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烈海の艨艟  作者: 鳴木疎水
覇者の曙光
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連合特別陸戦隊

連合特別陸戦隊


 昭和6年に起こった満州事変と同8年の国際連盟脱退を契機に、日本を取り巻く国際関係は悪化の一途をたどっていく。

 中華民国とそれを支援する米国・ソ連との対立から、陸海軍は国防の強化のため軍事力の増強と軍事基盤の整備に注力し、軍事科学技術の向上、工業力の強化、産業基盤の充実等をすすめ、国防力の増強を図った。

 海軍はその一環として艦隊拠点の拡充と高機能化を促進し、海軍軍縮条約明けの昭和12年に舞鶴要港部が鎮守府へ復帰、要港部を警備府に改組のうえ新たに那覇、大泊に置き軍事力の急速展開のための即応力を強化した。


 海軍の即応陸戦部隊である海軍陸戦隊は、常設部隊である上海特別陸戦隊を除けばそれぞれの任務ごとに中隊〜大隊規模で編成され各個に運用されていた。

 第一次上海事変から3年後の昭和10年、海軍陸戦隊の組織は大きく変容する。

 将来予想される大陸での戦闘の拡大や太平洋島嶼部での防衛戦と着上陸戦に対応できるよう、規模を大きく拡大した上で艦隊で臨時に編成される部隊を除いた全ての陸戦隊を統一指揮のもとで運用するための指揮統率機能が整備された。

 海軍の陸戦力の大規模な増強を目指したこの改革の底流には、将来的な南方資源地帯確保のための陸戦力の涵養があったとされている。


 昭和11年には陸戦隊幹部養成のため教育機関として館山海軍砲術学校が設立され、陸戦隊幹部要員の質的量的な拡充が図られた。

 昭和12年に入り国内4箇所の鎮守府にそれぞれ兵数約3千の増強連隊規模の特別陸戦隊、国内外の6か所の警備府にそれぞれ大隊規模の特別陸戦隊を編成し、3個旅団相当の特別陸戦隊に根拠地隊・警備隊を加えたものを常設部隊とした。

 即応部隊として各鎮守府、要港部の特別陸戦隊から選抜した一個旅団相当の兵力を連合特別陸戦隊として沖縄に配備し、大陸や帝國勢力圏内における緊急展開に備えた。


 連合特別陸戦隊は中国大陸沿岸部での戦闘行動を主眼として編制されていた。

 そのため島嶼部での戦闘では重視されていなかった陸上機動力を重視し、内陸部での兵員の移動には基本的に自動貨車を使用する。

 戦闘を支援するための重戦闘車両も、九五式中戦車、九五式軽戦車、九四式軽装甲車など当時の陸軍の最新車両を大隊規模で装備した。

 また砲戦力も機械化されており、移動時はトラックやトラクターでの牽引が標準とされていた。


 昭和12年、上海での戦闘に派遣された第一連合特別陸戦隊は、2個自動車化歩兵大隊、2個歩兵大隊、1個装甲歩兵大隊、1個戦車大隊、1個砲兵大隊などで編制されている。

 大隊は3個歩兵中隊、重機関銃中隊と歩兵砲小隊、対戦車砲小隊、偵察小隊で構成される。歩兵中隊は5個小隊からなり、1個小隊は兵員10名の機関銃分隊(軽機装備)3個と擲弾筒分隊2個となっている。

 第2次上海事変での第一連合特別陸戦隊(1特)の戦闘では、移動のほとんどを舟艇機動による戦力展開に終始していたため自動貨車の運用は少なく、所属していた自動貨車の多くは第2陣として参戦した第二連合特別陸戦隊(2特)によって使用されている。


 海軍陸戦隊の指揮権が一本化され即応戦闘部隊として本格的に運用が開始された昭和10年代初頭、陸戦隊を迅速に戦地に投入することを目的に整備が進められていた揚陸用艦艇は、機動特務輸送艦天龍型2隻の他には第一次世界大戦中に建造された磯風型駆逐艦を実験的に改造した4隻の輸送特務艦しかなかった。

 この排水量約1,000tの輸送艦は磯風型から一番12センチ砲を除く全砲門と魚雷発射管を撤去し、艦尾に大型上陸用舟艇1隻を収容する。

 搭載された上陸用舟艇は、艦尾を改造したスロープから軌条によって泛水する。

 搭載されていた缶室のうち混焼缶2缶を廃止撤去したため速力は18ノットに低下している。

 同時に廃止された石炭庫のスペースを貨物室に改造し100トンを超える物資を積載できた。

 4隻は昭和7年から8年にかけて改造が完了、第二次上海事変で実戦に投入されている。

 磯風型改造の輸送特務艦は老朽化が進んだため、昭和14年までに全艦除籍された。


 昭和10年②追加計画により1,500t級の機動輸送艦4隻が建造が決まるが、拡充の進む陸戦隊に対して機動輸送艦の戦力の不足は明らかだった。

 その当時1,500t級機動輸送艦とほぼ同時に建造が開始された1,350t級の松型駆逐艦の大量整備により、大正後半に建造された峯風型駆逐艦に余剰が出ることが予見された。

 それを見越して、昭和10年より同型の一部を船舶護衛と輸送揚陸を兼務する哨戒艇への改造が計画されていた。

 この哨戒艇は峯風型の主缶2缶を降ろし貨物室と追加燃料漕を設置して、最大速力22ノット、航続距離14ノットで8,000キロ、兵装は12センチ砲2門と53センチ連装魚雷発射管1基25ミリ連装機銃3基、水中聴音機と音波探知機、爆雷36個を装備している。

 磯風型の改造に習い艦尾に発進用スロープを設置し特型運荷船(大発動艇)2隻を搭載した。

 この型は1号型哨戒艇として最終的に神風型も含め20隻が改造を受け、第2次上海事変より実践投入され、主に上陸作戦と船団護衛で大戦期を通して活動した。

 峯風型の改造と同時期に樅型2等駆逐艦も哨戒艇への改造を受けて31号型哨戒艇とされ、就役していた8隻全艦が上海戦に参加した。


 第2次上海事変ではその他にも5,500t級軽巡を改造した機動輸送艦3隻も実戦投入され、特型運荷船8艇の大量運用能力を戦場で発揮しその有用性を示した。

 陸戦隊に所属する揚陸用艦艇は第2次上海事変以降も規模を拡大する陸戦隊に合わせて拡充を続け、大型のドック型上陸用舟艇母艦や戦車揚陸艦等の新艦種も加えた一大戦力へと進化していく。

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