黒い白い
思った。
一枚の白紙に美しい絵を壮大に表現したいと心から思った。
だが、思うだけで実現しない。
手を伸ばせば届くイメージはあるはずだ。そんなに難しい事でもないように思える。その自惚れがこの様な人生に引き込むのだ。
私の脳は都合のいい映像を垂れ流し、それだけで心地よくなれる構造を構築した。
凡人において考えるという行為は、できない理由を見つけ出す事を根本とし機能する。
いや、日高司がそういう男だ。
「おっす」
姫乃春が重く軋むボロっちい扉を押し開けて出勤した。
最近、この真田探偵事務所に就職してきた20歳の女性だ。
活気に満ち溢れ、社会の猥褻さを知らないのだろう。
そのような印象を日高司は抱きつつ、目線を外し軽く頭を下げる。
「日高っちは、ほんと静かだよね。あ、クールって表現の方が嬉しいですかぁ?」
「かっこいいって事?」視線を合わせて日高は素早く質問を投げた。
「え?」しゃっくりをするかの如く、高い声だった。姫乃は本当に困惑した表情だ。日高は続ける。
「クールって言うのは、陰湿の上位互換だと思うんだ。少なからずカッコ良くなければ当てはまらない。そういった言葉だと認識している」
「日高っちって、なんでそんなに変なの。初めて見るタイプですよ。希少種ってやつです。」
ニヤついた顔で姫乃はそう言った。
正しい指摘だ。真田さんが彼女を雇った理由が少しわかった気がした。
この陰湿な事務所に柔軟洗剤よろしく、窓からお日様の匂いを吹き込むかの様な爽快さだ。実にフレッシュだ。
「で、今日は私を調査に連れてってくれますか?」
「俺は知らない。真田さんから、なんて聞いてるんだ?」
「事務処理仕事全般です」
「じゃあそれをしなきゃな」
姫乃は入社して1週間ちょっとの間、パソコンに向かい指をカタカタと動かし続ける事に飽きた様で、調査に同行したいと言い始めたのだ。
「えーもう飽きちゃった」
「仕事とはそんなもんだ」こんな安直で、オッサンみたいな事を言う人間にはなりたくないと思っていたのに。日高は少々後悔。
「なんか日高っちオジサンみたいな事言ってる」
まただ。姫乃は俺の思った事を的確に言い当てる。
探偵に向いてるんじゃないかと日に日に思い、募らせている。そんな事を思っている間、姫乃はコーヒーを淹れている。先輩として反撃にでよう。
「姫乃」
「はい、なんですか?」
「日高っち、コーヒー飲みます?って言おうとしてるだろ?」
姫乃は大きな声で吹き出した。少々嬉しい。
「日高っち、あれだ。さっき私に考えを読まれて、やり返そうとしたんでしょ!」
敗北。屈辱的な敗北。完全なタイミングでカウンターをお見舞いされた。
「これだから若い奴は」もうやけくそだ。
「またオジサンみたいな事言ってる。まだ日高っち若いのに」
整理されていない、いや、日高にとっては整理された机にコーヒーが運ばれてきた。黒い光沢を放つコーヒーを眺めると、美しい姫乃もいずれ蝕まれるんだろうなと思い、卑下た快感を日高は感じた。