連合国瓦解
メキシコ政府が枢軸諸国との間に講和条約を締結するとともにアメリカ合衆国及びイギリス連邦に対して宣戦布告を通知したのは、キューバの制空権争いで枢軸側の勝利がほぼ確定した昭和19年3月11日のことだった。
メキシコ各地に展開していた米軍の海空哨戒部隊は、メキシコ政府による宣戦布告発布直後にメキシコ軍の急襲を受け、ほとんど抵抗できないまま拘束、武装解除された。
同日、枢軸軍の上陸船団がメキシコ湾沿岸の港湾都市ダンピコに入港し、日仏西3か国12万人の陸兵が続々とメキシコの土を踏む。
上陸船団を護衛してメキシコ湾に入った第三航空艦隊と仏海軍空母機動部隊は、キューバ方面に稼働機の大半を抽出され航空戦力の空白地帯と化していたテキサス州とルイジアナ州の港湾施設や航空基地を攻撃、各施設に多大な損害を与えたほか多数の艦船を撃沈する。
さらに艦隊に随行していた日仏の戦艦7隻がテキサス州ヒューストン沖に進出、同地に集積していた石油精製工場などの石油関連施設は灰塵と化した。
先の日本軍空母機動部隊による西海岸攻撃によってカリフォルニア州の石油関連施設が大損害を受けていたことに加えての今回のテキサスの石油施設の破壊は、米国の石油需給に深刻な打撃を与えることになる。
3月12日、首都バハマの南方200キロに位置するキューバ第二の面積の島フベントゥドに枢軸軍が上陸する。
米軍はキューバ本島に防衛戦力の殆んどを配置していたため、この島には旅団規模の守備隊を配備していただけであり、守備隊は3個師団相当の枢軸軍の上陸部隊との戦闘により短期間で制圧され降伏した。
フベントゥド島には1943年に米軍がキューバ防衛のため建設したヌエバ・ヘロナ航空基地があり、枢軸軍は同島の制圧後飛行場を拡張し、進出した航空部隊によりキューバ西部の制空権を掌握した。
枢軸軍はハイチのポルトーフランス及びジャマイカのキングストンを艦隊の根拠地として整備し、カリブ海からメキシコ湾にかけての制海権を確立する。
日本海軍陸戦隊が昭和19年3月中にバミューダ諸島とバハマ諸島を占領したことにより、枢軸軍の長距離爆撃機は大西洋を島伝いに北米戦線へ移動することが可能になった。
枢軸軍が上陸しなかったためキューバ本島の米軍40万人は健在だったが、在キューバの米軍航空戦力が壊滅し残存部隊も米本土に撤退したことで、キューバの米軍は実質的に無力化された状況となっていた。
メキシコの枢軸軍戦力は相次ぐ増援により3月末には60万以上の兵力に拡大し、その先鋒はテキサス州南部に侵攻し国境一帯を制圧下に置いていた。
メキシコの連合国離脱と対英米宣戦布告の後、昭和16年の米国参戦後連合国に参加していた中南米諸国は雪崩を打って枢軸国との間に講和条約を結ぶ。
昭和19年の4月時点で連合国に残ったのは、米国と英連邦諸国及びヨーロッパ諸国の亡命政権を除けばパナマ運河の存在によって駐留米軍に実質的に支配されたも同然となっていたパナマ共和国とその周辺諸国ぐらいだった。
英連邦のうち豪州とニュージーランド、インド、南アフリカなどは交通路を遮断されそれぞれが孤立状態にあり、アイルランドは占領統治していた英米軍との間で紛争が発生、唯一カナダだけが英王室と亡命政権の下枢軸国との戦争を継続していた。
米国は西海岸北部から中西部方面での日本軍との戦闘に加え、メキシコと国境を接するカリフォルニア・アリゾナ・ニューメキシコ・テキサスの4州で枢軸軍と対峙することになり、さらにバハマ諸島の一部が占領されたためフロリダ半島から東海岸方面でも枢軸軍の海空戦力による圧力がかかっていた。
イギリス本土に派遣していた大兵力が失われた他、キューバ、ハワイ、オセアニア、南アフリカ、パナマ、アイルランド、アイスランド等各地に駐留する米軍部隊は米本土との連絡を絶たれて孤立していた。
開戦以降の戦闘による消耗と合わせると、米軍は昭和19年3月末の時点で300万人近い戦力が無力化されたことになる。
米軍は開戦以前から従軍していた充分な訓練を受けた練度の高い兵士の大半を失い、現時点で米本土の守りについている部隊の殆んどは動員後不十分な訓練を受けただけの実戦経験のない新兵で編成されていた。
この状況に加えて枢軸軍がメキシコ湾沿岸一帯の制空制海権を握った結果、テキサスやカリフォルニアの油田地帯と東海岸の工業地帯との間の輸送手段が内陸部を通る鉄道や車両輸送に限られてしまったことも米国の総力戦体制に大きな影響を与えていた。
パナマ運河が途絶しさらに西海岸の工業地帯の工業地帯が日本軍の攻撃で破壊されたことで、米国の生産力は総力戦体制に入っているにもかかわらず減少していた。
それに加えて南米からの資源輸入の途絶とエネルギー源である石油生産の大幅な減少が追い打ちをかけ、米国の生産力は開戦前の水準を大きく割り始めていた。
また石油生産の不足からガソリンや軽油の供給も減少したことに加え、軍需が優先されたため国内の鉄道や貨物自動車による物資輸送にも制限がかかっていた。
連合国の窮状が続く中、枢軸軍の新たな攻勢の矛先は英国領バハマ諸島に残る連合軍最後の拠点でフロリダ半島の東方沖合約130キロに浮かぶグランド・バハマ島に向けられる。
平坦な地形が続くこの島は航空基地建設が容易で、連合国は大西洋が主戦場となった昭和18年に2か所の飛行場を建設していた。
この島を占領され枢軸航空部隊が展開した場合フロリダ半島南部はその攻撃範囲に入り、連合軍がフロリダ半島南部の制空権を失うとキューバに展開する米軍は補給路を断たれ完全に無力化されるとともに、枢軸軍にメキシコ湾でのフリーハンドを与えてしまうことになる。
米軍は東海岸各地の航空戦力をフロリダ半島に移動して、枢軸軍のグランド・バハマ上陸作戦の阻止を図るとともに、連合国艦隊を再度フロリダ半島に向わせるための出撃準備に入った。
ポルトーフランスとキングストンから出撃した枢軸艦隊の先鋒がバハマ諸島ニュー プロビデンス島に近づいた昭和19年4月1日、英連邦臨時首府となっていたオタワに滞在していた英王室が4発輸送機アブロ ヨーク4機で日本軍の占領下にあるバンクーバーに亡命、同時にウィンストン・チャーチルを首班とする英国亡命政権がカナダ政府により逮捕拘束される。
その翌日英連邦は、枢軸同盟諸国との停戦に合意したことを布告した。




