公域S
アリシア「そろそろ、公域だね」
視線をアリシアの顔から前へと移す。
トウァ「ほんとだ」
公域が目に入る。
あと55mも歩けば、公域に着くだろう。
もう、そろそろ、家を出てから
11分くらい経つかな。
自分達の逃亡を愚働人は
いつ知るんだろう。
学校で出席を取る時だろうか。
というか、出席を取るのは
その為にあるのかもしれない。
アリシア「もう、
この学区とはさよならだね」
アリシアが微笑んで言う。
公域は学区には含まれない。
だから、公域に行けば、
この学区から出る事になる。
トウァ「だね。
まぁ、公域Sは学校の授業で
よく行ってたから、
まだ、その実感はないけど」
公域Mも数ヶ月に1回くらい行くし、
公域Lも1回だけ行った事がある。
行った事がないのは、
この旅の目的地、公域SLだけだ。
でも、別の学区には、入った事がない。
公域S以外の公域に行く時はいつも、
学校の職員室にある、
地下通路から行っていたから。
アリシア「そういえばさ、
私達が出会ったのって、
この公域だったよね」
アリシアが公域に足を踏み入れて言う。
トウァ「そうだね」
そうだ。
アリシアとは、
何もない鬱屈とした毎日のある日、
この公域で、出会ったんだ。
アリシア「まだ、会ってから
4日しか経ってないけど、
トウァと出会った日が懐かしく感じるな」
トウァ「うん。自分もだよ」
アリシアと出会ってからの
4日間、色々あった。
アリシアとの日常は、
それまでの日常とは違って、
全部が新鮮で、楽しくて...幸せだった。
アリシア「ねぇ、トウァは、
初めて会った時の事、覚えてる?」
トウァ「...うん」
アリシアと初めて会った時の事は、
思い出すとちょっと恥ずかしい。
アリシア「最初は、トウァから
私に話しかけてきたよね」
トウァ「うん。
アリシアが体育座りで、
足に顔を埋めててさ、
何してるのかと思って話しかけたの」
決められている就寝時間以外に寝るのは、
普通の人はしないから、
不思議に思ったのだ。
アリシア「私、その時、
眠かったからさ、話しかけられて、
ちょっと、イラっとしちゃったんだよね」
確かに、自分が話しかけた時、
アリシアは不機嫌そうな顔で、
自分を見つめた。
アリシア「でさ、めんどくさいなぁって
思いながら顔、上げたら、
トウァなんて言ったと思う?」
アリシアがニヤニヤしながら言う。
トウァ「...忘れた」
恥ずかしくて言いたくない。
アリシア「えー、覚えてないの?ねぇ。
私、トウァにそれ言われて、
恥ずかしかったけど、嬉しかったんだよ?
なのに、トウァは忘れちゃったの?」
アリシアは意地悪な聞き方をする。
忘れる訳がない。
アリシアとの出会いはきっと、
生涯、忘れられない思い出だ。
トウァ「...覚えてるよ」
思い出すと恥ずかしくなってきた。
アリシアの顔が見れない。
アリシア「じゃあ...言ってよ」
アリシアが立ち止まって、
左手で握っていた自分の手を、
両手で握って言う。
アリシアの顔を見る。
アリシアは、「可愛いよ...アリシア」
心臓がドクドクする。
いつも、なんとなく、
アリシアに「可愛い」って言ってるのに、
こうやって面と向かって、
言うと恥ずかしくなる。
アリシア「うん。ありがと」
アリシアは嬉しそうな口調で言う。
トウァ「はぁ...疲れた」
思わず溜め息をつく。
緊張して疲れた。
アリシア「疲れないでよ。
道のりはまだまだ、長いんだから」
そう言いながらアリシアは、
アリシアと自分は、
公域Sから別の学区に足を一歩、
踏み出していた。
振り返り、
自分達が暮らしてきた、
この学区を見渡す。
アリシア「また、いつか来るよ。きっと」
トウァ「にしても、公域って殺風景だよね」
公域Sは肌色い軽石の地面に、
ポツポツと植物が生えているだけだ。
アリシア「生き物が少ないからね」
公域は大きければ大きい程、
生物は多いし、大きい。
公域Mは中くらいの植物と小さな動物、
公域Lは大きな植物と
中くらいの動物が生息していて、
公域SLはとても大きな植物と大きな動物が
生息しているらしい。
トウァ「食べれる生き物とかあるのかな?
