25:まだ口にしていない
明日の更新はお休みすると思います。
家族というものはもっと暖かくて優しいものではないのだろうか。
幼い頃のジークリンデは自分を換金物のような眼で見る両親の元で育ったせいか、胸の奥底にずっと澱のように浮かんでいる気持ちの正体をよくわからなかった。
彼女が両親に与えられたのは罵声と怒号、使用人たちのおなざりな愛情らしきもの。
『この出来損ないが!』
頭の上から吐瀉物のようにぶちまけられる罵声。
もっと子供の頃は骨身に食い込むような言葉だったけど、生を受けて十年を経てしまえばどんな環境にも慣れと諦めに至る。
ジークリンデは先祖にエルフの血を取り入れた一族の出であるにも関わらず、生来魔力が少なかった。
できそこないと呼ばれる所以の低い魔力量という意味を知ったのはいつ頃だろうか?
低い魔力量は魔術師としての大成を阻む要素ではあったが、どのみち手元にある手札で勝負するしかない。繊細な魔力の制御を学び、魔力量とは関係のない勉学で身を建てられないかと勉強も始める。
この家から出ていきたかった。
ジークリンデの転機は、意外に早く訪れた。
学問に関しては水準点を大きく上回る彼女を欲したのは、異国の王族だという。
どこでもいい、こんな家族に囲まれて生活するよりはいい。
ローダキアを出て海を越えてハルティアへ。
暗愚の王子が将来王になった時、補佐役として政務を助けるためだという。宮廷魔術師として王の代わりに仕事をさせるつもりだという。
ただ、ハルティアに来たことはジークリンデの人生において間違いなくプラスに働いた。
生家では様々な学問書があったが、それらよりもずっと深淵な知識を持つ本物の賢人だったサンドール師。
そして師の傍でジークリンデに穏やかな視線を向けるイスハル。
「……ただ。当時のわたしは間違いなく付き合いやすい子供ではなかったなぁ」
くつくつと煮える鍋を全員で空にして片付けると、ジークリンデはため息を吐いた。
「最初に出会った時も、『わたしはこんな田舎の奴隷なんかに教わることなんてない』って怒鳴っていた」
「……そこは仕方ないのではなくて? ありがとうとか、ごめんねとか、そういう言葉を使ってくれるご両親でないのなら……」
「ふむ。親の影響は大きいからの。わしも乙女なのに一人称がいささか爺むさいのは父マイヤーに育てられたからじゃの。それに今のジークリンデは言葉遣いも丁寧で、見事に矯正がなった訳じゃし」
慰めの言葉に穏やかにほほえみながらジークリンデは昔の事を思い出す。
「ありがと。
……そんな感じにつんけんしていたわたしは、サンドール師から一つの提案を受けた。
それが魔力供給による、保有魔力の上限増加だ。
さっきも言ったけど、わたしは生来の魔力が少ない。だから他者から魔力を供給されることで、生来の低い保有魔力を増やせると聞いて一も二もなく飛びついて。
……そこで、イスハルの心理が流れ込んでくる症状に初めて遭遇したわけなんだ」
そう言ってから、彼女は――用意してあったお酒に手を付ける。
「あら。飲みますの?」
「……ここから先は素面だと恥ずかしいんだ」
瓶を傾け、とぷとぷと音を立てて椀に酒を注ぎ、そのまま口を付けると一気に傾けた。
レオノーラはいやそうに顔をしかめる。強めの酒であると察しがついた。
「イスハルは……わたしと出会ったら、いつも……かわいいとしか考えてなかった」
「「え」」
「覚悟をしておけよ、イグニッカ。ほんとうに恥ずかしいんだぞ、あれ……」
なんだかすごいことを聞いてしまった。
レオノーラとイグニッカの二人は顔を見合わせた。
ジークリンデは机の上に突っ伏して呻いた。顔が赤いのはアルコールだけではない。過去の思い出があまりに甘酸っぱくて恥ずかしくて、どうしようもないからでもあるんだろう。レオノーラの嗅覚に強い恥じらいのにおいが伝わる。
「いつもいつも、わたしを見ると『わぁ。かわいいなぁっ』『外国の子はみんな妖精さんみたいなんだろうか』『つっけんどんな態度だけど、なんだかねこさんを思い出す……』とか……誉め言葉しか伝わってこない。
『サンドール師も彼女には優しくしなさいねって言ってたし』とか。
『お父さんやお母さんと離れ離れは寂しいんだろうなぁ』とか。
わたしがどんなに邪険にしても。わたしがどんなに怒っても……優しい言葉しか伝わってってこなかった」
思い出していくうちに……恵まれなかった境遇だった自分と、温かくやわらかなもので満たされていった自分を思い出したのだろう。ジークリンデは次第に涙を溢しながら呻いた。
「奴隷のくせに……わたしよりずっとひどい境遇のくせに。
あのくそ王に、ばか王子に使い潰される未来だったのに。どうしてこんなに優しいんだってずっと思ってたよ」
