高速戦艦の系譜
高速戦艦の系譜
戦艦扶桑は河内型戦艦に次いで自国設計された日本初の超弩級戦艦である。
実質準ド級戦艦だった河内型からいきなり超弩級戦艦を建造するということで、イギリスで設計された金剛型を参考には出来たものの、設計に至る前の基本案が定まらず多くの時間が議論に費やされた。
その中で最も紛糾したのは最大速力だった。
用兵側は日露戦争における浦塩艦隊追跡戦の如き有力な艦艇による通商破壊戦に対して、それに追随できるだけの速力を新戦艦に持たせることを要求した。
速力を優先した場合砲火力や防御にしわ寄せが来たり艦形の大型化に繋がったりするため、艦政本部としてはその要求は受け入れ難いものだった。
双方の協議で最終的に36センチ連装砲を、当初の連装6基12門から艦中心線上に連装5基10門搭載に減らし、最大速力を25ノットとすることで議論の決着を見た。
当初扶桑型の準同型艦として計画された伊勢型戦艦は予算の都合上着工時期が遅れ、新たな設計とされたため扶桑型とは大きく異なる艦容となった。
伊勢型戦艦では、新設計の機関により出力が増加したことや急速な建造技術の進歩の恩恵を受けて船型が拡大した。
36センチ3連装砲塔と連装砲塔をそれぞれ艦の前後に背負い式に、連装砲塔1基を2番煙突と後部艦橋間に配置し、合計12門の36センチ砲を搭載した。
最大速力は扶桑型と変わらず25ノットを発揮、航続距離は14ノットで13,500キロに及んだ。
明治期に設計された扶桑型は第一次世界大戦の戦訓から長距離砲戦に対応すべく、主砲仰角を最大30度まで引き上げたほか射撃管制装置の改良がされた。
機関部も新型の艦本式タービンや重油燃焼缶が新たに搭載され航続力が増大した。
昭和10年から15年にかけて扶桑型と伊勢型各艦は超重雷邀撃戦術に適応すべく順次大改装に入った。
主要な改装項目としては、機関部の刷新による速力航続力の増大、3番砲塔の撤去と防御装甲の増加、射撃管制機構の刷新と主砲仰角増大による長距離砲戦への一層の対応強化、副砲を60口径15,5センチ連装砲に変更し4基8門を装備、対空防御兵器を増強し40口径12,7センチ連装高角砲6基と25ミリ連装機銃10基を装備、水線部へのバルジ設置と防水隔壁の増加、緊急中排水能力の強化等による対魚雷防御の向上、塗料の不燃化や艦内電路の延焼対策、消火設備の増強による艦内火災対策、艦橋の大型化による指揮管制能力増強があげられる。
扶桑型は3番砲塔の撤去の際に1番と4番砲塔を3連装に換装しており、主砲門数は改装前と変わっていない。
この改装により伊勢型と扶桑型は27.5ノットの最大速力と16,500キロの航続力を持つ有力な高速重防御の戦艦へと生まれ変わった。
伊勢型に続いて建造された世界初の16インチ砲8門搭載の戦艦長門型は、英国の高速戦艦クィーンエリザベス級の設計図を参考に計画された、前級に対して火力、防御力、機動力を格段に向上させ、完成当時世界最強を謳われた戦艦である。
日本海軍欧州派遣艦隊壊滅を招いたユトランド沖海戦は、長門の起工が予定されていた大正5年に起こった。
この海戦の結果を重く見た海軍は長門型の起工を1年間遅らせ、大幅な設計の見直しを行うことになる。
改良点として、遠距離砲戦に対応した水平防御の見直し、垂直防御への傾斜装甲の採用、水中防御、浸水対策の強化、火災消化機能の充実、艦橋機能の拡充、高速化などがあげられる。
長門型戦艦は4基の16インチ砲連装砲塔を前後に2基ずつ背負い式に配置、副砲はケースメイトに14センチ砲20門を搭載した。
機関は重油専焼缶16基とオールギヤードタービン4基4軸推進で、全長215m基準排水量33,800tの巨体を最高速力26.5ノットで走らせ、航続距離は16ノットで11,500キロだった。
長門型の性能は当時の列強各国の超ド級戦艦の中では群を抜いていたが、ユトランド海戦の戦訓を十全に活かせたものとは言えず、用兵側ではより重防御で高機動の戦艦を望む声が大きかった。
その声に応えるため艦政本部は、長門型に続いて計画されていた16インチ砲10門搭載の高速戦艦土佐型2隻の建造を延期し、同型を4隻の建造に変更するとともに設計の大幅な見直しを図った。
そのため土佐型の起工はキャンセルされ、天城型巡洋戦艦4隻の建造を先行させることになる。
大正11年に調印されたワシントン軍縮条約により日本海軍は八八艦隊計画を中止することになり、当時建造されていた戦艦と巡洋戦艦は航空母艦に改造される赤城と天城を除いてすべて解体される。
昭和12年から15年にかけて長門と陸奥は、主砲と主砲塔を当時建造されていた大和型に搭載されることになっていた発射速度が向上した新型に換装、副砲もケースメイト配置を廃止し15.5センチ連装砲塔4基に換装した。対空兵装も強化され、89式12.7センチ連装高角砲8基計16門と25ミリ連装機関銃10基を搭載した。
機関部も主缶、機関ともに新型に置き換え、基準排水量41,800t機関出力136,000馬力で最大速力28・5ノット航続距離18ノット18,500キロの性能を発揮した。
同様に昭和10年代前半に行われた金剛型4隻の大改装では、防御力と機動力を大幅に強化する代償として主砲塔が1基廃止されている。
大改装後の金剛型の性能要目は、基準排水量33,000t 機関出力136,000馬力 最大速力30.5ノット 航続距離18ノット18,500キロ 45口径36センチ連装砲塔3基6門 60口径15.5センチ連装砲塔4基8門 89式12.7センチ連装高角砲8基計16門25ミリ連装機銃10基(改装が遅かった比叡は35ミリ連装機銃に変更)となっている。
金剛型は改装の際4番砲塔を撤去しバイタルパートを縮小をすることで、装甲を強化し重要部での対40センチ弾防御を実現した。
日本海軍はすべての戦艦の大改装が終わった昭和16年に到り、新型戦艦2隻と合わせ合計12隻の最大速力27ノットから32ノットを発揮する高速戦艦を揃えることになる。




