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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
烈海の波濤
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蘭印海上電撃戦1

南方海上機動戦1


 昭和16年12月に日本と連合国との間に起こった大東亜戦争(日本呼称)までに、陸軍は海上機動戦を遂行するための上陸戦や海上輸送用の船舶舟艇を数多く建造していた。

 その中でも最大級のものが、陸軍特殊船と呼ばれる上陸用舟艇多数を格納搭載し船尾の軌条から泛水発進させる揚陸艇母艦で、1万トン級の船体に20~30隻の大発動艇を搭載する。

 特殊船には大中2種類の貨物船タイプと、航空機運用の為全通の飛行甲板を持つタイプがある。

 陸軍特殊船は開戦時には11隻が運用されており、マレー作戦とフィリピン作戦に全船が参加している。

 後甲板に大発を搭載し軌条を使って泛水発進させる高速機動艇は、開戦時には海軍の一等輸送艦をタイシップとした排水量1350t速力24ノットの甲型が12隻、排水量750t最大速力20ノットの乙型が18隻完成していた。

 そのほか陸軍は強襲上陸戦用戦車揚陸艦のSS艇とSB艇を合計18隻、350tの小型機動艇は40隻を保有していた。


 マレー作戦には陸軍が保有していた上陸作戦用船艇の三分の二が投入された。

 陸軍はこれらの上陸戦用の船艇で数次にわたりイギリスマレー防衛軍の意表を突いてその側背への急襲上陸を行い、何度もイギリス軍防衛線を崩壊させている。

 フィリピン戦においても要地への奇襲上陸をすべて成功させたほか、ルソン島への上陸作戦ではリンガエン湾上陸の後スービック湾から別動隊を上陸させ、アメリカ軍の防衛線を分断し早期の勝利に結びつけた。


 マレーの防衛線が崩壊し各所で分断孤立した英印軍は、シンガポールへの退却叶わず、次々と日本軍に退路を断たれ降伏していく。

 制海制空権を失い1月の初めには孤軍と化していたシンガポール守備隊には、もはや継戦の道は閉ざされていた。

 昭和17年1月20日、シンガポール守備隊は日本軍に降伏した。

 その一週間後には日本軍に包囲されたマニラが無防備都市を宣言、マッカーサー以下のアメリカ軍司令部要員は夜陰に紛れフィリピンを潜水艦で脱出した。

 翌日、パターン半島とコレヒドール要塞に籠城する部隊を残し、ルソン島の全アメリカ軍は日本軍に降伏する。

 それからひと月も経たない2月20日、フィリピン全土は日本軍の占領下におかれた。


 マレー半島やフィリピンの攻略は陸軍が主体の戦いで、海軍はルソン島の航空制圧とマレー沖海戦にこそ力を注いだが、その任務の大半は陸軍の上陸船団の護衛だった。

 その一方昭和17年1月11日、オランダ領タラカンとメナドへの進攻をかわきりに始まった蘭印作戦は、南方の一大資源地帯であるオランダ領東インドを陸海軍が競うように攻略していく戦いだった。

 

 陸海軍は長年続いていた政治的感情的な対立を、この戦争が始まるまでに凡そ解消できていた。

 予算分配の面では未だに予算の取り合いが存在するものの、海上機動研究会の発足以来工業規格の共通化や兵器の共同開発共用化も進み、陸軍と海軍は良好な関係性を保っていた。

 オランダ領東インドが、日本が英米との戦いに突き進んでいく最大の要因となった重要資源石油の大産地であったことが、蘭印作戦を陸海軍の占領競争じみた戦いに導いた原因だった。

 緒戦の真珠湾・パナマ遠征作戦で大量の燃料用重油を消費したため海軍の燃料在庫は大きく減少しており、蘭印産油地帯の確保は海軍にとって戦争遂行の喫緊の課題となっていた。

 陸軍との間の作戦調整に於いて、海軍はシンガポールやフィリピンの占領以上に蘭印の早期占領を望んでいた。

 その結果マレーやフィリピンに多くの兵力を投入する陸軍に代わって、海軍陸戦隊が蘭印攻略の主力として戦うことになる。

 





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