9:崩壊の序曲(王国視点)
王の名前はグレゴール王に。
主人公を奴隷にしていた国の名はハルティア王国に変更いたします。
よろしくお願いします。
イスハルが属していた国家、ハルティア。
自動人形を運用する、大陸でも特異な国家ハルティアだが、50年以上前はどんな国家だったか、と聞かれると大陸諸国の外務大臣がそろって首をかしげるような……まるで特徴を持たない国だった。
まぁ、これは仕方ない。もともとが山間の小国。それほど大きな産業や資源を持たず……逆に他の強国が食指を動かすようなうまみを全く持たないからこそ存続が許されていたような国だ。
ただ今のハルティアを知る人が、過去の評価が『山間の小国』と聞けば、誰もがいぶかしむだろう。
現在のハルティアは平地を中心とし、獣氏族から領土を奪い続けて拡張し、大規模な耕作地帯を有する豊かな国だ。
自動人形の性能を素人に知らせる場合、この事実がよく使われる。
不眠不休で働く自動人形は、三つの山を平らにしたのだ、と。
ハルティア王国が強国として有り続けられた理由は、自動人形による強力な軍事力によって周辺に住まう獣氏族との間にあった、曖昧な国境線をどんどんと広げていったこと。このままいけば獣氏族を追い落とし、海岸に到達し、港さえ持てるようになるだろう。
そして……本来人力や馬、牛などの家畜の力を行わねばならない開拓などを自動人形が代わりにやることで、労働力をほかに向けることができるからだ。
そのハルティア王国を支える労働力の全てを失った以上、グレゴール王はすぐさま代わりの労働力を用立てる必要がある。
「……そんな都合のいいもの、あるわけがなかろうが」
すでに王は玉座に戻り、家臣より伝え聞く報告に青ざめていた。
長年続く重税。それを民衆に還元することを怠った結果として民衆の不満が爆発した。
貴族の館が襲撃され、焼き討ちと略奪にあった。国と繋がりのある商人の倉から食料やら金品やらが盗み出され、これを治めようとした騎士達が石つぶてを雨あられと投げつけられて逃げ帰る始末。
国家存亡の危機と言ってよかったが……ハルティア王家はいまだに存続しているし、民衆も暴動を治めて一旦それぞれの家に戻っている。
理由は簡単だ。
もし民衆を煽動し、反乱へと導く指導者がいれば、今頃は圧政への怒りと復讐に燃える民衆によって王宮は踏み荒らされ、国王一家は広間にて吊るされていただろう。
そうでないのは……この暴動が、自動人形が動かないことから始まった偶発的なものだったからだ。
民衆ひとりひとりが求めているのは安い税金と治安がしっかり守られていることであり、王に代わって統治者になるという意欲と能力を持つ人がいなかった……ゆえに王はまだ玉座に座ることが許されていた。
「まったく……許せるものではありません!」「左様、首謀者を全員火あぶり、磔にして貴族の威を示すべきです!」
だが。それさえわからないバカがあまりにも多すぎる。
鼻息荒くがなり散らす貴族たちを冷ややかな目で見下ろしながらグレゴール王は玉座を立ち、喧々囂々たる会議という名の罵りあいの場から離れる。傍に影のように一人の家臣が付いてきた。グレゴール王が信用する文官であった。
「くそっ! 磔にせよだと? 火あぶりにしろだと? ……それは誰がやるのだ!」
「……すでに家族を持たない一人身の騎士達は辞職願を出し、引きとめにも応えず無断で出国するものが大勢います。……譜代の家臣や家族を持つ騎士はさすがに多くは残っておりますが……」
ハルティア王国は様々なところで機能不全を起こしている。
自動人形が使えなくなったため、これまで必要のなかったところに騎士や兵士を派遣する必要が発生し、膨大な予算が必要になってくる。広大な農地を耕す耕作用の自動人形も動かないため、来年の穀物の生産量は激減する見通しだ。