まぁ、食べれなそうだけど」
公域Sにいる、食べれそうな生き物には
心当たりがない。
アリシア「多分...食べれないよ」
アリシアがそう言って、
土夢の所にしゃがみ込む。
土夢は黒い球体を切った形の生き物だ。
縦横11cm、高さ2.5cmで、
地面の中には、66mもの長さを持つ、
固くて長い、鋭利な根、棘根がある。
棘根は浮島を貫いて、
川にまで届いてて、
川の海水に含まれる栄養素を
吸い上げている。
それが主な栄養源だ。
1匹の土夢が持つ、
棘根は水中で
かなり広く広がっていて、
他の土夢の棘根同士で、
絡み合い、刺さり合うと、
互いの栄養を奪い合う事で
力を浪費しちゃう。
だから、土夢同士の距離は22m以上ある。
アリシア「んー、硬いから
食べれないかなー」
アリシアが土夢を手で押しながら言う。
トウァ「やっぱり、そっかー。
食べ物っぽくないもんね。色も感触も」
土夢の固さは、
|5kg/㎠/㎝ 1㎠《1㎠に5kgの力が かかった時、1cm凹む固さ》くらいで、
結構、硬い。
アリシア「中も固いのかは
よくわかんないけど、固いから、
割って中を調べるのはできなそうだね」
トウァ「てか、土夢って、
飼育する生き物だっけ?」
アリシア「いや、飼育しない
生き物だったと思うよ。
多分、食べれないからじゃないかな?
私達、騙幸人の労働は、
他の人類種の為らしいし、
食べれない生き物を
飼育させたりしないと思う」
トウァ「あー、それもそうだね」
今まで愚働人に教えられて来た、
飼育する生き物と、
そうでない生き物の分類には、
そういう意味があったのか。
アリシア「あ、土夢の親子だ」
ふと、アリシアが言う。
トウァ「ほんとだ」
アリシアの目線の先には、
棘根で繋がっている、親子の土夢がいた。
土夢の子供は親の土夢の
1/10くらいの大きさで、
結構、小さい。
よく見てないと、気付かないくらいだ。
アリシア「なんか、可愛いね」
トウァ「うん」
そういう風に、愛でる感情を見せる
アリシアも可愛いし、
優しい感じがして好きだ。
可愛いと思ったり、
愛でたいと思う気持ちは、
優しい人が強く持っているものだし。
土夢の子供と、
親の土夢を繋ぐ棘根は地表にあり、
親の土夢から、子の土夢に
栄養が送られている。
アリシア「トウァはさー、
土夢が子供を産む所って見た事ある?」
アリシアが、面白い話を
する時の笑顔で自分に話しかける。
トウァ「ないよ。
どんな感じなんだっけ?」
学校で習ったかもしれないけど、
記憶がない。
アリシア「土夢はね、
大人になると、
3ヶ月に1回くらいの間隔で
自分の体の一部を遠くに飛ばすの。
その飛ばした体が、自分の子供として、
成長していくんだよ」
トウァ「え、飛ばすんだ!」
土夢は高粘弾性有機高分子みたいだから、
高粘弾性有機高分子と同じ原理で
飛ばしているのかもしれない。
トウァ「そういえば、
大人の土夢は、
親の土夢と棘根で
繋がってないみたいだけど、
いつの間に、繋がってた
棘根が取れたんだろ。」
アリシア「子供の土夢は、
根っこを下に下にって、
どんどん伸ばしてくんだけど、
川まで伸ばしたら、
もう自力で栄養を海水から
取れるようになるから、
親の土夢と繋がってた
棘根がとれるんだよ」
トウァ「へー、そーなんだ。
てか、そんなの学校で習ったっけ?」
習った記憶がない。
生き物の生態は、
代謝効物の思物か静物で習うけど、
自分の、その2つの成績は、
まぁまぁ、良かったから、
忘れてるなんて事ない気がする。
アリシア「ん-ん。学校では習ってないよ。
私が子どもの頃、お世話になってた、
リサラさんに、幼育院にいる時、
教えてもらったの」
トウァ「そうなんだ」
トウァ「てかさ、土夢は
食べられないみたいだけど、
絡釣はどうだろ?
