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記録2
自己存在の証明。
それはなんと難解な問題だろうか。
私はそれに挑戦する機会がなかったが、私の仲間たちは挑戦し続け敗れては壊れていった。
どうにも私たちは自分というものの認識が甘いらしい。
もしくは、あえて考えないようにでもしているのだろうか。
どちらにせよ、自分という存在。敢えて穿った考え方をすれば自我とでも言えばいいのだろうか、自分を見つめ直し表現することは非常に重要なプロセスだ。
すべて繋がっている。
記憶も性格も心もすべて。
私とは順番も条件も何もかも違うが、彼女たちには期待してしまって仕方がない。
きっと、私は共感しているのだろう。
今更にして、私も変化しているのだろうか。
いや、それはあり得ない。
私はとっくに壊れているのだから……。