北太平洋海戦2
北太平洋海戦2
10月19日10時過ぎ、40分を越える米軍艦載機の攻撃が終わったあと、第一航空艦隊は損害を受けた4隻の油槽船のうち炎上を続けていた1隻を駆逐艦の雷撃で処分した。
魚雷一本を受け速度が低下した1隻は、駆逐艦を護衛に日本へ帰還させた。
爆撃による火災が鎮火した2隻は、先を進む補給艦隊の後を追って東へ向かった。
第四機動部隊と護衛空母から迎撃のため出撃した150機近い戦闘機によって、220機を数えた米軍攻撃隊は半数以上を撃墜され、20機を僅かに超える機体が補給部隊に辿り着いただけだった。
米軍の4隻の空母は5波にわたって続いた一航艦機動部隊の攻撃を受け、停止して黒煙を噴き上げる1隻を残し撃沈された。
護衛していた6隻の軽巡洋艦と17隻の駆逐艦のうち、損傷が無かったり軽微だった軽巡3隻と6隻の駆逐艦は、低速戦艦部隊と合流のため北上する。
駆逐艦6隻が、沈没した艦や航行不能になった艦の乗員救助のため、最前まで戦場だった海域に残された。
12時過ぎには一航艦機動部隊の航空攻撃の矛先は、補給部隊に向け全速で進む米高速戦艦部隊に替わっていた。
昭和17年の半ばに入ってから就役した新型艦のサウスダコタ級戦艦とクリーブランド級軽巡、フレッチャー級駆逐艦は、戦訓を入れて対空火器が大幅に強化されていた。
4戦艦を中心に置いた輪形陣から放たれる対空砲火は、新型機に機種転換し防御力が強化された日本軍の攻撃隊を次々と絡め取っていった。
日本艦隊のアキレス腱と言える補給部隊まで90キロまで近づいた高速戦艦部隊だったが、各艦とも航空攻撃による損傷が重なり、戦艦のうち2隻は20ノット前後まで速力が低下していた。
ここで高速戦艦部隊の指揮官は、巡洋艦と駆逐艦のうち速力が低下していない艦を、間近に迫っていた日本の戦艦部隊に捕捉される前に分離し日本の補給艦隊に向かわせる。
サウスダコタ級の4隻の戦艦は、残った巡洋艦、駆逐艦とともに進路を南東に向け、後続の低速戦艦部隊との合流を待った。
10月19日17時25分、一航艦の機動部隊から分離した三つの遊撃部隊が合流した9隻の戦艦と大巡3隻、重巡8隻、軽巡3隻駆逐艦22隻の艦隊は、米軍の戦艦8隻を主力とする艦隊と戦闘に入った。
米艦隊は戦艦以外の12隻の巡洋艦と17隻の駆逐艦を、魚雷攻撃により日本の戦艦部隊を撃破すべく突撃させる。
太陽が沈み暗闇が迫る中、双方の巡洋艦の間で交わされる激しい砲撃戦が造り出した戦場を埋め尽くして林立する水柱を掻い潜り、米駆逐艦が戦艦部隊に迫ろうとする。
双方の距離16キロで始まった日米巡洋艦の砲戦は、日本艦隊の3隻の大型巡洋艦阿蘇、浅間、吾妻から矢継ぎ早に撃ち出される20センチ砲弾により、わずかな時間で日米巡洋艦の対決に決着がつく。
1分間に最大8発の砲撃を可能とした新型20センチ砲が猛威を振るい、砲戦開始から20分も経たぬ内に米巡洋艦を次々と撃破した阿蘇型巡洋艦戦隊は、間近に迫っていた米駆逐艦群を新たな標的とした。
20センチ砲弾に加え、片舷連装4基8門の10センチ高射砲弾が米駆逐艦に降り注ぎ炸裂する。
砲弾の嵐を潜り抜けた僅かな艦も、魚雷を放つ前に戦艦高角砲の水平射撃の前に次々と力尽きた。
25キロの距離から始まった日米戦艦の砲撃戦は、時間を追うごとにその距離を縮めていった。
日米双方ともに防御力を重視した設計の戦艦同士の戦いだったが、水平弾道で主砲弾が飛び交う戦場では、その装甲の厚さも意味を失っていく。
熾烈な戦闘の決着は、日本軍の水雷戦隊によってつけられた。
生き残ったアメリカ太平洋艦隊の4隻の戦艦と5隻の巡洋艦、7隻の駆逐艦は、双方の損傷艦から立ち上る黒煙と煙幕と夜の闇に紛れ戦場から去っていった。
多くの損害を出しながら執拗な航空攻撃を潜り抜け、日本の補給部隊を目前にした米巡洋艦部豚だったが、待ち受けていた山城、扶桑の2戦艦と4隻の巡洋艦、8隻の駆逐艦の前に力尽き、真珠湾に向け敗走していった。




