オアフ島強襲1
オアフ島強襲1
1942年10月に起こった北太平洋海戦とそれに続く一連の戦闘で米太平洋艦隊が壊滅したことは、ドイツとソビエトが対峙するユーラシア中央部で、イギリスが孤塁を守る西ヨーロッパで、自国の利益を守るため連合国と枢軸国を天秤にかけながら大戦の行方を見据えている中立国の動静に影響を与えた。
地中海インド洋を掌握し大西洋やユーラシア大陸でも優勢に戦いを進める枢軸国が太平洋で決定的な勝利を収めた結果、中立諸国の天秤は枢軸側に大きく傾いた。
イギリスの占領下にあった中東諸国は、枢軸軍による解放を受けて各国とも枢軸国に加わり英米ソと戦うことを選んだ。
12月にはトルコが枢軸の旗の下に連合国との戦争に踏みだし、黒海とカスピ海に挟まれたソ連トルコイランを結ぶ回廊は枢軸の手に落ちた。
従来独伊はほとんどの石油をルーマニアの油田に依存していたが、イランとバクーの油田を得たことで不足気味だった枢軸側の石油事情は好転した。
同じく12月にスペインも枢軸につき英米に宣戦布告、孤立したジブラルタル要塞は陥落した。
この結果枢軸国はスエズとジブラルタルという地中海の出口を共に確保し、太平洋から大西洋へと続く海上交通路を手に入れた。
そして翌昭和18年2月、フランスもまた枢軸側に立つことになる。
ドイツとの戦いに敗れたとはいえ就役目前の未成戦艦も合わせると4隻の高速戦艦を始めとして多数の艦艇を保有するフランス海軍が枢軸に加わり、大西洋の軍事バランスは大きく枢軸側に傾いた。
昭和18年に入ってから米海軍の空母戦力は大きく増強され、8月の時点でエセックス級空母4隻とインデペンデンス級空母6隻が戦力に加わっていた。
また護衛空母として1万トン前後の小型空母も20隻近く就役し、次々と大西洋での船団護衛に投入されている。
そのほかアイオワ級戦艦2隻とバルチモア級重巡2隻クリ―ブランド級軽巡8隻、防空軽巡1隻の他、多数の駆逐艦が建造されていた。
艦艇の数だけはある程度揃ったものの、枢軸艦隊と正面から戦うには連合軍の戦力は充分とは言えなかった。
それに加えて前年10月に受けた太平洋艦隊の壊滅的打撃により熟練乗員多数を失った影響は大きく、新造艦はいずれも錬成が遅れ練度不足によりその戦闘力を十全に発揮できるとは言い難い状況だった。
日本の艦隊が4月のパナマ運河再攻撃以降大西洋・地中海から姿を消していることから、連合軍は太平洋方面において日本海軍の新たな攻勢が始まることを予測していた。
日本軍の作戦目標は、北米西海岸への攻撃とハワイ諸島オアフ島の占領と考えられていた。
現状の米艦隊でこれに対応した場合北太平洋海戦の再現になることは避けられないため、米統合参謀本部はハワイへの更なる兵力の増強と西海岸方面の航空戦力の強化でこれに対応する。
ハワイには現状の8個師団相当に加え新たに4個師団を増強、航空戦力も前年の北太平洋海戦時を上回る1,200機余りが配備された。
西海岸の航空戦力は陸海軍合わせて3,500機に増強、その大半がサンディエゴからサンフランシスコに連なる各所に配備され日本機動部隊の来襲に備えた。
昭和18年8月9日早朝、オアフ島北西370キロに近づいた第一、第二航空艦隊から出撃した750機を超える攻撃隊がオアフ島を襲い、三度目のハワイ攻撃が始まった。