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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
星墜の凱歌
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十六試局地戦闘機

 昭和18年6月に正式採用された日本初のエンテ翼、推進式エンジン搭載の高速戦闘機震電は、昭和14年にノモンハンで起こった日ソ軍事紛争を契機に研究が進められたという、正道の航空機開発から外れたちょっと変わった開発経緯を持つ機体だった。


 ノモンハンでの日ソの軍事衝突は、五月に起こった満州軍守備隊とモンゴル騎兵の戦闘からエスカレートを重ね、7月から9月にかけて日ソ正規軍による大規模な戦闘へと拡大した。

 双方ともに大兵力を展開し大量の戦闘車両、砲兵、航空機を投入しての、従来にない本格的な近代戦がノモンハンの荒野で繰り広げられた。

 ソ連軍は大量の航空機を投入して航空優勢の下に戦闘で優位に立とうと試み、日本軍は航空戦での数的劣位を挽回すべく海軍航空隊をノモンハンに送った。

 海軍は長大な航続力を持つ重爆撃機を以てソ連軍の後方兵站基地を叩くべく、九六式中攻60機余りを出撃させる。

 爆撃隊はソ連軍に察知されることなく兵站基地に集積された補給物資の破壊に成功するが、帰路ソ連軍戦闘機部隊に捕捉され大損害を受ける。

 25機が未帰還、帰着した九六式中攻の半数近くが全損扱いで廃棄され、多数の死傷者を出したほか撃墜された機体から脱出した搭乗員40名近くがソ連軍の捕虜となった。

 この戦闘の直後、海軍航空隊は戦闘機の護衛のつかない爆撃機の出撃を禁止する。

 またこの作戦を主導した司令部要員は部隊指揮から外され、海軍航空本部による聴取の後無謀な作戦により部隊に大損害を生じさせたことに対する責任追及を受け、譴責訓戒や降格などの措置が取られることになる。


 海軍航空本部はこの戦闘及び同時期に起こった上海航空戦の戦訓を研究した結果、次期中型攻撃機の防御力の大幅な向上を図るとともに、開発中の長距離爆撃に追随できる護衛戦闘機に対する見直しを行う。

 本来長距離爆撃の護衛に関しては、当時開発中だった長大な航続距離を持つ十二試艦戦や十三試双戦がその役割を負うものとされていたが、戦闘機を含めた軍用機の防御の強靭化やエンジンの出力向上によって戦闘機の航続距離の長大化が難しくなってきたことから、その開発方針は大幅に変更されることになった。

 十二試艦戦は昭和14年中にほぼ開発は終わっており、昭和15年前半には量産体制が整う見通しとなっていたため、当初設計の機体の量産化と並行する形で機体各部の再設計が進められた。

 十三試双戦については、防御力を向上させた場合の機体性能の低下が顕著になるため、開発の継続を断念し新たな要求性能の下での新規試作が決定される。


 昭和14年から15年にかけて陸海軍共同で開発が始まった長距離爆撃機で要求されていた航続距離は、双発の中攻で3,500キロ、4発の大攻で4500キロと現状の単発戦闘機では実現不可能、双発戦闘機では仮に達成できたとしてもその戦闘性能は非常に低劣なものにしかならないと予想できた。

 海軍航空本部技術部は発想を転換し、空中給油機による燃料補給を実現することで理論的には無限大の航続距離を戦闘機に与えることを計画する。

 給油方式としてイギリスで開発されたプローブアンドドローグ方式が採用され、給油機の母体には4発飛行艇九七式大艇が選定される。

 ここまでの過程には格別大きな問題は生じなかったが、難題は受油側の機体にあった。

 当時の航空機の殆ど全てはプロペラによる索引式を採用しており、機体前端に高速で回転するプロペラを装着している。

 給油機が垂らす給油ホースの先端の漏斗状のバスケットを受機側の受油装置に挿入する際、受機側のプロペラが障害になるため受油装置の設置場所は翼端や胴体後部上面に限られ、尚且つプロペラの存在故に機体の操作が難しく重大事故に繋がり易い。

 この問題を解決するためには、エンジンを多発化して機体前部に給油装置を設置するか、あるいは推進式の機体を開発して機体前端のプロペラを無くしてしまうことが考えられた。

 エンジンの多発化は十三試双戦の開発が中止になったように、護衛戦闘機としては性能に不安があり見送られた。


 昭和14年当時推進式エンジンの戦闘機にはイタリアのアンブロシーニSS4があり、その資料は昭和14年の遣欧親善艦隊の訪伊時に伊海軍に航空母艦に関する各種機材と資料や酸素魚雷を提供した際、カプロニ・カンピニ N.1モータージェット推進機などの資料と共にイタリア政府より海軍に譲渡されていた。

 SS4はカナード翼、翼後縁に双発のフィン、引き込み式の三輪式着陸装置、推進式プロペラを駆動する後部エンジンを搭載した短い胴体を持つ全金属製の単座戦闘機で、2度目の飛行試験の際に事故を起こし機体は失われていた。

 海軍航空本部はこのSS4の資料を参考にして、空技廠の新人技術将校鶴野正敬を中心として昭和15年より本格的に推進式戦闘機の研究を始める。

 当時海軍の軍用機を生産していた航空機メーカーの多くは、上海航空戦の結果起こった各種軍用機の設計見直しに追われ余裕を無くしていたため、九州福岡の航空機製造会社渡辺鉄工所を本拠地にして研究が進められる。

 昭和16年初めにはアンブロシーニSS4を参考に金星エンジンを搭載して製作された実験機の飛行に成功、最高速度570キロを記録している。


 推進翼機の研究が進んだ昭和16年に入り海軍航空本部は十六試局地戦闘機として正式に開発を決定し、渡辺鉄工所に試作機の製作が発注された

 海軍から提出された要求性能は単座型と複座型の2種に分かれており、単座型は高度8,700mにて速度約740キロ以上、高度8,000mまで10分30秒以内の上昇性能、実用上昇限度12,000m以上、航続距離1,600キロとされていた。

 複座型は空中給油前提の機体となっており速度700キロ以上上昇速度や上昇限度は単座型と同等、航続距離は増槽装備時2,200キロ、対空電探の搭載可となっていた。


1,000字ほどで開発経緯を書いて、後半1,000字超で実戦投入のはずだったんだけど、・・・次回に続きます。

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