南方作戦
南方作戦
対英米開戦を決断した日本にとって東南アジアの資源地帯の早期確保は、長期総力戦体制の確立に向けての必須の課題だった。
フィリピン・ルソン島とシンガポールは資源地帯と日本本土間の航路を扼する二大要衝で、それぞれアメリカアジア艦隊とイギリス東洋艦隊が日本軍の侵攻から同地を守る防壁となっていた。
空母機動部隊のほとんどを東方作戦につぎ込んでいた日本海軍は、この二つの艦隊を排除するため第一艦隊の6隻の戦艦を南方作戦に参加させた。
昭和16年12月、東洋艦隊はR級戦艦4隻、巡洋戦艦レパルス、空母ハーミスと重巡洋艦3隻、軽巡洋艦5隻、駆逐艦9隻などで編成されていたが、開戦時のシンガポールにはレパルスと重巡2隻、旧式軽巡3隻、駆逐艦9隻が在港していた。
ルソン島カビテ軍港には、アメリカアジア艦隊の戦艦ペンシルバニア・アリゾナ、重巡ヒューストン、軽巡ボイシ・ホノルル・マーブルヘッド、駆逐艦13、潜水艦29隻などが配備されていた。
日本軍マレー攻略部隊は12月4日に日本の占領下にあった海南島三亞を抜錨し、インドシナ半島に沿って南下を始める。
マレー攻略の陸軍部隊を運ぶ輸送船団は、重巡鳥海を旗艦とする20隻からなる海軍南遣艦隊と、戦艦長門・陸奥を主力に15隻で編成された南方艦隊によって守られていた。
1941年12月8日深夜、マレー攻略の陸軍部隊はコタバル海岸への上陸作戦を開始する。
翌9日にはコタバル市街を占領、陸軍はマレー半島各所に上陸を続け支配地域を拡大していった。
これに対しイギリス東洋艦隊は日本軍上陸部隊を撃破すべく、巡戦レパルスと重巡2隻駆逐艦4隻を出撃させる。
東洋艦隊は10日午後に海軍の第22航空戦隊に捕捉され、多数の海軍陸上攻撃機による数次に亙る雷撃と爆撃により、駆逐艦1隻を除く全艦が撃沈されて壊滅した。
南方艦隊はイギリス東洋艦隊の脅威がなくなったマレー攻略部隊から別れ、フィリピン攻略部隊への合流のため東進する。
アジア艦隊は東洋艦隊と協力してマレー方面の日本軍を撃破すべく、12月8日夕刻カビテ軍港から出撃した。
10日になり東洋艦隊壊滅の報を受けたアジア艦隊は反転しマニラへ戻ろうとしたが、同日ルソン島の米軍航空部隊が大損害を受けたため、艦隊は蘭印ジャワ島スラバヤ軍港へと進路を向ける。
海軍航空隊によるフィリピン方面での航空制圧戦は順調に推移し、10日にはルソン島周辺の制空権をほぼ手中にする。
この航空戦で、カビテ軍港にあった潜水艦用の魚雷貯蔵庫が海軍航空隊の爆撃で破壊された結果、日本軍にとって幸運なことにアジア艦隊の潜水艦の攻撃力は著しく減殺されその行動は制限されることになった。
フィリピン攻略部隊と合流した南方艦隊は、6隻の戦艦によりパターン半島とコレヒドール要塞の米軍に艦砲射撃を行う。
アジア艦隊のスラバヤ避退とマニラ市民の眼前で行われた6戦艦の艦砲射撃は、フィリピン人が多数を占める在比米軍の士気を大きく落とし、その後始まった日本軍のルソン島攻略に大きな影響を与える。
スラバヤ港にはフィリピンを追われたアジア艦隊の他、オランダ海軍、東洋艦隊の残存艦、オーストラリア海軍の艦艇が集結し始め、日本軍の南方資源地帯攻略の大きな障害となっていく。




