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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
星墜の凱歌
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王立海軍の最後

 昭和17年12月、スペインの対連合軍参戦によりあっけなくジブラルタル要塞が陥落した直後、英国政府と英連邦構成国の間で今次の世界大戦の方向性について、要は戦争を継続するのか止めるのか激論が交わされた。


 太平洋やインド洋、地中海、さらには大西洋の少なからぬ海域で連合軍は制海権を失い、殆んどの英連邦諸国と植民地は自領と英国本土間の航路を枢軸軍によって遮断されていた。

 英国本土との交易を前提にした産業構造で成り立っていた英連邦各国と植民地の経済は、交易路が遮断された結果生産品の滞貨と輸入産品の不足が同時に起こり深刻な混乱状態に陥ってしまった。

 この状況が継続した場合植民地の離反はもちろんの事、近い将来に連邦諸国も戦わずして国家経済が崩壊、更に民心が離れ政体の維持存続さえも困難になることが予測された。

 

 米国と共に対枢軸戦争を継続し最終的勝利を図ろうとする英国政府と、早急に停戦講和を求めるカナダを除く連邦諸国との間に出来た溝は深く、昭和18年に入ると豪州、ニュージーランド、南アの三国は、英米に内密に枢軸諸国との間に交渉ルートを作り戦争終結に向け動き出した。


 昭和19年、英国本土失陥と英王室のカナダ脱出、枢軸軍のカリブ侵攻、中南米諸国の連合国からの離脱とメキシコの対英米参戦によって連合国の退勢が強まると、本来継戦派として英国政府及び米国と行動を共にしていたカナダ国内でも動揺が広がった。

 枢軸側から連邦諸国に対して、英王室の存続と一部を除く国土国体の保全を条件にした降伏の呼びかけがなされ、カナダを除く連邦諸国はこれを受け入れるとともに、英本土から逃れた英王室を護持するカナダ政府に対しても降伏を呼び掛け、カナダ政府も英連邦諸国の一員として枢軸側との交渉に参加する。


 英国政府と米国に秘密裏に行われた枢軸カナダ政府間の交渉は、戦略情報局(OSS)の諜報活動により米国政府の知る処となる。

 米国はカナダ政府内の講和派を拘束しカナダ政府を傀儡化するとともに、オタワに滞在する英王室を拉致確保し米国内で保護する計画を立てる。

 この情報は米国政権内の対枢軸講和派によりカナダ政府にリークされ、先手を打ったカナダ政府の手引きで英王室は日本軍占領下のバンクーバーへの脱出に成功する。

 この事件により英国政府は実質的に消滅、カナダ政府と米国の対立は米加間の軍事衝突へと拡大した。

 ノーフォークでフロリダ半島に向け出撃準備中だった英加艦隊は、米国による英王室拉致計画を知ると出撃を拒否、米海軍が武力によって武装解除を迫ると艦隊各艦は英海軍によって自沈処置が取られ、チェサピーク湾は英加両艦隊の墓場となった。


 英国艦隊の自沈によって作戦参加戦力が大幅に減少したため米国大西洋艦隊はフロリダ方面への出撃を断念、フロリダ半島に展開していた米軍航空戦力は後方部隊を含めると90隻近い空母を擁する枢軸艦隊との戦闘で壊滅、グランド・バハマ島守備隊は4月4日の上陸戦開始から2日と持たずに降伏する。


 グランド・バハマ島の戦いが終わった2日後の昭和19年4月8日、メキシコ湾岸沿いに東進を続けていた枢軸軍南部方面軍は、テキサス州ヒューストン市の外郭防御陣地群を一蹴しヒューストン市街に迫っていた。

 ヒューストンが枢軸軍の手に落ちると、五大湖に到る迄約1,000キロの間殆んど遮るものの無い平原が続く。

 ミシシッピ川を利用した河川輸送を利用すれば、枢軸軍はミシガン湖南端の大工業都市シカゴにも短期間で手が届く。

 枢軸軍の侵攻に対処するため米軍は周辺諸州の戦力を搔き集め、州兵や志願民兵も含め80万近い戦力をヒューストン防衛のため集めていた。

 兵力的には50万を切る枢軸軍に対して大きく優位を保つ米軍ヒューストン防衛軍だったが、その装備や補給物資は充分なものとは言えなかった。

 戦車を始めとした装甲戦闘車両は、新型車両の殆んどが英国やキューバ、カリフォルニア戦線に送られていたため、長砲身の76mm戦車砲 を搭載したM4中戦車は僅かな数しか配備されておらず、殆どのM4は枢軸軍の新型戦車に対して威力不足の短砲身の37.5口径75mm戦車砲を積んでいた。

 戦車自体の装備数も十分でなく、また装備車両の半数以上が旧式化したM3軽戦車やM3中戦車で占められていた。

 さらに陸戦の主役ともいえる火砲も数が足りないうえ、一門当たりの砲弾数も定数を大きく下回っていた。

 それでもヒューストン前面の防衛線は幾重にも張り巡らされた塹壕線と堅牢な多数のトーチカによって構築されており、現地の米軍司令部はヒューストン防衛戦の長期化を確信していた。


 枢軸南部方面軍によるヒューストン攻略は4月10日から本格化する。

 合計800機超の爆撃機と戦闘機による航空攻撃と長距離ロケット弾の一斉射撃が、米軍の多重化された塹壕線に降り注ぐ。

 米軍は枢軸航空部隊に対して殆んど対抗手段を持たず、守備部隊は一方的な銃爆撃に曝されその士気は日に日に低下していった。

 枢軸航空部隊による焼夷弾攻撃は米軍の塹壕やトーチカに潜む兵士に大損害を与え、重装甲の戦車を先頭に侵攻する枢軸軍部隊は各所で容易に前線を突破し守備部隊を蹂躙した。

 ヒューストンの攻防は、前線を突破した枢軸軍機甲部隊が同市を東西から包囲する形で進撃を続け、4月18日にヒューストン北方で包囲網が完成したことで趨勢が決した。

 補給線を断たれた防衛部隊は急速に弱体化し、攻略戦開始から3週間後の5月1日に枢軸軍に降伏する。

 米軍は10万人近い戦死者と30万人を越える捕虜を出し、枢軸軍の圧勝でヒューストンの戦いは終結した。


 


 

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