そう言ってからジークリンデは大きく嘆息を溢した。
「最初はこんなきもちうそだ、あの家でずっと落ちこぼれだ、出来損ないだって言われてきたわたしを可愛いなんて思う奴、いるはずがないと思ってた。
確かに法外の魔力量を有するイスハルから、魔力を供給されて少しずつ人並みになっていくことがうれしかった。これまでは技巧の限りを尽くして行使した魔術も、余裕ができたおかげでどんどん楽になっていく。どんどん強くなっていく。
……サンドール師は『もし異常があったならすぐに施術をやめますので』と言ってたけど。
強くなる快感には抗えなかった……でもそれ以上に、かわいいって思われるのは。むずがゆいし恥ずかしいし、今思い出しても転げまわりたくなるほどだけど……うれしかったんだ」
もう一度、酒を飲み干す。
「……なのに、わたしは。イスハルが良くしてくれるのに甘えてばかりで、ろくに感謝の言葉も発さなかった。
心が伝わってくるから嫌われていないと安心しきってた」
「……あなた」
レオノーラがかすかに眉を寄せる。
ジークリンデから、自分自身に対する強い落胆のにおいが伝わってくる。
「ある日……告白、したんだ」
「おおっ?!」
イグニッカが感動の声を上げる。レオノーラは机を凹ませるほどに強く握りしめた。
だけれどもジークリンデの顔は悲しみに満ちたまま。
「好きだ。一緒にいたい。この国を出て旅をしよう。
そう言うと、イスハルは恥ずかしそうに眼を伏せ顔を隠し、耳まで真っ赤になりながらも言葉に詰まっていた。
その時のイスハルの心は本当に様々な思考が一気にはじけていた。
『彼女はつっけんどんな態度をとっていたのに、どうして急に好きなんて言ったんだろう』『でも好きだって言ってもらえるのはうれしい』『それに……ジークリンデは宮廷魔術師になるって話だ、もしかするといずれ奴隷身分から解放してくれるかもしれない』『ここは、『はい』って言ったほうが……』
そこまで心の声が聞こえたあたりで、わたしはうれしさのあまりに飛び上がって喜んだ。
やった、って――うれしくて叫んで、イスハルは。
心の中で答えを考えただけで。
……まだ、わたしの告白の返事を、口に出して答えてはいなかったのに」
ああ、とレオノーラは、懺悔めいたジークリンデのつぶやきを聞いている。
「イスハルは察しが良い、頭がいい。
だから彼はとっさに心を読まれているって可能性に思い至ったんだ。頭の中で『なんでわかったの?』って……唇を動かして、けれど言葉を発さずに口を使ってしゃべったふりをした。
わたしは答えた。『だって、告白のお返事をもらえたんだもの』と。
……イスハルのブラフに引っかかったんだよ。わたしは」
そうしてジークリンデは涙を滲ませながらつぶやいた。
「……次の瞬間、イスハルは顔を真っ青にした。
心を読まれたのだと察した彼は、一目散に逃げ出した」
「……それは、どうしてですの?」
「それはね――
『解放奴隷にしてもらえるかもしれないって打算込みで告白に『はい』と答えようとした。
女の子が純粋な好意で好きって言ってくれたのに――欲得まみれの汚い自分の心を見られた』と、そう思ったからだよ。
魔力糸の副作用で伝わってくるイスハルの心は激しい後悔と、自分自身への嫌悪で一杯だった。
全部、悪いのはわたしなのに。
副作用を伝えればこんなことにはならなかったのに。
ど、奴隷身分なんだ、そういう風に多少打算を働かせたからってそんなの別にいい。つっけんどんな態度を取り続けていたわたしを利用しようと考えるぐらい全然かまわないのに。
……じ……自分の中の……薄汚い本性を見られたと思ったイスハルは。
そのまま部屋に閉じこもって、わたしに……顔を見せてくれなくなった」
一か所矛盾点があると感じたかもしれませんがそこは追々明かされますん。
おまけ。
このお話は短編版として書いた物語が好評だったので長編に改定したわけですが。
実のところをいうと、最初ジークリンデというキャラを登場させるつもりはなかったりします。
最初の構想ではレオノーラ一人だけでした。
で、なぜかというと。
グレゴール王に対するざまぁ展開を書こうとしたものの……主人公であるイスハルがまさか王城に戻ってくるわけにもいかない。
当初の案ではサンドール師の生き人形が、相手の返答を想定して好き勝手しゃべる、という展開にしようかとも思ってましたがさすがにちょっと無理があるだろ……と考えなおし。
結果としてサンドール師、イスハルの味方、協力者であるジークリンデというキャラを発生させる契機となったりします。
そんなわけなのでようやく掘り下げるところまで来れてちょっと嬉しい☆




