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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
動乱の兆星
29/99

上海1939

上海1939


 日本軍は上海での戦いが始まる3か月ほど前、上海方面に中国軍の大部隊が布陣し始めた時点で、中国軍による上海租界への攻撃は避けられないものと予測していた。

 7月には満蒙国境ノモンハンで日ソの大規模な戦闘が始まっており、上海への兵力の投入はすでにこの時点で完全に断念されていた。 

 日本政府は中国軍の租界攻撃から上海の日本人居留民を保護するため、7月中に居留民避難計画を立案し陸海軍共同の上海撤退作戦を開始した。

 上海の日本人居留民及び中支各地から上海に逃げてきた日本人居留民、合計6万人を越える避難民を輸送するため大量の避難用艦船が手配され上海に向かう。

 それに先行して撤退作戦中の上海周辺の制海権制空権を確保維持するため、空母機動部隊を主力とする連合艦隊が同方面に出撃した。


 航空母艦と陸上にある航空基地が戦った場合どちらに優位性があるのか。

 序盤戦こそ作戦に過誤が生じ損害を重ねることがあったものの、それ以降は劣勢な中国軍航空部隊相手に充実した戦力で優位に立った日本海軍空母航空隊が航空優勢を保った第2次上海事変では、その答えは出ていない。

 次に母艦航空隊と基地航空隊が相まみえたのは、前回の戦いから2年後の同じ上海の空だった。

 中国軍の敗北で終わった2年前に比べ、米ソの大規模な軍事援助によって生まれ変わった中国空軍は、上海周辺に多数の航空基地を構え米ソから提供された最新の軍用機多数を配備していた。

 航空機を操縦する中国軍搭乗員も、アメリカ陸軍航空隊から派遣されたベテランの飛行教官の指導で高い技量を持っていた。

 それに加えて、世界各国から集まったベテラン傭兵搭乗員で編成された飛行隊が上海で編成され、中国空軍の一翼を担っていた。

 上海方面に配備された戦闘機や爆撃機などの総数は250機を越えており、その脅威度は高かった。

 それに対して日本海軍空母部隊がその当時上海方面に向かわせることができた航空母艦は、小型空母が龍驤、飛隼と昭和14年に就役したばかりの瑞穂、中型空母蒼龍、前年に大改装が終わり全通飛行甲板を持つ近代的大型空母となった赤城の合計5隻で、搭載常用航空機は240機余りだった。


 上海での新たな戦いは昭和14年8月13日に始まった。

 上海の日本租界は、上海特別陸戦隊と5月に同地に派兵された第一連合陸戦隊の約1万の兵力によって守備されていた。

 陸戦隊の防衛線に対峙する中国軍から騒音が消え双方の緊張感が高まりつつあるなか、上空に爆音が響き上海沖から飛来してくる銀翼によって空は蔽いつくされた。

 日本軍空母機動部隊の先制奇襲攻撃が、上海周辺の6か所の航空基地に対して始まった。

 基地上空を警戒して飛行していた中国軍の戦闘機が直ちに迎撃に向かい、さらに各基地の滑走路から発進準備を終えた戦闘機が離陸し始める。

 しかし日本軍の攻撃隊はそれを許さなかった。

 アメリカ製カーチスP-36とソビエトのI-15 、I-16を主力にした中国軍戦闘機隊はよく戦ったものの、60機を越える96式戦闘機の数の前に押しつぶされ制空権を奪われる。

 各航空基地は戦闘機隊に続き攻撃を開始した爆撃隊により滑走路を破壊され、迎撃のため列線に並んでいた戦闘機や爆撃機も、銃爆撃で次々と炎上爆発していった。

 第一波の先制攻撃に参加した空母艦載機は、戦闘機63機、急降下爆撃機36機、攻撃機36機の合計135機で編成されていた。

 わずか30分にも満たない日本軍の攻撃で上海方面の中国軍航空隊は大打撃を受け、上海の制空権は日本軍の手に落ちた。

 

 この母艦航空隊が陸上基地航空部隊に圧勝した戦いによって、いつでも都合の良い時間に航空機の攻撃範囲内であればどこからでも戦力を集中して送り出せる空母航空隊の、陸上航空基地に対する優位性はゆるぎないものとされた。


 上海の制空権を確保した日本軍は、上海港に撤退用の艦船を次々と入港させ居留民の避難を開始する。

 中国軍は陸戦隊への攻撃を開始し、両軍の激しい砲火の応酬で租界一帯は砲火に包まれていく。 

 上海港に向かって避難する居留民にも中国軍の砲撃が向けられるが、上海沖に侵入してきた巡洋艦による、観測機と陸戦隊観測班の指示を受けた正確な砲撃で、中国軍の砲兵陣地は次々と破壊されていった。

  

 予想外だった他国居留民や中国人の避難希望者の受け入れもあって、避難民の収容撤退にかかった期間は10日間を要した。

 退避のための船団に便上して上海防衛戦に投入され、殿軍となり最後まで戦い続けた第三連合陸戦隊が、機動輸送艦や哨戒艇に分乗して戦場から脱出し退避作戦が終了したのは上海で戦闘が始まってから2週間後の8月27日だった。








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