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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
灼光の戦譜
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真珠湾リターンズ

真珠湾リターンズ


 第一航空艦隊の航空部隊はハワイ北方で発生した日米の艦隊決戦において、この戦争が始まって以来最大の損害をだした。

 未帰還機118機、不時着機と廃棄された機体が80機余り、損傷機165機の損害により、一航艦の稼働機が半数になる惨状だった。

 一航艦の各機動部隊は、戦力の回復にほぼ一日を費やした。

 予備機の戦力化、護衛空母からの機体の移動、夜を徹しての損傷機の修理作業、10月20日15時過ぎには一航艦の稼働機は660機にまで回復、翌朝にはさらに60機がそれに加わる見込みだった。


 米太平洋艦隊との熾烈な海戦に勝利した一航艦だったが、その代償は大きく戦艦霧島が大破自沈したほか重巡那智、軽巡熊野、衣笠、駆逐艦5隻を失なっている。

 そのほか戦艦3隻と巡洋艦4隻駆逐艦8隻が損傷のため日本に引き返して行った。

 

 北米西海岸まで余すところ2,000キロの位置まで進んでいた一航艦は、20日の夕刻には米本土攻撃を断念して艦隊を反転させる。

 オアフ島の長距離爆撃機の攻撃圏内を南西に向け進む一航艦は、B-24、B-17、雷装したPBYカタリナによる攻撃を断続的に受けたが、30ミリモーターカノンを搭載した二式艦上重戦闘機強風(彗星艦爆をベースに開発)による迎撃でこれを撃退、大きな損害を被ることは無かった。


 北太平洋海戦で多大な損害を出しハワイへと避退する米太平洋艦隊に対し攻撃を控えていた一航艦は、戦力が回復した21日の15時半に約200機の攻撃隊を送り出す。

 17時過ぎに開始された攻撃を、ハワイからの戦闘機の援護が届かない海域で受けた太平洋艦隊は、この戦闘で戦艦1隻巡洋艦2隻駆逐艦4隻を失う。

 21日の日本軍の攻撃は、日没のため一度だけで終わっている。


 翌22日8時過ぎオアフ島沖220キロで、太平洋艦隊の残存艦艇は再び日本の攻撃隊の空襲を受ける。

 この日は早朝より米軍戦闘機が、太平洋艦隊の護衛のためハワイの各飛行場から多数飛来していた。

 日本軍の攻撃部隊は300機を数え、その半数以上を戦闘機が占めていた。

 この日の日本軍の第一波の攻撃では米軍の戦闘機部隊が奮戦、太平洋艦隊は数隻が脱落しただけで戦闘を乗り切った。

 続けざまに来襲した第二波の攻撃では、米軍の迎撃戦闘機が日本の戦闘機に圧倒され、ハワイを目前にして多くの艦艇が力尽き撃沈される。

 22日昼過ぎ日本軍の第四波の攻撃が終わった時には、太平洋艦隊のすべての戦艦が撃沈されていた。

 日本軍の攻撃から太平洋艦隊を守るため、不慣れな洋上で戦った米陸軍戦闘機隊は、この日の戦闘で150機近くを撃墜されるか、あるいは不時着や損傷のため喪失した。


 22日16時に第一航空艦隊は、オアフ島のすべての米軍爆撃機の攻撃範囲内に入る。

 日没過ぎまで続いた米軍航空隊の攻撃は、一航艦戦闘機隊の迎撃と強力な対空砲火に阻まれ、米軍攻撃隊は大きな損害を出したにもかかわらず殆んど戦果を挙げることはなかった。


 23日7時半、真珠湾の上空を300機の日本軍攻撃隊が覆った。

 迎撃に上がった米軍戦闘機は数で勝る日本軍戦闘機に駆逐される。

 激しい対空砲火のなか始まった攻撃で、艦船や飛行場、港湾施設、燃料タンクなど目につくものすべてに爆弾が降り注ぐ。

 早朝から夕刻まで続いた日本軍の攻撃によりオアフ島の航空戦力は激減し、軍事施設は壊滅的な打撃を受ける。


 翌24日早朝、ホノルル沖に7隻の日本軍戦艦が現れる。

 駆逐艦が吐き出す煙幕でその姿を隠す巨艦の群から発射された砲弾は、真珠湾軍港を守る要塞群の砲台を標的にしていた。

 日本軍機に砲台や観測所を銃爆撃で攻撃され日本艦隊への反撃も儘ならぬ中、一撃で数十発の巨弾が降り注ぐ一方的な戦いに要塞砲は次々と沈黙していった。

 要塞砲を沈黙させた日本艦隊の新たな目標となった真珠湾軍港は、3000発を越える戦艦主砲弾とそれに倍する20センチ15センチ砲弾により港湾施設を破壊され、粉砕された燃料タンクから流れ出す重油が燃えあがり、軍港全てが炎で包まれていった。


 昭和17年11月、中華民国の首府南京で政変が起こる。

 米ソの援助を後ろ盾により強権で中華民国の政治を牛耳っていた蒋介石総統は、枢軸国に敗北を続ける米ソに見切りをつけ日本政府の支持を受けた政治派閥によるクーデターで失脚する。

 南京から逃亡を図った蒋介石一行は、雲南省を経て英国が支配するインド方面に向かう途中、搭乗していた爆撃機が遭難し行方不明となった。

 蒋介石から政権を奪取した勢力は、昭和13年に蒋一派のクーデターによって政権を追われ日本に亡命していた汪兆銘を召喚し政権首班に置く。

 昭和14年の第三次上海事件以降国交の途絶えていた日本と中華民国は、昭和18年に講和条約を締結し、日本軍は北支のほとんどから撤退し北支における日中両軍の対峙は終わった。


 満支国境の防衛から解き放たれた関東軍は、ノモンハン事件以降緊張の続く満ソ国境にその総力を向けることになる。

 

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