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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
灼光の戦譜
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二式陸攻

二式陸攻鋭山(二式重爆魁竜)


 昭和18年に入り、英国の抵抗を挫くための枢軸3国の航空戦力を結集した英本土爆撃が始まる。

 地中海方面での戦闘の終結に伴い、同方面にあった独伊空軍部隊の大半が英国本土の対岸となる北フランスへ移動した。

 昭和17年前半にインド洋から英国海空軍を一掃した日本軍は、日本本土から沖縄、台湾、仏印、マレー半島、スマトラ島、アンダマン・ニコバル諸島、セイロン島、モルディブ諸島、ソコトラ島、ジブチ、スエズ、地中海へと続く空路を整備し、欧州へ対英戦のための陸海航空戦力を送り込んだ。

 空路で送られたのは主に双発爆撃機で、そのほとんどが陸海軍共同開発の二式重爆で占められていた。


 陸海軍の航空機共同開発までの道のりは長かった。

 昭和7年を端緒とする陸海軍の本格的な装備共有化の流れの中で、艦艇や陸兵の装備の共有、共同開発は、それぞれ一方が得意分野ということもあり大きな抵抗もなく受け入れられ進展していた。

 しかし航空機の分野では陸海軍双方が早くから独自の開発に乗り出しており、双方の間にはネジの規格から機器の操作手順、燃料のオクタン価、果てはパイロットの呼称に至るまで、共通するものを探す方が難しいくらいの相違があった。

 航空機関係での陸海軍の共有化標準化は、昭和12年11月に機動輸送研究会が陸海軍統合軍需諮問会議と名称を変え、大本営が直轄する陸海軍協議機関として発足した時から実質的に動き始めた。

 昭和7年から進められた陸海軍の装備共有化の流れに乗り、工業製品の標準化の為の統一規格が難航のすえ昭和10年に制定されたことで、すでに航空機産業においても生産現場での標準化は始まっていた。


 航空機の共有化で最初に手が付けられたのは機体各部の呼称の統一、飛行作業等の呼称統一、操縦や整備での作業手順の共通化だった。

 これにより緊急時に陸海軍航空機が、相互の基地を支障なく共用できることを目的としていた。

 続いて共有化がすすめられたのは搭乗員、整備兵、航空管制要員等の教育訓練課程の統一で、これは将来的には航空関係の教育機関の陸海一元化による効率化を目標とした。

 これらの共通化標準化を進めることを前提に陸海軍航空機の共用化がすすめられ、同一用途の機体について、陸海軍機のうち性能の優越する方を両方で使用することで生産体制の効率化に繋げた。

 この共用化の次の段階として、機体の新開発を陸海で一本化して発注し生産の効率化によるコストダウンを図るとともに、限られたリソースを有効に活用し開発のスピードアップを図る体制の構築が進められた。

 陸海軍による航空機の共同開発の一番手として登場したのが、陸軍呼称二式単戦鍾馗、海軍の二式局戦雷電であり、今回英国本土爆撃のため日本から遠路欧州へ送り込まれた二式重爆(海軍呼称二式陸攻)だった。(軍用機の機種については、陸海軍の航空機運用の違いからそれぞれ従来の呼称を継続して使用している)


 海軍は昭和14年の第3次上海事変において、台湾から上海爆撃に向かった九十六式上攻撃機の戦闘での損耗率の高さから、航空機の防御力について対対空火器と対戦闘機戦の両面からの見直しを行った。

 将来的に戦闘機の能力向上と艦艇の対空装備の強化が予測される中、現行の九六式陸攻だけでなく開発中だった12試陸攻までもがその生残性の低さを問題視された。

 海軍は12試陸攻の開発メーカーである三菱に対し、速度、航続距離がある程度低下しても防御力を強化することを要求した。

 三菱はそれに対して発動機の強化と燃料漕の防弾化、装甲板設置による搭乗員保護で応えた。

 その結果航続距離が低下、最大速度も自重が増えたため発動機が強化されたにもかかわらず低下した。

 海軍は性能面での不満はあったが昭和15年に一二試陸攻を零式陸攻として正式採用を決定すると同時に、三菱設計陣に対し機体の再設計を含めた改良型の開発を指示する。

 その当時陸軍でも、中島が開発中の重爆撃機の性能に対し用兵側の不満があがっていた。

 搭載する発動機の不調により所定の性能が出せていないこともあったが、より問題視されたのは航続距離と最大1,000キロの爆弾搭載量に加え将来的な発展性の乏しさだった。

 陸軍は最終的に採用された海軍の零式陸攻を百式重爆と並行して採用し、中島飛行機に対し三菱の新型陸攻開発への参加を指示する。

 昭和17年4月に正式採用され6月から量産体制に移行した二式陸攻鋭山は、2,150馬力の火星三二型発動機を積み全備重量15トン近い機体で510キロの最大速度を発揮、3,300キロの航続力を持ち最大2.4トンの爆弾を搭載できた。

 機体の防御も当時としては重装甲で、主燃料漕等重要箇所は米軍の主要搭載機銃だったブローニング12.7ミリへの抗堪性があった。


 陸軍航空隊においても二式重爆魁竜として採用されたこの双発爆撃機は、昭和18年2月後半から本格化した英本土爆撃において日本の主力爆撃機として活躍し、英国の産業基盤の破壊に大きな力を振るい同国の早期降伏への一助となっている。

 

 

 


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