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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
烈海の波濤
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ソロモン海の余燼

ソロモン海の余燼


米軍機動部隊によるラバウル強襲から始まったソロモン諸島ガタルカナル島をめぐる連合軍海軍部隊との一連の戦いは、戦艦同士による夜間砲撃戦で日本艦隊が勝利を収めて終わりを迎えた。

 米軍上陸部隊は輸送してきた物資の半数近くを揚陸することができず、さらに日本軍による空襲や艦砲射撃で揚陸物資のうちの多くが灰燼に帰した。

 それでもなお米軍は内陸部に拠点を作り飛行場を造成し、航空戦力をガタルカナルに展開させた。

 ラバウルの航空戦力でガタルカナルを攻撃するには両者の距離が遠すぎることから、海軍はブーゲンビル島の航空基地能力を拡充するとともに中部ソロモン諸島ニュージョージア島ムンダに進出し飛行場を建設し戦闘機部隊を置いた。

 アメリカ太平洋艦隊は緒戦の大損害を回復できないままにさらにソロモン海で損害を重ねたため、稼働戦力が払底していた。

 ガタルカナル島への補給は、アメリカ海軍にとって大きな負担となった。

 日本軍は開戦直後から東太平洋から南太平洋にかけ多数の潜水艦戦力を展開させ米豪間の通商破壊戦を続けており、パナマ運河の不通による護衛戦力の不足のため米豪航路でも被害が続出していた。

 米豪航路への対応も満足にできない状態で、さらに日本軍の海空戦力が充実しているソロモン方面への補給を強行し続けた結果、アメリカ海軍は太平洋全域で輸送用船舶とその護衛戦力が枯渇してしまう。

 日本軍の妨害により補給が途切れたガタルカナルの航空基地は、6月の半ばには機能を喪失し無力化された。

 食料と医療物資の不足から、米軍守備隊は飢餓と疾病の為次々と倒れていった。


 相次ぐ敗戦によりアメリカ海軍は南太平洋方面の戦力が枯渇、日本軍の海上戦力の誘因という当初の目的はもはや果たしようも無くなっていた。

 補給もままならず戦略的価値も失ったガタルカナルは、米軍のロジスティックに負担をかけるだけの重荷でしかなかった。

 アメリカ軍は7月中に2度に亘ってガタルカナルからの撤退を試みたが、護衛戦力の不足からいずれも日本軍の艦隊と航空部隊の妨害を受け多数の損害を出し失敗している。

 昭和17年8月始め、ミッドウエイ島攻略のため日本海軍が北太平洋に主力艦隊を進めた間隙を縫って行われた3回目の撤退作戦が成功し、アメリカ軍は地獄の島と海兵隊員が呼んだガタルカナル島からの撤退を果たした。


 南太平洋での連合国の反撃を退けた日本海軍だったが、ソロモン海戦で小型空母龍驤と軽巡古鷹、駆逐艦3隻を失った他、戦艦陸奥と空母摂津、飛隼、大巡吾妻、軽巡青葉が大破し、夜戦に参加した艦艇の大半が損傷を受けていた。

 インド洋方面の作戦にいったん目途がついた後、アフリカ東岸から紅海方面での作戦と並行して北太平洋での限定攻勢を予定していた統合作戦部の計画は、ソロモンで起こった海戦により大きく変更することを余儀なくされてしまった。


 二航艦第四機動部隊が損傷と戦力の消耗により日本本土に戻った代わりに、一航艦第一第二両機動部隊が太平洋に呼び戻された。

 その補填として第四機動部隊のうち隼鷹と蒼隼の2隻は、整備と搭乗員の補充が終わるとバリ島沖海戦による損傷の修理が終わった戦艦伊勢、日向などと新たに第四機動部隊を編成し、一航艦に合流するためインド洋に向かった。


 昭和17年6月、北アフリカでは枢軸軍が要衝トブルクを反抗により奪回し、アレキサンドリアに向け進撃を続けていた。

 連合軍の地中海における一大拠点マルタ島は、独伊海空軍によってなかば封鎖されており、マルタ島救援の輸送船団とその護衛艦艇は独伊軍の攻撃により多大な出血を強いられていた。

 大西洋や北極海はドイツ艦隊の狩場と化しており、インド洋航路を日本軍に遮断されているイギリスは、アメリカからの救援物資が次々と大西洋で沈められているのと合わせ工業生産が減少の一途をたどっていた。


 パナマ運河の不通はソビエトに対するレンドリースにも大きな影響を与えた。

 北米東海岸から五大湖にかけての生産力は巨大であったが、北太平洋ソ連向け航路の起点となる西海岸の港はパナマ運河を経由しない限りあまりに遠すぎたし、北米大陸を横断する陸路での援ソ物資輸送は、アメリカの東西間交易が優先された結果微少なものとなっていた。

 インド洋からイランを経由しての援ソルートも日本海軍がインド洋を制したことによりほぼ途絶し、残るソビエトに救援物資を送るルートは北極海だけとなった。


 昭和16年12月のパナマ攻撃より先、英米からのからのレンドリースが大幅に減少したソビエト軍は、モスクワの防衛こそ果たせたもののそこが限界で反転攻勢に移ることはできなかった。

 昭和17年に入りソビエト軍は局所的な攻勢を繰り返し、前年の損害を回復できていないドイツ軍を各所で押し戻したが、東部戦線全般ではドイツ軍が各戦線での優勢を保っていた。

 昭和17年6月初めドイツ軍は南部戦線にて、ヴォルガ川への到達とコーカサス地方の石油資源獲得を目的としたブラウ作戦を発動する。

 

 

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