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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
星墜の凱歌
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シカゴ大空襲

 実験機の成功と海軍航空本部による十六試局地戦闘機としての正式な試作発注、推進式長距離護衛戦闘機開発が順調だったのはそこまでだった。

 開発陣に求められた要求性能は高く、基本となるエンテ型推進式航空機という枠組み以外のすべては、手探りで新たに作り出す必要があった。

 高高度性能が求められる大出力のエンジン、その大出力を推進力に転換するプロペラ、高速性と戦闘機としての運動性を両立させ更に長大な航続力の要求を満たすため機体の空力設計、高高度での戦闘を可能にするための与圧コックピットとエンジン過給機、機体後端のプロペラの接地を防ぐための長大で大重量の前輪式降着装置、これらの開発を同時進行で進めることには多大な困難が伴った。


 難航する十六試局戦の開発に対して給油機の開発は順調に進んだ。

 九七式大艇を改造した試作給油機は昭和15年中に初飛行を終え、受油装置を装備した九六式中攻との間で検証テストを繰り返し、多発機を対象とした場合の空中給油は昭和16年末には実用段階にまで進んでいた。

 同年、当時開発の進んでいた二式大艇をベースにした空中給油機の試作が、十六試空中補給機として川西航空機に発注され翌年中に開発を完了、昭和18年に三式給油飛行艇天空として正式採用され量産が開始された。

 自機消費燃料を含めると25,000ℓの燃料漕を持つ天空は、実戦配備当初は本来の用途では使用されず、北米戦線において陸路での補給が困難な最前線に近い航空基地周辺の湖沼へ航空燃料を輸送する任務に投入されている。


 十六試局戦は単座の迎撃戦闘機タイプと複座の長距離戦闘機の2機種を、基本部分を同一の機体で並行して開発が進められていた。

 先行して昭和18年6月に正式採用されたのは単座型で、金星エンジンを18気筒化し気化器の代わりに燃料噴射装置を採用、2速式過給機で離昇出力は2,130馬力の恒星エンジンを搭載、6翅式プロペラを採用し最高速度は725キロ、胴体400ℓ両翼にそれぞれ200ℓ翼下に200ℓ増槽×2で航続距離1,500キロ、武装は30ミリ機銃4門弾丸60発×4だった。

 単座型は同年8月から量産開始、月産40機のペースで製造され、同年12月より北米西海岸方面で実戦配備された。


 複座型は高高度性能の向上が求められており、4翅×2の2重反転プロペラや排気タービンの開発の遅れから試作機が初飛行を行ったのが昭和18年9月、正式採用されたのは同年の12月、先行して量産化が進められており11月より月産30機の製造が始まっている。

 複座型は4翅×2の2重反転プロペラを採用してプロペラ径が小さくなったことで主脚の全高が短縮された結果、降着装置の重量が軽減された他、主脚短縮化と胴体の延長により前輪の取り付け位置が前方に移動し、離着陸時の機体の安定性が向上した。

 排気タービンを装着した恒星エンジンは離昇出力2350馬力を発揮、機体を延長し2重反転プロペラを採用したことで重量が350キロ近く増加した複座型だったが最大速度740キロを可能とした。

 タンデム複座型のコックピットは、前後の座席にそれぞれ操縦装置があり、操縦士二人が交替して操機することで長時間飛行に対応している。

 複座型では胴体の燃料漕が600ℓに大型化しており、航続距離は最大2,200キロに達している。

 武装は長砲身20ミリ機銃を機首に6門集中装備、1門当たり220発の銃弾を携行した。


 昭和19年5月始め、米国中北部モンタナ州グレートフォールズの南東300キロにあるビリングスの航空基地に、海軍航空隊の三式大攻連山420機が進出する。

 この時期北米大陸の北西部への侵攻を続けていた日本軍は、モンタナ州の大半を制圧し更にワイオミング州の一部を占領していた。

 陸海軍の航空部隊はモンタナ州東部からワイオミング州北部にかけて多数の航空拠点を確保し、この方面における航空優勢を握っていた。

 単座型震電の大半がこの戦域に配備され、米軍爆撃機部隊への迎撃戦闘で高速重武装の性能を遺憾無く発揮して多大な戦果を挙げ、重爆キラーとして米軍爆撃隊に恐れられた。

 ワイオミング州の北東部のシェリダンにある飛行場は、震電を装備する戦闘機部隊の拠点基地の一つとなっていたが、4月の後半からこの基地に複座型震電が次々と配備され始めた。

