19:むかしのこと
いつも読んでいただきありがとうございます。
ちょっと体調不良のため明日の更新はお休みします。よろしくお願いします。
……なんか便秘っぽい(汗)
こんな姿に変じたせいか、いや。
元の姿に戻ったというべきだろうか。
イグニッカと呼ばれていた彼女の一番古い思い出は、どうして自分はここにいるんだろうという単純な疑問だった。
空腹も感じず。山の中腹をふわふわと漂っていたような気もする。後に自我と言うべき感覚の目覚めのきっかけはなんだったろう。
蒼天を覆い隠す灰色の雲か、そこより吹き付ける風雪、雷鳴か。
あるいは自分より小さな人々が山々を練り歩き、彼らが築いた神殿へと参拝するさまを遠目に眺めていたあたりか。
たぶん、そうだろう。
それまでは世界と混然一体となり溶けあっていたが、他者を認識したがゆえに自分の存在もそこに在るとはっきりわかったのだ。
そう考えた瞬間には――終焉山を流れる魔力の流れと結びつき、のちにイグニッカと名付けられた彼女は、自分というものを認識していた。
ただし、『自分』ができたからといって何をすればいいのだろう?
炎の巨人はあてもなく首を捻った。
山に腰かけ思案にふけること三日三晩。
睡眠を要さず、食事も必要としない。周囲の魔力――できれば炎や熱――があれば生存を可能とする巨人は考えてばかりだった。
終焉山にときどきやってくるドワーフたち。炎の巨人は彼らを図りかねていた。
自分は何をすればいいのか、何を目的として生きるべきなのか、という疑問に、自分以外の誰かなら答えを返してくれるかもしれない。そのような期待があった。
だけれども、きっかけがなかった。
巨人にも、彼らと自分が決定的に違うということはわかる。
この終焉山に入り込もうとする人間がいることは知っている。ときどきドワーフが山腹に立てた建物――後で神殿と知った――へと入り込もうと禁足地である終焉山に足を踏み入れたものを容赦なく捕まえ、もしくは殺めたことを知っている。
彼らと共存はできるのだろうか? 考え続けて時間が経ったある日だった。
『……ぐ。おおぉ……痛てぇ』
なにやら苦痛に呻く声がする。
首をひねった巨人はそのまま声のするほうに進むと……一人のドワーフが半死半生の憂き目にあった。
非常に運の悪いことに、がけ崩れに巻き込まれ、足を岩に潰されて身動きが取れないでいる。
『……きょ、きょじん?! う。ああっ?!』
はっきりとした恐怖と嫌悪の様子に巨人は胸を抉られるような気持になった。
けれどもとどめをさすような真似はしない。自分にとっては小さな、手ごろな岩……半死半生のドワーフにとっては絶対に覆せない巨大な大岩をひょい、と掴んで放り捨てる。
『……あ? も、もしかして……助けてくれたのか』
こくり、と巨人は頷いた。
それが、父マイヤーとの最初の思い出だった。
当時のイグニッカは男でも女でもなく。
ただマイヤーは自分の股間に何もないのを見て『ああ。女なんだな』などと、今から考えると実にデリカシーのない発言をしていた。
ドワーフの町には連れていけない、と言われて首をひねったイグニッカは、どうして? と考えこむ。体が大きすぎるから、という答えに『なんだそんなことか』と思った記憶がある。
精霊の外見など水面に移る月か、揺らめく炎のように絶えず変化し続けるもの。ドワーフといってもおかしくない背丈に身を縮めるなどお手のもの。
彼よりも小さい背丈になることは簡単だった。
終焉山で一人孤独であったころは、下手をすれば千年単位を揺蕩い続けてきた。
だがドワーフとして、マイヤーの娘として生きた47年間はそのすべてに上回るほどに濃密な経験だった。
言葉を覚え、いつしか自分が巨人である記憶さえあやふやになり、忘れていき。
燃える髪の意味も、炎を喰らう肉体の性質も忘れ、このままただのドワーフになって終わった――はずだった。
『う、うわああああぁぁぁぁぁ!』
絶叫が喉からほとばしる。
父上、父上。
あの日、彼を助けた後、また関わろうなどと考えなければ。
鉄を打ち、剣を鍛え、防具を築く卓越した鍛冶師として認められるのが最も名誉な一族の中で、苦心を省みられず不遇をかこっていた父の名誉を守ろうとしたせいでこんなことになってしまうなんて。
彼のために行動したことが最悪の結果を招いた。もう何もかもが遅すぎる中……イグニッカは、地面を踏み鳴らす衝撃を感じた。
眼球の意味さえなくなり、巨大な炎の塊となった今でも正面と背中の感覚は残っている。
黒い、自分と比肩するほどに巨大な鉄の巨人がゆっくりとこちらに接近してくる。
イグニッカは燃え上がる絶望の炎に巻かれながら絶叫した。
終わりたい。自分自身が許せない。このまま一握りの灰になろうとしているのにどうして邪魔をするのだ。
ドワーフとして生活していた頃に芽生えた意識は弱まり、自分のやろうとすることを阻もうとする相手に対して動物的な憎悪が燃え上がる。
腕を掲げ、そのまま一薙ぎすれば――まるで溶岩の鞭と変じた片腕が鉄巨人を激しく殴打する。
機動巨人は、何もかも燃えて潰れて死ぬしかない一撃を前にしても引こうとはしなかった。
巨人の膂力と火山じみた高熱の一撃。
誰もが頭を伏せ、どうか過ぎ去っていけと願うような対抗不能、制動不能の一撃を前に――鉄巨人はいびつなまでに巨大な両腕に取り付けられた分厚い装甲を盾の如く構えた。
同時に青白い強靭な力場が形成され、超高熱と大質量による一撃という――片方だけでも十分すぎるほどの破壊力を、受け止めて見せた。
片足を後ろに延ばして吹き飛ばされそうになる五体の水平を保つ。
両腕に内蔵されたシールド発振器が発動し、機動巨人は装甲の隙間から排熱の煙を吐いた。
誰もが絶望し、逃げ惑うしかない巨大な相手に。
確かに抗しうる力がそこにあった。
「イグニッカ。マイヤー大棟梁とは最後まで会話する機会はなかったけど。……たぶん、サンドール師と同じで、君のことを最後まで案じていたと思う」
だが、イスハルは師より継ぎ、今振るうその絶大な力を、相手を滅ぼすために使う気はなかった。
ただ過剰な力をもって敵対するものを抹殺するだけならば獣と同じ。
ほんとうに強いなら、別の決着もあるはずだ。
機動巨人が前進する。
望みに向かって進むように、炎の巨人へと掴みかかった。