和平条約を結んだために獣氏族と戦争をする必要がないだけが救いだ。もし人形が動かなければ王国の弱兵達では到底防ぎきれなかっただろう。
これまでイスハル、サンドールという稀代の才人によって運用された人形が使えなくなり、化けの皮が剥がれたように国が傾きつつある。
グレゴール王は一瞬……国庫に詰まった金銀財宝を掻っ攫って逃げるか、という誘惑に駆られることがある。
山間の小国をここまで押し上げたのは自分のおかげだ。一介の奴隷であったサンドールを買い上げ、当時は海のものとも山のものとも知れぬ自動人形に大金を賭けたのは自分の眼力が正しかったからだ。
自分が作った国家が穴の開いた船の如く沈むというなら、捨てるのも自分の勝手ではないか。他の奴がどうなろうと知ったことか。
「……まだだ、余は寄生虫ではない……そんなわけがない!」
だが……自分を裏切った小生意気なジークリンデが最後に吐き捨てた台詞が蘇る。
もしここで国を捨てて財を盗んで逃げたら、まさに彼女の言葉が正しく。自分はほんとうに寄生虫だと認めるようなものだ。
グレゴール王は大きく呼吸してあらぶる気を静める。
「……国外に輸出した魔力繊維は、どうなった……」
「恐らく奴隷契約破棄による、魔力繊維の魔力還元現象はわが国だけのようです。
外国では魔力繊維が消失して、その補填を求めるという事態はないようです」
もし外国でも魔力繊維がすべて消失してしまえば、グレゴール王はそんなあやふやな代物を輸出して大金をせしめていたのだと非難轟々だっただろう。
だが、これまで輸出予定だった倉庫に積み上げていた魔力繊維はすべて消失。
現在は膨大な違約金を払い終えたところだ。
「そうだ。余はまだ終わっておらん……巻き返してみせるぞ」
今やハルティア王国は船底に大穴が開いた船だ。
これまでイスハルとサンドールを酷使して集めた金をつぎ込んでどうにか補修を続けている。だが、それも長くはもたない。
絶対にイスハルを呼び戻す必要があった。
「騎士の退職願いはまだ続いておるのか?」
「ヴァカデス様のむごいなさりようを見て幻滅する騎士は多く、すでに二割が剣を返しました。一部には家族を連れて出奔したものも……それに譜代の家臣の騎士たちからも、人形が使えず、同僚の騎士も減り、仕事の負担が跳ね上がって改善を求める声が悲鳴のように上がっています」
「ええいっ! ヴァカデスの阿呆め! 半死半生の廃人みたいなことになりながら、まだ余に祟りおるわ!」
すべての発端は息子の不始末だと思うと今すぐ斬り殺したくなるが……グレゴール王はそれを我慢した。彼にはまだ有効な使い道が残されているからだ。
「……現在残っている騎士の俸給を三倍にあげ、治安維持のために傭兵を雇い入れよ」
「それは……国庫が干上がりますが、よろしいのですか?」
グレゴール王は少なくとも金の使い方を間違えはしなかった。
騎士の不満は金で押さえ、足りない人手は雇ってごまかす。
「今が正念場なのだ」
「それは、そうかもしれませんが――傭兵はよくありませんぞ、陛下」
「構わん。……確かに傭兵などに騎士なみの規律を求めるなど無理な話だが、今度民衆が爆発した時に押さえつける力がいる。尻に火がついているのだ。
貴族にも増税の必要がある。とにかく、とにかくだ……今は暗殺失敗の報を待つしかない」
そういいながらグレゴール王は自分の私室に戻る。
影のように控えていたのは王に仕える騎士の中でも汚れ仕事を引き受ける男であり、以前イスハル暗殺のための人員を手配した責任者でもある。彼は王を見ると深々と頭を下げた。
