パナマ再見
パナマ再見
昭和18年2月北フランス・ビスケー湾ラ・ロシェルに進出した一航艦を主力とする遣欧艦隊は、麾下の3個機動部隊による大西洋交通破壊戦を始めた。
ヴィルヘルムスハーフェンから出撃するドイツ海軍とジブラルタルを拠点としたイタリア海軍、日本海軍の3か国の艦隊が大西洋に展開して英米間の交通遮断を始めた2月、英米の商船被害は過去最大となった。
2月中盤から3月にかけて大西洋で失われた船腹は190万トンを超え、護衛に当たっていた空母を始めとした対潜部隊も大損害を受けている。
3国の潜水艦、戦艦や巡洋艦などの戦闘艦艇、航空機がそれぞれ連携することにより、連合軍船団は次々捕捉され逃走する間もなく壊滅していった。
2月18日、連合国は中立国アイルランドの枢軸入りを危惧して、同国への侵攻を開始する。
首都ダブリンを占領し降伏させると、8個師団相当の英米地上部隊と500機余りの航空部隊がアイルランドに進駐、配備される。
アイルランド首相エイモン・デ・ヴァレラと閣僚達政府の中枢は、ダブリンを脱出し枢軸側に保護される。
アイルランド全土と北アイルランドにおいて枢軸の支援を受けた抵抗運動が始まり、連合国はあえて火中の栗を拾ったその始末に苦しむことになる。
3月20日に枢軸艦隊が、連合国が北大西洋の抑えとして占領していたアイスランドを攻撃する。
枢軸海軍の空母部隊の航空攻撃により、アイスランドの連合軍航空兵力は壊滅した。
続いて始まった2隻の戦艦と5隻の巡洋艦による艦砲射撃で、アイスランドの連合国拠点はその機能を完全に失い、守備隊の兵員にも大きな損害が発生した。
アイスランド襲撃の2日後には日本海軍によるアゾレス諸島への進駐作戦が行われ、航空部隊と陸戦隊がポルトガル政府の許可を受けて駐留する。
英国海軍は英本土南東部が枢軸国航空部隊の爆撃により安全が確保できないため、艦隊拠点をスカパフローに移していたが、日本の空母機動部隊による攻撃を恐れその拠点を北米に移転せざる得なくなっていた。
米海軍の主力戦艦と空母が枕を並べて撃沈された北太平洋海戦の後、英国海軍は枢軸海軍に唯一対抗できる存在となっていた。
しかし昭和17年12月に北極海で起こった独英の戦艦同士の戦いで、デュークオブヨークが独艦隊の2戦艦との戦いにより失われ、翌18年2月には日本軍機動部隊の攻撃でマラーヤを撃沈された他、護衛空母や巡洋艦にも多くの損害を出している。
枢軸海軍との相次ぐ戦闘で消耗を続けた英国艦隊には、日本の機動部隊を中心に猛威を振るう枢軸海軍相手にこれ以上の出血に耐える戦力はすでに無かった。
英国艦隊が北米に拠点を移して一か月後の昭和18年4月末、カリブ海に浮かぶ島々の連合軍拠点は、総計26隻の空母と18隻の戦艦、それに付き従う多数の艦艇からなる枢軸連合艦隊の攻撃を受け次々と破壊されていた。
艦隊の進路の先には再建半ばのパナマ運河があった。
空母部隊を後方に置き、その上空援護のもと戦艦部隊はパナマに向かった。
米艦隊も英艦隊もパナマに現れることは無かった。
パナマ防衛のため米国が派遣していた航空機は700機を超えていたが、搭載機の半数以上を戦闘機で占める枢軸機動部隊は、戦艦部隊の直掩に常に200を超える戦闘機を配していた。
8波にわたって続いた米軍航空隊の攻撃は戦闘機部隊によって阻止され、戦闘機の壁を抜けて戦艦に向かった攻撃隊も、戦艦と周囲を固める護衛艦艇の激烈な対空砲火の前に次々と撃破されていった。
パナマ航空部隊との戦闘により数隻の戦艦が損傷したが、その戦闘力は減じることなく艦隊はパナマ北岸沖に現れた。
前回の航空攻撃とは逆に戦艦の砲撃に曝された再建中のガトゥン閘門とダムは根こそぎ破壊され、そのほかの施設も砲撃と航空攻撃により粉砕された。
パナマ攻撃後カリブ海で補給を済ませた枢軸艦隊は、ジャマイカ島沖で補給部隊と分離すると、キューバ南岸を進みながら同島の軍事施設を攻撃していく。
枢軸連合艦隊は、ユカタン海峡からメキシコ湾を経てフロリダ半島に迫った。
米海軍にはこの時期東海岸に戦闘可能な6隻の攻撃空母を持っていた。
カナダの英海軍には4隻の攻撃空母があった。
しかし連合軍は枢軸艦隊によるフロリダ半島攻撃に対して、これらの空母を差し向けることは無かった。
米軍航空部隊との間で連続した戦闘があったが、この方面の米軍部隊は実戦経験もなく二線級の機体が多かったため枢軸艦隊の損害は小さかった。
マイアミ周辺を中心にフロリダ半島の軍事施設と産業インフラを砲爆撃により破壊した艦隊は、大西洋に入り補給部隊と合流した帰路、アイルランドの連合軍を攻撃して作戦を終了した。
米国はパナマ運河の再建を断念、対潜部隊以外のパナマ方面に派遣していた部隊をすべて引き上げた。




