海軍式戦車
海軍式戦車
第一次上海事変が終わり水陸両用戦の重要性を認識した陸軍は、陸戦隊の強化拡充を図る海軍と協力し上陸作戦用の舟艇や輸送用の船舶の研究を始める。
従来から上陸用舟艇大発による兵や機材の揚陸が今後の上陸作戦の主要な手段として考えられていたが、戦車や重砲を揚陸するには大発の能力は充分ではなかった。
そのため重車両等の揚陸用に、より大型の特大発動艇が開発される。
それとは別に、洋上で戦闘車両を積んだ大発を輸送船から泛水しある程度の数が揃ったところで上陸地点に向かわせるのは敵前上陸という一刻を争う戦場では迅速さに欠けるため、直接輸送船艇を擱座させ船首から海岸に揚陸用の歩板を渡し戦闘車両や重砲を揚陸できる船舶の開発が必要とされた。
陸軍の要求を満たす擱座式上陸用船舶として開発されたのが機動艇(陸軍呼称SS艇)で、総トン数680t排水量満載排水量870t全長60メートル全幅9.6メートル喫水3.8メートル、ディーゼル機関2基1200馬力速力14ノットで、95式戦車4両自動貨車1両小発動艇3隻兵員140名が搭載可能だった。
昭和11年に1号艇が完成したこの機動艇に触発された海軍は、上陸作戦だけでなく港湾設備の整っていない島嶼部への輸送に使用することも考慮し、より大型で航洋性を高めた海軍呼称2等機動輸送艦を陸軍と共同で開発する。
2等機動輸送艦は排水量950t全長72.0メートル幅9.1メートル、タービン機関1基3000馬力速力18ノットで、同艦竣工当時最新式だった95式戦車改を最大10両積載できた。
昭和14年に登場した2等機動輸送艦の性能に満足した陸軍は、SS艇の建造を打ち切り2等機動輸送艦をSB艇と呼称して採用する。
海軍陸戦隊の戦車は陸軍と共用で、第2次上海事変当時は九五式中戦車や九五式軽戦車九四式軽装甲車が実戦に参加している。
第2次上海事変での陸戦隊の戦車運用実績には特に大きな問題はなかったが、それ以前から陸戦隊の想定している島嶼防衛や上陸作戦において、中小艦艇との戦闘や上陸地点付近の堅固な防御陣地相手ではこれらの車両では火力不足との声があった。
2等機動輸送艦により重量のある戦車の揚陸が容易になったことを受け、陸戦隊では陸軍の戦車をベースに火力を強化した島嶼部戦闘用戦車の開発に乗り出す。
ノモンハンの戦場において陸軍兵から海式戦車と呼ばれた、特別陸戦隊が投入した九七式7.5センチ自走砲と九八式自走機関砲は、その開発が形になった陸戦隊独自の改造戦車だった。
97式7.5センチ自走砲は95式中戦車の上構を取り払い、箱型の戦闘室に後ろ向きに新開発の高射砲を転用した40口径7.5センチ戦車砲を搭載した車両で、迅速に戦車掩体を造成するため車体後部にドーザーブレードを取り付け可能としていた。
搭載する発動機は水冷式ガソリン発動機に換装して180馬力で最高速時速40キロを発揮する。
走行装置は履帯と転輪幅を広げ砂浜でも無理なく運用できるようにされている。
戦闘時は後ろ向きで戦うため変速機は新たに開発され、後退速度を切り替えることができた。
副武装として車体前部と戦闘室後端に7.7ミリ機銃を搭載した。
九八式自走機関砲は九五式軽戦車をベースにした対空戦闘も可能な35ミリ機関砲1門を搭載した開放式の旋回砲塔を持つ戦車で、砲塔が大型化したため砲塔ターレットを拡げて戦闘室を拡大している。
機関砲は九六式25ミリ機銃の口径を35ミリに拡大して射程や破壊力を増強した九八式35ミリ機銃を流用した。
発動機や走行装置は95式軽戦車のものをそのまま利用している。
ノモンハンの戦闘で九七式7.5センチ自走砲は7.5センチ砲によるアウトレンジ戦闘で多数のソ連軍戦闘車両を撃破し圧倒的な攻撃力を見せたが、戦闘室の装甲は弾片や軽機関銃弾程度しか防げないため接近戦に入ると簡単に撃破されることが多かった。
追撃戦は車体の構造上難しいこともあり、その特性に合った運用法が求められる戦闘車両と言える。
九八式自走機関砲はベースとなった九五式軽戦車の運動性をそのまま引き継いでおり、装甲車程度なら簡単に破壊できる火力と相まって軽装甲ではあるもののノモンハンの荒野で縦横に活躍した。
陸軍もこの両戦車の挙げた戦果に注目しており、進行中の新型戦車の開発にも少なからぬ影響を受けている。