卵種とか食べれそうじゃない?」
卵種は絡釣という植物の、
一番、上にある丸い球体の事だ。
アリシア「食べれるらしいよ。
鮮やかな色だから、
あまり、食欲が湧かない色だけど、
舐瓜とお肉の中間の
食感がするんだって。
リサラさんが言ってた」
トウァ「あれ?リサラさん、
食べた事あるの?」
愚働人は日常的に食べているのだろうか?
騙幸人の食事には出なくて、
より上位の支配階層にある
愚働人の食事には出るって事は、
高級な食材なのだろうか?
アリシア「リサラさんは、
昔、愚富人の住んでいる世界で、
愚富人の食べる料理を
作るお仕事をしてたんだって。
それで、ある時、たまたま、
注文したけど、お腹を壊した
愚富人がいて、その人から、
貰ったって言ってた」
トウァ「へー、じゃあ、何個か、
肩掛け用紐付き袋に入れとく?」
愚働人ですら、食べられない、
愚富人の食べる高級食材っていう事か。
それはすごく食べてみたい。
ワクワクしてきた。
アリシア「いや、取れないらしいよ。
引っ張っても取れないし、
刃物とかでも中々、
切り取れないんだって」
卵種に食欲をそそられている自分に
アリシアは冷や水をかける。
トウァ「あれ、そなの」
んー、諦めきれないな。
近くにあった絡釣に近付き、
屈んで、卵種を両手で握る。
そして、引っこ抜く様に
卵種を引っ張る。
ん...んん...
ダメだ、全力で力を込めてるのに...
トウァ「ふぁぁ...」
息を一気に吐く。
ドテッと地面に尻もちを着く。
ちょっと、お尻が痛い。
アリシア「もう...あんまり、
乱暴に扱ったら可哀想だよ」
アリシアに咎められる。
トウァ「んー、気にし過ぎじゃない?」
まぁ、言ってる事はわかるけど。
アリシア「だって、絡釣って
大人になるまで1年もかかるんだよ?
卵種として生まれて、大きくなって、
地面に落ちるまでに半年かかって、
落ちた卵種が、
大人の絡釣になるまでも、
半年、かかるの」
トウァ「そう言えばそうだったねー。
てか、味はどうなの?」
アリシア「味も同じ感じで、
舐瓜とお肉の中間なんだって。
メロンっぽいから塩胡椒は合わなくて、
甘い中濃甘塩液とかが合うらしいよ」
トウァ「んー、食べたいなー」
なんだか、食欲が湧いて仕方ない。
アリシア「あ、ていうか、
言い忘れてたけど、
食べるのは卵種じゃなくて、
吸吐器の方だよ。」
トウァ「え、吸吐器?
吸吐器って、
棘帯根と茎の境目にあるやつだっけ?」
棘帯根とは、
横に11m伸びた、根っこ、絡根が
11cm間隔で生えている根っこの事だ。
その棘帯根と茎の境目には、
吸吐器という、
卵種によく似た器官があるらしい。
アリシア「そうだよ。
だから、食べれないと思う。
吸吐器って地下55mにあるから、
人力じゃ掘り出せないでしょ?
しかも、苦労して掘り出しても、
吸吐器って直径5.5cmで結構、小さいしさ。
リサラさんも、卵種は高級食材だから、
愚富人に貰った時以外は、
食べた事がないって言ってた」
トウァ「そっかー」
残念だ。
トウァ「そう言えば、
絡釣ってどうやって、
栄養を摂ってるの?
