少しずつ抜けていき、すぐそこまできた地面に軽い音を立てながら落ちる。
その様子を見て自分たちも下に視線を移すと、力声がうまく着地し、光をそっと地面に足をつけた。
力声は光を降ろすと、倒れている鉄男に歩み寄る。
完全に力が抜けたのか、さっきまでの動きが嘘のように静かだ。
力声はしゃがんで、腰辺りを撫でると、小さな機械のようなものを抜き出す。
「それは?」
それを見ていた光は尋ねる。
力声は顔だけ振り向き、光の顔を見て言う。
「これか?追跡機」
「追跡機?って、GPSってこと?なんでそんな」
「こいつと離れる時に、場所がわかんないと困るし、ちょっと仕掛けておいた」
そう、力声が光のもとへ向かおうと、鉄男と離れる際、すれ違いざまに仕掛けておいたものだった。
「ほー」
光が納得したように口に出す。
「ちなみに、お前の場所もバッチリわかるぞ」
「え……⁉︎」
そんなやりとりをしたのち、力声は再び鉄男に向き直る。
力声はそっと胸の辺りに片手を添えた。
「…………」
しばらく黙り込んだ後、ぽつりと呟いた。
「……いない」
「え?」
うまく聞こえず思わず声を上げてしまった光。
力声は立ち上がって、光に向き直ると言った。
「霊が、一体分しかない……」
「それって、どういう——」
そこまで口にすると、光は理解した。
光の様子を見て、力声が険しい表情をしながら頷く。
「こいつが取り込んだ分の霊がいない」
「っ……!」
光はその言葉に目を見開くしかなかった。
どうもまもるです。
本当ならこの話で初任務編は終わりにするつもりが、もう一つあることになってしまいました。
伸ばし過ぎ?それは知らん、これが普通では?普通ってなんだろうね。
こんなことはさておき、多分次で終わるはずです。
最後まで見守ってくれると嬉しいです!