「陛下、申し訳ありません。暗殺に失敗いたしました」
「おおっ! でかしたっ!!」
その騎士は深く頭を下げながらも、主君の理不尽でこちらの気持ちを考えない無神経な言葉に唇を噛んだ。
魔力繊維を生産できる人間を失わずに済んだ王の安堵は分からなくもない。イスハルを連れ戻し、再び王家の奴隷にしなければこの国は立ち行かなくなる。
だが……だからといって自分で送り出した人員全員の死を喜ぶ王の声に怒りを覚えないわけがなかった。これでは部下は犬死にではないか……と、憤る心をどうにか抑えながら答える。
「イスハルめの位置は?」
「見届け役も殺されましたが、逃げた方角の見当はついております。補助人員を放って捜索中です」
「うむ。……お前には折衝役を頼みたい。大金を積んでイスハルに戻って来いと伝えるのだ」
その騎士は――王の、人の心をあまりにも無視した物言いに眩暈がした。
「陛下……それはさすがに無理がございます」
「なぜだ。次は奴にきちんと俸給を支払い、月に二度程度なら外出も許そうというのだぞ」
そういう問題ではない。やはり王は人の心が分からない。
自分達を暗殺しようとした相手の奴隷にどうして戻ってくれると信じることができるのだ。
「陛下、如何に卑賎の身の奴隷と言えども心がございます。
自分達へと暗殺者を放った陛下のもとへなど戻りたくはないでしょう」
「うむ。すべてヴァカデスのせいにする」
騎士は意味が分からず王の顔を二度見直した。
「ヴァカデスが10分の1刑の後でイスハルを逆恨みし、殺し屋を放ったのだ。余は悪くない……そういうことにする。よいな?」
「それは……それは確かにありそうな話ですが」
王も騎士も、ヴァカデス王子ならば本当にやりかねないと考えていたし、実際ヴァカデス王子が心身ともに健康であったならそのぐらいの悪巧みをするだろう。
だが現在ヴァカデスは、自分の手で殴り殺した友人の幻覚に昼夜を問わずおびやかされており、悪事を働く余裕などない。
わが子に冤罪を着せることをなんとも思わないグレゴール王の冷酷さに内心唖然とする。
しかし……それほど卑劣であろうとも王は王。騎士は続ける。
「許しを請うならばヴァカデス王子の首が良いと思われます。よいですか?」
「構わぬ。今となっては奴よりもイスハルの身柄を確保する事が最重要だ」
「かしこまりました。……イスハルの現在の主人に当たる敵の獣将姫は?」
グレゴール王は発言の意図が分からぬまま、答えた。
「殺せ」
「……承知しました」
やはり、この王は人の心が分かっていない。
王国に裏切られ、失意と絶望に打ち沈んでいたイスハルを救い出した獣将姫レオノーラ。彼女を殺害などすれば、イスハルは例え殺されようとも王の要請を拒絶するだろう。
頭から爪先までどっぷりと殺業に穢れた汚れ仕事の騎士は、不意に何もかも嫌になった。
だからだろうか。
意趣返しにそれとなく、真実を流してやる事にした。
「おい。……あの噂話を聞いたか。陛下は我ら貴族に新しく課税する気だと言うぞ」
「……馬鹿な。まず金を搾り取るなら民衆からだろう! 反乱しようとも騎士に鎮圧させればいい!」
「それにヴァカデス王子が身代金支払いを拒絶した奴隷を買い戻すために、山ほど金をつぎ込むとも聞いたぞ」
「な、なんだそれは! たかが奴隷など攫ってくればよろしい! まずそんな金があるなら我ら貴族に還元すべきだ!!」
「……今の陛下は嘆かわしい」
「あの方ではなく、我々貴族を尊重する人を王と仰ぐべきではないか」
「……ヴァカデス王子はどうだ。あの方は扱い易い」
「下手に聡明であらせられるよりは、我らに国政を委ねてくださる方がよい」
「決まったな」
「陛下には退位していただこう」