アッズ環礁
アッズ環礁
昭和17年3月2日、シンガポールの南80キロのリンガ諸島とスマトラ島の間にある広大な水域には、多数の連合艦隊艦艇の停泊する姿があった。
2月に起こったバリ島沖海戦で損傷した艦艇と、アメリカ艦隊を警戒してトラック泊地に配備されている第四艦隊の所属艦を除くほとんどの主力艦が、新たな作戦に参加するためにそこに集結していた。
「MS作戦」、日本陸海軍はインド洋の英海軍を一掃して制海権を奪いセイロン島を攻略、さらにアフリカ大陸南東部に浮かぶ巨大な島、フランス領マダガスカルを保障占領し拠点化する壮大な作戦を計画していた。
「MS作戦」は三段階に分かれた攻略戦によって構成されている。第一段階ではインド洋を抑えるに最適なアッズ環礁の奪取と拠点化、第二段階でインド沿岸の航空戦力の撃滅と制海権確保の後セイロン島を攻略、第三段階ではケープタウン及びインド洋アフリカ東岸の連合軍拠点の破壊とマダガスカル島の拠点化を目的としていた。
この作戦のため再編された第一航空艦隊は、大型空母2隻、中型空母2隻、小型空母4隻が2個機動部隊に分かれて編成されていた。
この2個機動部隊に護衛として戦艦6隻、大巡2隻、重巡4隻、軽巡7隻と駆逐艦24隻が振り分けられ、補給任務のため空母型給油艦4隻と軽巡1隻駆逐艦8隻給油艦6隻で編成された部隊も一航艦に編入された。
セイロン攻略部隊には、長門型戦艦2隻を主力とした艦隊が護衛として付けられイギリス艦隊に備えた。
一航艦の最初の攻略目標であるアッズ環礁は、インド半島の南西、モルディブ諸島の最南端に位置する環礁で、大艦隊が停泊できる水深の深い泊地を擁していた。
昭和14年に練習空母摂津などからなる欧州訪問艦隊がインド洋を航行中、搭載する艦上偵察機の報告によりこの環礁の存在を知った海軍は、その後の調査で地中海と東アジアの結節点となるインド洋の中心とも言える位置にあるアッズ環礁の重要性を認識する。
開戦後に行われた潜水艦による偵察で、そこにイギリス海軍の秘匿根拠地が建設されていることを知った海軍は、アッズ環礁をインド洋における最重要攻略地とする。
3月3日、リンガ泊地を抜錨した二航戦と六航戦で編成された第二機動部隊は、3月8日にアッズ環礁を攻撃し英軍飛行場を破壊、夜間に機動部隊に先行していた戦艦と巡洋艦を主体とした砲撃部隊が環礁内の軍事施設への砲撃を行う。
それに続き8隻の一等輸送艦から24隻の大発に分乗した陸戦隊1200名と特大発で運ばれた軽戦車8両などが強襲上陸の先陣を切った。
イギリス海軍はアッズ環礁を東洋艦隊の秘匿基地として整備しており、3月後半にはここを艦隊の拠点とする計画だった。
英海軍はアッズ環礁基地の存在を日本軍は把握していないと考えていたため、根拠地としての整備は進んでいたが守備兵力の増強は遅れていた。
不意を突かれた形となったイギリス軍守備隊は、日本軍の上陸開始から4時間後には降伏、破壊を免れた補給施設や船舶が日本軍の手に落ちる。
第二機動部隊から一日遅れで出撃した第一機動部隊は、マラッカ海峡からアンダマン・ニコバル諸島を抜けベンガル湾南部を進む。
3月9日、第一機動部隊はセイロン島南方800キロで第二機動部隊と合流北上し、翌朝からコロンボ港、トリンコマリー港などセイロン島要衝を空襲した。
一航艦によるアッズ攻略が開始された時点で、イギリス東洋艦隊の3隻のR級戦艦と航空母艦インドミタブル、ハーミス、巡洋艦ドーセットシャーなどがコロンボに在港していたが、アッズ環礁への日本軍の攻撃の報を受け9日早朝日本艦隊と戦うため出撃していた。
一航艦は当初この艦隊の所在を把握していなかったが、トリンコマリー攻撃を終えて母艦へ帰投中の艦攻隊がこの英艦隊を発見する。
一航艦の飛行部隊のほとんどがセイロン攻撃に投入されていたため、艦隊司令部は戦艦と巡洋艦を主力とする艦隊を敵艦隊に向け急行させる。
攻撃部隊の収容を終え攻撃部隊の準備を急ぐ一航艦をイギリス軍の偵察機が発見し、航空基地から一航艦に向けて攻撃隊が出撃した。
さらに2隻の英空母からも攻撃隊が発艦し、日本軍機動部隊の攻撃に向かった。
イギリス軍の航空攻撃は統制が取れておらず、北上する日本の戦艦部隊と後方の空母機動部隊の双方を断続的に攻撃することになる。
空母から飛び立った旧式の複葉雷撃機部隊は果敢に日本の戦艦に肉薄し攻撃を試みるが、日本艦隊の強力な対空砲火に絡めとられ次々と脱落していった。
一航艦は、双発爆撃機を主力とする基地航空部隊の攻撃を受けた。
電探に誘導された迎撃機が艦隊の遥か前方で英軍機を迎え打ち、英軍爆撃機のほとんどを撃退する。
わずかな機数の爆撃機が日本空母を攻撃したが、対空砲火と巧みな回避運動のため戦果は上がらなかった。