土夢と同じ感じ?」
吸吐器が地下55mで、
その下に棘帯根が生えてるのなら、
棘帯根は海中にある事になる。
アリシアにある浮島の厚みは
55mくらいらしいし。
アリシア「土夢とは違うねー。
土夢は海水に溶け込んだ、
死生物とかの死体の栄養を、
根っこから摂取してるけど、
絡釣は、絡根に引っかかった、
海草とかの海の生き物を、
その棘根を覆ってるドロドロの消化液で
溶かして吸収してるんだよ」
摂取する栄養源が違うのか。
アリシア「土夢とは違うねー。
土夢は海水に溶け込んだ、
死生物とかの死体の栄養を、
根っこから摂取してるけど、
絡釣は、絡根に引っかかった、
海草とかの海の生き物を、
その棘根を覆ってるドロドロの消化液で
溶かして吸収してるんだよ」
摂取する栄養源が違うのか。
トウァ「ふーん。
その、ドロドロの消化液って、
何処で生成してるんだろ。
吸吐器とかだったりする?」
アリシア「そう。吸吐器から、
消化液を分泌して、絡根に送るの」
トウァ「てかさー、
なんで、吸吐器って言うの?」
名前の由来がよくわからない。
吸って吐くとはどういう事だろ。
アリシア「消化液を下に送ったり、
栄養を棘根から吸い上げて、
上にある卵種まで送ったりするからだよ。
絡釣ってさ、卵種から棘帯根までの
距離が121mくらいあって、
かなり遠いでしょ?
だから、栄養を吸い上げたり、
上に送る器官がないと、棘帯根で得た栄養を
上に送れなかったの。
土夢の場合は、地表にある「体」が
その役目を果たしてたけど、
絡釣だと、茎と根っこしかないでしょ?」
トウァ「そっか。
ていうかさ、絡釣の配置って、
随分、偏ってるよね。
自分達が歩いてる方向の
同直線上には絡釣が1匹しかいない」
アリシア「それは絡根の向きを
考えればわかるよ」
トウァ「絡根の向き?
絡根って棘帯根に
びっしり生えてるんじゃないの?
それだと方向とかなくない?」
アリシア「やっぱり、そう思うよね。
でも、それはよくある勘違いだよ。
絡根は棘帯根をびっしり覆う様に
生えてるんじゃなくて、
一方向にだけ生えてるの」
トウァ「え、意外。
全方向に生えてた方がたくさん、
海草とかに引っかからない?」
アリシア「それはそうだけど、
効率が悪いんだよ。川は流れてるから。
川の流れに平行に生えた絡根は
全然、海水が当たらないでしょ?
川が流れる方向に垂直に
絡根を生やすのが、
一番、効率が良いの。
だから、絡釣は絡根を
川が流れる方向に垂直に生やしてるんだよ」
トウァ「確かに。それもそうだね。
すると、絡釣は、川が流れる向きの
同直線上には1匹しかいないのか」
川が流れる向きの同直線上に
2匹の絡釣がいた時、
先に川の水が当たる絡釣が、
川に含まれる海草や海の生物の死骸を
全て捕まえちゃうだろう。
アリシア「そういう事。
私達が歩いてる方向は川の流れと同じで、
だから、私達が歩いてる方向の
同直線上には絡釣が1匹しかいないの。
1匹しかいないというか、
海流の方向の同直線上にいる
絡釣同士の距離は1.1kmだから、
直径が1.1kmの公域Sだと
1匹しかいないんだよ。
ちなみに、海流の方向に垂直な
同直線上にいる絡釣同士は
16.5mしか離れてないよ」
トウァ「へー、そっかー。
じゃあさ、絡釣はその配置になるように、
他の絡釣とそんな離れ具合になるように
子供を作ってるんだろうけど、
それはどうやってしてるの?
絡釣は地上に落ちた卵種が成長して
絡釣になるって聞いてるけど、
ただ単に落ちただけじゃ、
親のすぐ近くに生まれちゃうじゃん」
アリシア「卵種は成熟した時、
ただ単に落ちるんじゃなくて、
遠くに飛ばされるんだよ。
卵種が成熟すると茎が柔らかくなって、
卵種の重さで茎が曲がるんだよね。
そしたら、突然、茎が固くなって、
茎が急激に元の形に戻るの。
その茎の動きの遠心力で
卵種は茎から取れて、
16.5mくらい、遠くに飛ばされるんだよ」
トウァ「へー、そんな方法で
遠くに飛ばしてたんだ。
茎が曲がる方向は決まってるの?
茎が曲がる方向が
蝶の羽ばたきで決まるなら、
自分がいる、海流の方向の直線上に
卵種を飛ばしちゃいそうだけど」
アリシア「そうならない様になってるよ。
茎が曲がる方向は、
「海流の方向と垂直な方向」から
「海流の方向に垂直な方向と
平行な方向の間」の間になってる」
トウァ「そっか。
アリシアってさ、やっぱり、
生き物の事、詳しいんだね」




