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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
覇者の曙光
17/99

機動輸送戦

機動輸送戦


 実質3ヶ月余りで終った、上海から南京にいたる長江流域で起った日本軍と中国軍の戦闘において、変革途上の日本海軍艦艇はそこにどうかかわったのだろうか。

 日本海軍の主な作戦行動を追っていく。


 まず事変勃発前、上海方面における中国軍の不穏な動きに対応して、各地に散在していた陸戦隊輸送用の艦艇を各軍港に集結させ、即時行動可能な体制をとるため艦艇の整備、乗員の充足を開始した。

 この当時兵員及び軍事物資を緊急展開可能な艦艇を列挙していく。

 就役後間もない水上機母艦千歳・千代田、改造が終わり再就役後錬成中の機動輸送特務艦球磨・多摩・木曽、第1次上海事変以来の実戦投入となった機動輸送特務艦天龍・龍田。

 就役したばかりの新艦種でほとんどの艦が訓練未了のまま繰り上げ配備となった機動輸送艦1号型4隻と旧式駆逐艦改造の哨戒艇1号型4隻・31号型8隻。

 第4艦隊事件に対応した改修を終えた最上型巡洋艦4隻、以上が当時日本海軍が投入できる陸戦戦力輸送可能な艦艇だった。


 話しは変わるが、海軍陸戦隊が主に使用する上陸戦用の艦艇の多くは、輸送や上陸用舟艇運用の機能以外にも船団護衛や掃海任務での使用も可能であったため、昭和10年より海上護衛隊から乗員を出し管理運用も海上護衛隊の手で行うように定められていた。

 従来海上護衛隊が使用する艦艇の呼称には明確な規定が設けられておらず、便宜的な名称で分類された状態が続いていた。

 天龍型や球磨型軽巡洋艦を改造した輸送艦艇は機動輸送特務艦という艦種名で分類されていたが、新たに新規艦艇として建造された1号型輸送艦が1等機動輸送艦の名付けられたのを機に正式に艦首の名称に規定を設けることになり、軽巡改造の機動輸送特務艦は大型機動輸送艦と呼ばれることになる。

 昭和12年以降建造された4,000t以上の揚陸用輸送艦艇は、一部の例外を除いてすべて機動揚陸母艦の艦種名が付いた。

 ③計画より建造が始まった海陸共同開発の950級の戦車揚陸艦の海軍名称は2等機動輸送艦としている。

 水雷強襲艦のベースとして昭和14年より就役し始めた3,000t級の呉型は、2,000~4000t級を区分する名称として特型機動輸送艦と呼ばれた。

 そのほか旧式の1等駆逐艦2等駆逐艦を改造した護衛戦用艦艇は、揚陸機能の有無に関わらずすべて哨戒艇の名で統一される。


(閑話休題)


 天龍と竜田を除くほとんどの艦艇が、実戦どころか通常の輸送任務さえも未経験のまま呼集されるという、まさに泥縄状況の中で第2次上海事件が始まる。

  この艦艇たちが、上海への陸戦隊大増派から上海敵前上陸作戦、さらに長江を遡上しての物資補給、南京大包囲作戦に向けての陸戦隊挺身輸送と、手探りの中で戦い抜き第2次上海事変を勝利へと導く大きな力となった。

 輸送任務以外でも、最上型巡洋艦や機動輸送艦は陸戦部隊への支援砲撃任務を相当数実施、水上機母艦2隻は偵察や爆撃等航空支援作戦を行い、共に大きな戦果を上げている。

 また各艦艇は大量に発生した中国軍捕虜の移動にも使用され、日本軍の進撃にともない投降してきた大量の中国兵を輸送作戦の帰路長江沿岸部の各地で艦艇に積み込み、上海郊外に置かれた収容施設まで運んでいる。


 上海方面へは当時日本海軍が保有していた戦闘可能な航空母艦のほとんどが投入され、第1次上海事変以来の実戦でその実用性が試された。

 上海における戦闘勃発時、同方面には飛隼、龍驤からなる第一航空戦隊が展開中で、中国空軍による上海租界爆撃に対して哨戒中の艦戦が迎撃戦闘を行っている。

 その後内地から増派された天城、蒼龍からなる二航戦とともに航空制圧戦、陣地攻撃、後方の兵站への爆撃など多くの戦闘を行っている。

 揚子江沿岸各地に所在していた中国海軍艦艇への航空攻撃では、中国海軍の主力巡洋艦であった平海、寧海をはじめとした多数の中国海軍艦艇を撃沈破する戦果を挙げ、航空母艦による艦船攻撃の有効性を証明した。

 この戦いに投入された空母搭載機は開戦当時新機種との切換え中だったこともあり、戦闘機が九五式艦戦及び九六式艦戦、攻撃機は九六式艦攻と九七式艦攻、急降下爆撃機は九四式艦爆、九六式艦爆と多種に及んでいる。

 第2次上海事変、当時正式採用されたものの同時期に開発された九七式艦攻と性能的に大差がないということで量産が見送られていた九七式艦偵の試作機2機が、飛隼に搭載され偵察任務で良好な運用成績を残し、その後発動機の換装など機体の改修を受けたうえで正式採用され量産化されている。


 上海から長江にかけての沿岸部では低喫水の中小艦艇が哨戒任務、支援砲撃、掃海作業などに投入され活躍した。

 対艦艇水上戦闘は小規模で不活発な中国海軍相手ということでほとんど発生していないが、不審船舶などへの臨検任務の際威嚇射撃や逃走する舟艇への攻撃などは頻繁に記録されている。

 この事変の期間中失われた海軍艦艇は一隻もないが、中国軍による空爆や陸上からの銃砲撃のほか、接触・衝突事故などにより多くの損傷艦艇を出している。

 この中でもっとも損害が大きかったのは11月に夜間着艦作業中に、付近を航行中の陸軍徴用の貨物船と衝突事故を起こし左舷中央部を大破した飛隼である。

 事故後同艦は内地に回航されて修理改装工事を行い、雷撃機運用能力を与えられ小型ながら有力な攻撃力を持つ空母となった。


 そのほかこの方面には10隻を超える巡洋艦が陸上戦闘の支援の為投入されたが、上海方面での戦闘が下火になるとその多くは活躍の場を失い内地に帰投している。

 戦艦については当時多くの艦が改装工事の途上にあったことや、攻撃力が戦場の状況に対して過大であることから一隻も参加していない。



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