Pacific Rim Co-Prosperity Sphere
前米国大統領が最後まで無条件降伏を受け入れず抗戦を続けた理由として、莫大な国費を費やして進められたマンハッタン計画という超兵器開発への妄信があったと言われている。
計画通り順調に開発が進めば、昭和20年中にはただ一発で一つの都市をまるごと灰塵に帰すことを可能とする原子爆弾を実戦に投入できたかもしれなかった。
昭和18年8月、日本軍による北米西海岸侵攻によりマンハッタン計画の主柱の一つであったハンフォードのプルトニウム生産施設が破棄されたことで計画のスケジュールは大きく遅延し、さらに北米での戦闘の激化によりで計画の実現はほぼ不可能となっていた。
そのような状況の中ロスアラモスの国立研究所において原子爆弾の研究開発は続けられていたが、もはやそれは戦局に何の影響も及ぼすことはなかった。
枢軸軍との世界各所での戦闘で敗北を重ね精神的に追い詰められていた前大統領は、正常な判断ができない状態となりマンハッタン計画の成功による戦局の大逆転を信じて戦争の継続を命じていたと言われている。
昭和19年8月5日、停戦講和を望む政治家及び軍部による政権転覆の企てが成功、前大統領は反政権派による拘束を逃れ継戦派の政府高官や軍将官と共にメリーランド州アンドルーズ空軍基地から大統領使用機に改造されたB-29 に搭乗してテネシー州に脱出した。
前大統領は同地でクーデター政権への反撃を画策したが時利あらずして叶わず、8月10日に到り連携を取っていた正統合衆国を名乗り戦争継続を主張する西海岸政権への合流を果たそうとカリフォルニアに向けて再び機上の人となった。
前大統領一行が搭乗するB-29爆撃機2機と護衛のP-51戦闘機6機は、11日深夜ニューメキシコ州サンファン近郊でクーデター政権から提供された情報により同地で待ち受けていた日本軍の夜戦型震電18機による迎撃を受け、前大統領達が分乗していた2機のB-29 はいずれも撃墜された。
14日、山間部に墜落していた前大統領搭乗のB-29が見つかり、32代米国大統領フランクリン・ルーズベルトの死亡が確認され、同日枢軸同盟はこれを公表した。
翌日カリフォルニア政権で内訌が起こり継戦派が失脚し、戦争継続を主張していた4州は枢軸同盟に降伏し、長きに亘った第二次世界大戦は終結する。
アメリカ合衆国と英連邦は枢軸同盟に占領され占領軍による軍政が布かれ、同盟による英米の占領統治は昭和25年のパリ講和条約発効まで続けられた。
講和条約により米国は分割されハワイ準州を含む太平洋の島嶼部領、アラスカ準州、ワシントン州やオレゴン州など北西部5州は日本領、ハドソン川以東の東海岸各州はドイツ領、ニューメキシコ州とテキサス州の一部はメキシコ領、テキサス州の残りとグレートプレーン一帯の6州は日独伊三国の共同統治となった。
残ったアメリカ領は東海岸から五大湖にかけての一帯と南部諸州、西海岸方面の4州がそれぞれ独立した国家として成立することになる。
英国は全ての植民地と北アイルランドを手放し、グレート・ブリテン島と周辺の諸島だけを領土とする国家になった。
英連邦諸国のうちカナダは西部のブリティッシュコロンビア州とユーコン準州を日本に移譲、東部のケベック州の一部はフランスの保護国として独立した。
オーストラリアはニューギニア島とソロモン諸島ビスマーク諸島などを日本に移譲する。
英国の海外植民地は全て日独伊3国に移譲され、うちインド大陸及び東南アジアの諸領は殆んどが独立、太平洋の島嶼部とシンガポール、香港は日本領とされた。
イギリスが支配していた中東諸国は独立を回復、アフリカの植民地は独伊によって分割され、大西洋やカリブ海などに散らばった島々は、アルゼンチンが占領したフォークランド諸島を除いて独伊の領土となった。
枢軸同盟の勝利によって終結した第二次世界大戦は、欧州各国の国境をもまた大きく書き換えた。
ドイツによって占領された欧州諸国はナチス政権崩壊後相次いで独立を回復するが、ドイツに併合されたオーストリアやチェコ、軍事占領されたポーランドやベラルーシ、バルト三国などはドイツによる支配が続いている。
北方の大国ソビエト連邦は消滅し、ウクライナなど多くの国家が独立、ソビエトをクーデターで打ち倒した軍事政権はモスクワやレニングラード一帯からウラル山脈までを支配する国家となった。
ウラルからシベリア半島にかけてはなかば日本の傀儡国家と言っても過言でない東ロシア共和国が成立、ウラジオストックを含む沿海州は満州国領土、サハリンは日本領となった。
中国では南京を首都とし日本に対し融和政策を取る中華民国、華北一帯の諸勢力が日本の支援の下北京を首都として独立した東周連邦、日本の傀儡国家満州国と蒙古連合、西域で独立を回復したチベット、東トルキスタン、中国共産党が支配する中華人民共和国などに分裂し、各地で紛争が相次ぎ大陸は混乱の渦中にあった。
日本は第二次世界大戦に勝利したことによりその国土を8倍近くに拡大したが、当時の日本の統治機構ではそのすべてを治めることなど到底不可能で、北米の新領土に軍政による支配体制を構築したぐらいで、ハワイを除く太平洋の島嶼部は軍事基地周辺以外はニューギニア島を含め国境線を引いただけの状態が数年にわたって続くことになる。
インド洋一帯は日本の軍事的支配域だったが、戦後この方面ではアッズ環礁を含むモルディブ諸島全体をインド洋を睨む軍事拠点として維持するにとどまり、インド大陸や中東、アフリカ大陸に対しては経済進出こそ活発だったものの、進んで軍事政治面でかかわることは無かった。
日本が戦争によって拡大した領土の統治体制を構築し全領土の実効支配が確立するには、もはや戦後でないと言われ始めた昭和30年代初頭まで待たなければならなかった。
歴史家は太平洋全域に広がったこの大日本帝国の軍事的経済的覇権体制を、環太平洋共栄圏と呼びならわすことになる。
本編終わりです