 同時期シェリダンの南方30キロにあるデ・スメット湖に海軍の水上機基地と燃料貯蔵庫が完成し、二式輸送飛行艇晴空と三式給油飛行艇天空により大量の燃料等の補給物資が運び込まれる。


 昭和19年5月12日、拡張され4本の長大な滑走路を持つビリングス海軍飛行場から三式大攻連山が次々と飛び立っていった。

 連山稼働機350機による全力出撃の攻撃目標はミシガン湖南端の米国有数の工業都市イリノイ州シカゴ、1,700キロを超える長距離爆撃作戦が始まった。

 この当時テキサス州ヒューストンが枢軸軍に制圧され、枢軸軍はさらに北進を続けていた。

 枢軸軍が北上を続けると米国西海岸と東部が分断され、さらに五大湖周辺が戦場になった場合米国の国力の源泉ともいえる工業生産力が大きく損なわれてしまう。

 米軍はレッド川の北岸に長大な防衛線を築き戦力を集中、枢軸軍の北上の阻止を図った。

 大戦力が南部戦線に送られた結果、重要度の低い北西部での日本軍の侵攻に対しては遅滞防御を行い時間を稼ぐ戦術が取られていた。

 米軍の航空戦力はキューバ防衛戦とフロリダ半島航空戦での大消耗から回復できていないため、そのしわ寄せで日本軍の脅威度が低いとされていた五大湖周辺では、配備されていた航空部隊の多くが他方面に抽出され航空戦力が弱体化していた。


 連山爆撃隊の大規模出撃が行われたこの日、日本軍の陸海航空部隊はノースダコタ、サウスダコタ、ワイオミングの米軍航空拠点に対して早朝から全力攻撃をかけており、米軍は連山爆撃隊の攻撃目標がシカゴであることを察知していたものの、各地の米軍航空隊はその対応に追われ連山部隊を迎撃する余力を持たなかった。

 日本軍のシカゴ空襲への対処は、五大湖一帯に配備された防空戦闘機部隊に一任されることになる。

 シカゴ方面に向けて日本軍の長距離爆撃機多数が接近中との報を受け、米陸軍航空隊はP-38、P-47を主力とする200機近い戦闘機をシカゴ防衛に出撃させた。

 連山爆撃隊は高度6,000メートルで飛行しシカゴ都市圏の前方120キロで米軍戦闘機の迎撃を受ける。

 米軍の戦闘機部隊はそこで予想だにしない120機近い日本軍の直掩戦闘機複座型震電の応撃を受け壊乱、連山爆撃隊は殆んど損害を受けることなくシカゴ上空に侵入し、対空砲火をものともせず1,400トンの爆弾を投下し作戦を終える。

 この日シェリダン基地から出撃した震電戦闘機部隊138機はデ・スメット湖の水上機基地から発進した22機の三式補給艇より往路復路でそれぞれ600ℓ合計1,200ℓの空中給油を受け、機体の不調などにより20機近い脱落機を出しながらもシェリダン・シカゴ間往復3,150キロを飛行し、連山隊によるシカゴ爆撃の直掩任務を成功させた。

 日本軍の損害は連山17機と震電10機で、震電の損害の大半は機体の不調や離着陸時の事故によるものだった。


 戦史上初めて空中給油機による戦闘機の航続距離延伸が実戦で行われたこの日の戦闘は、米軍と米政府に大きな衝撃を与えた。

 最早米国に安全な場所はなくなり、枢軸軍が望めば北米大陸のあらゆる地域が戦場となる。

 米国政府の内部では無条件降伏をも視野に入れた早期講和派が台頭し、強硬に継戦を主張する大統領一派との間に対立が生じることになる。

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