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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
動乱の兆星
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ノモンハン

ノモンハン

 

 昭和14年8月23日、ソビエト連邦を対象として日独伊三国による防共協定を締結していた日本にとって青天の霹靂と言ってもいい独ソ不可侵条約が結ばれる。

 今まさに防共協定の対象となっているソビエトとの本格的な戦争になりかねない状況に陥っている日本を後ろから殴りつけるようなドイツの背信行為を受け、日本政府はドイツに対して厳重な抗議を行うと同時に当時交渉中だった日独同盟の交渉打ち切りを決定した。

 このドイツの不誠実な行為に朝野は憤り、もはや防共協定破棄もやむなしという機運が澎湃する。

 外務省や陸海軍に数多く存在していた親独派はこれを機に一気にその勢力を失うことになったが、その陰には独裁国家ドイツとの関係を深めることに危機感を持っていた宇垣首相の暗躍があったという。

 

 同年9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まる。

 上海租界が中国軍によって制圧され実質的な租界解体へと至ったことに対し、英仏を中心とした西欧諸国から中国政府に抗議の声があがっていた。

 英仏は一時租界回復のための遠征軍の派遣をも考えていたが、ドイツポーランド戦の勃発により対ドイツ開戦に到ったため、遠征軍の派遣は望めなくなり立ち消えとなった。

 一方ドイツとの密約によりポーランドへの侵攻を企図していたソビエトは、終わりを見せぬ満蒙紛争に焦りの色を見せていた。


 8月後半に入り兵力の増援と十分な軍需物資の集積を見るや直ちに、ソ連軍はノモンハンにおいて大攻勢を開始する。

 第一次攻勢の失敗から大幅に兵力を増強したソ蒙軍は、大量の重砲による事前砲撃と航空部隊による爆撃で日本軍陣地を攻撃、歩兵6個連隊及び機関銃旅団、戦車旅団各一個で日本軍主力に対し正面から攻勢に出た。

 さらに日本軍軍主力を両翼から包囲すべく、戦車と自動車化狙撃部隊を主力とした装甲部隊を日本軍側面に進出させた。

 正面の戦闘ではハルハ河を越えて押し寄せるソ連軍に対し、歩兵3個連隊(歩兵26、63、72の各連隊)を主力とした守備部隊は早々に第一防衛線を放棄し第二防衛線で防御戦に入る。

 日本軍の迅速な後退に砲兵部隊の追随が遅れ、支援砲火なしに戦車を先頭に日本軍の陣地突破を図るソ連軍に対し、日本軍は後方に配した砲兵部隊による弾幕射撃を開始する。

 ソ連軍の戦車部隊が歩兵部隊と連携を断たれたところで、隠蔽されていた対戦車砲陣地が戦車部隊を攻撃、続いて後方で待機していた安岡支隊の戦車部隊と機動歩兵連隊が反撃に出た。

 ソ連軍の装甲部隊がこの戦闘で大打撃を受けると見るや、前線の3個歩兵連隊もいっせいに反撃を開始して進出していたソ連軍歩兵部隊を撃破し、第一防衛線を回復した。

 この一度の戦闘でソ連軍中央集団は戦車と移動用車両多数を喪失、一時的にその突進力をなくしてしまう。

 一方左翼から日本軍の側面に回りこもうとした装甲部隊は、フイ高地を守る第三連合陸戦隊の阻止線の前に進撃が止まる。

 迂回を試みたソ連軍部隊は、移動中にフイ高地に進出していた重砲部隊の砲撃を受け大きな損害を出してしまう。

 右翼を進む部隊は大きな抵抗を受けないまま前進を続けたが、第6師団から分遣された歩兵第36旅団を主軸とする防衛線に進撃を止められた。

 中央でのソ連軍の圧力が減少したのを機に安岡支隊はソ連軍右翼の主力部隊の後方に進出、補給線を切断するとともに右翼部隊に後方から圧力をかける。

 戦線後方に進出した海軍の航空部隊は、長躯ソ連軍後方の飛行場を襲撃し打撃を与えた後、ソ連軍の砲兵部隊や補給拠点に反復攻撃を加え大損害を与えた。

 この直後日ソ間の交渉により停戦が合意に達し、ノモンハンの戦闘はハルハ川両岸を抑えた日本軍の優位で終ることになる。

 ノモンハンでの日ソの戦闘が終結した後、ソ連軍は当初の計画に遅れること5日の9月22日にポーランド東部に侵攻を開始した。

 

 ソ連軍の第2次攻勢に遅れること1週間の9月初めに、ソ蒙軍の攻勢に連動するように中国軍が満支国境各所で軍事攻勢に出て、国境線を守る日満軍との戦闘に入った。

 さらに同時期に内モンゴルに対し、中国軍は10万の兵力を送り侵攻を開始する。

 満支国境では寡兵の日満軍守備隊が中国軍の攻撃をよく受け止め、戦線は膠着を続けた。

 内モンゴルの戦闘は、機動力に勝る内蒙古軍が巧みに攻勢と退却を繰り返しながら中国軍の戦力を内モンゴルの奥深くまで引き込み、伸び切った補給路へ騎兵部隊が襲撃を繰り返しその戦力を削ぎ落していった。

 9月中盤にノモンハンの戦闘が収束したことにより関東軍の予備兵力が北支に転じ、山海関方面で日本軍が反攻を開始する。

 さらに膠州湾に日本軍3個師団が上陸し山東半島を全面占領するとともに、山東省から河北省へと兵を進める。

 10月後半に入ると、各戦線で劣勢になった中国軍は、北支での戦闘継続を断念し撤退を開始する。

 内モンゴルに侵攻していた中国軍10万は、内蒙古軍と日本軍により退路を断たれ全軍降伏した。

 同年12月に日中間で停戦が発効する。

 停戦条約により日本軍は、河北省及び山東省一帯を緩衝地域として占領を継続する。


 昭和15年1月に日中停戦が発効すると宇垣内閣は退陣し、新たに米内内閣が発足した。

 同月に米国は、日本軍の中国占領地からの撤退を外交ルートを通し強硬に要求してきた。

 日本は満州国防衛上の観点からこれを拒絶した。

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