西海岸蹂躙
西海岸蹂躙
連合艦隊が北米西海岸を襲った昭和18年8月、米国陸海軍が本土防衛のために実戦配備していた戦闘機及び爆撃機の総数は、空母機動部隊の所属機を除いて9,000機近くに及んでいた。
そのうち西海岸には3,500機が配備され、その半数余りを戦闘機が占めていた。
この戦闘機のうち陸軍機の大半はP-40やP-39で占められており、新型のP-38やP-47は最前線であるハワイやイギリスと東海岸への配備が優先され西海岸の部隊へはわずかな数が送られただけだった。
同様に西海岸の海軍航空隊も新型機は少なく、F4F配備の部隊がほとんどを占めていた。
実戦経験に乏しい西海岸の米軍戦闘機部隊は、戦闘機の総数では日本軍機を大幅に上回っていたが、重爆迎撃用の二式重戦を除けば最新型の三式艦戦だけで編制された歴戦の日本の戦闘機隊に対し性能面でも劣勢で、数の優位を活かすことはできず日本軍機動部隊の跳梁を許してしまう。
日本艦隊への航空攻撃に際し航続距離の短いP-40やP-39は攻撃隊に随伴することが難しく、攻撃隊の護衛は海軍のF4F、F4Uと配備数がわずかな陸軍のP-38、P47によって行われた。
このため日本艦隊に向かったほとんどの攻撃部隊は充分な護衛を受けることができず、空母戦闘機隊の迎撃により大損害を被り撃退されることになる。
8月17日から18日にかけ連合艦隊第一航空艦隊は、米軍の航空攻撃を撃退しつつワシントン州とオレゴン州の軍事施設、港湾、交通網に攻撃を集中して南下を続ける。
米軍は東海岸に配備されている航空戦力をカリフォルニアに移動して戦力の増強を図っていたが、何千機もの航空機をわずかな期間で4,000キロを超える距離を移動させることは米国の国力をしても大変な難事であり、人員機材燃料等の手当てが進まず航空部隊の移動は各所で停滞してしまう。
米軍航空部隊の混乱が続く中、日本艦隊の戦艦部隊がサンフランシスコ沖に現れる。
8月19日、米軍航空部隊の抵抗を排除し一帯の制空権を確保した日本艦隊は、8隻の戦艦をファラロン湾に並べその主砲をサンフランシスコに向けた。
最初の標的にはゴールデンゲイトブリッジが選ばれた。60門の巨砲から次々放たれる砲弾により、米国フロンティアの象徴ともいえる巨大な架橋はあっけなく崩れ落ちた。
日本軍の来襲を恐れパニックになった市民の殆んどが逃げ出したサンフランシスコとその周辺の都市は、一定の間隔で次々と撃ち出される巨弾により瓦礫の山に変わっていった。
太平洋岸に面するほとんどの都市の住民たちは、安全な場所求め東に向かって避難を始めた。
東に向かうありとあらゆる道路は避難民の車で埋まり、動きが止まった車列の脇を荷物を抱えた市民の行列がどこまでも続いていた。
上陸した日本軍と戦うため北に向かう陸軍部隊の車列は、避難民の集団に飲み込まれ一歩も進めなくなっていた。
東海岸側から西海岸の救援に向かう車列も同様に遅々として進まず、米国全土を巻き込んだ大混乱はいつ迄も終わりを見せようとはしなかった。
サンフランシスコ一帯を破壊と混乱の渦に陥れた一航艦戦艦部隊の砲口は、150万の人口を擁するカリフォルニア州の州都ロサンゼルスに向けられる。
西海岸に配備されていた米艦隊は、護衛空母や護衛駆逐艦からなる対潜部隊を主力とした小規模なもので、その他には工作艦や補給艦等の補助艦艇と少数の潜水艦、数隻の旧式軽巡洋艦や駆逐艦しか配備されていなかった。
日本艦隊の来襲を受けて、西海岸に配備されていた諸艦艇は防備の厚いサンディエゴ軍港に集結していた。
艦隊司令部では、航空戦で敗色濃厚な現状でサンディエゴで艦隊が待機した場合ここに集結している艦艇は日本軍の攻撃で壊滅するのは必至として、至急パナマ方面に脱出すべきとの声が大きかった。
足の遅い補助艦艇や輸送船を確実に逃がすため、艦隊司令官は戦闘部隊の全力をもってロスアンゼルス沖に向かい日本艦隊を足止めするための夜襲をかけることを決断する。




