10:火喰らいイグニッカ、ふしぎをおぼえる
もちろん。
火と鉄に深く関わるドワーフは熱に強い。
が、今もなお煌々と燃え続ける炭を呑んで平気でいられるはずがない。
炭を呑みこんだイグニッカの行為は明らかに異常で、知られれば奇異と恐怖のまなざしは避けえぬことだった。
……が、この時、それを見たのが世間知らずのイスハルであったのは果たして幸か不幸か。
彼はサンドール師との生活の中で様々な書物を見て知識を獲得していたが、しょせん他人の知識の又聞き。書物に書いてあったことがすべて真実であると限らない。
だからイスハルは燃える炭を呑んだイグニッカを見て『なるほど、ドワーフは炎を呑んでも平気な人もいるのか』という誤解をしてしまったのだった。ありのままをそのまま受け入れ、自分の知識のほうが間違っていたと簡単に納得したのである。
もちろんレオノーラやジークリンデが一緒に起きていればそんなわけないだろう、と指摘した。しかし二人ともよく熟睡している。
「あーうん。そうじゃな……今見たことは秘密にしてもらえると助かるぞい」
イグニッカはどうこの場をごまかすのか頭を悩ませ、とりあえずの言葉を口にして。
「わかった」
「は?」
あっさりと了承の答えを返すイスハルに……言葉を失った。
まさか、こんなにもあっさりと秘密を守ると言われるなど考えもせず……どうしたものかと戸惑うよりなかった。
イスハルからすれば、不思議なことではない。
口から燃える炭を食う。もしそれを他人に強要するならば絶対に拒絶するだろうが、そうではない。自分と違う人を平気で受け入れる性分だからこそ、イスハルは当時潜在的な敵国の人間だったレオノーラとだって平気で友誼を結ぶことができたのだ。
イグニッカ=ロックフォートは、父であるドワーフの指導者、マイヤー=ロックフォートの差し伸ばした手を取り、一緒に山を下りたみなしごだった。
実際の父も母も知らぬ。いたかどうかさえ自信がない。
イグニッカの記憶にある一番古いものは……山の中腹で着衣一枚纏わず、ただぼっーと地平線を眺めていたこと程度だ。
なぜ誰も人がこないような場所で一人でいたのか。
どうして火を見て食欲を覚えるのか、なぜ燃え上がる炭を呑んでやけど一つせず満腹感さえ覚えるのか。
ドワーフにしては自分は線があまりにも細すぎる。義母や年頃の友人たちのようなドワーフらしい体形に羨ましさと疎外感を感じることもあった。
で、あれば人間なのだろうか? と考えることもある。
……しかしイグニッカは今年で47歳である。人間であればもう人生の大半が過ぎ去った頃だ。にも関わらずイグニッカの外見は人間の十代半ばほどの幼子であった。
恐らくはドワーフでも人間でもないのだろう。
イグニッカはそれでも自分が何者であるか、深く思い悩むことはなかった。
義母と養父であるマイヤー=ロックフォートは繰り返し抱きしめていってくれたのだ、お前は我が娘だと。
父マイヤー=ロックフォートはいささか気弱な表情が顔に張り付いた、人間とドワーフたちの折衝を続ける苦労人であったけど、イグニッカにとってはかけがえのない慈父である。
他のドワーフからは人間との算盤勘定をはじいてばかりで鉄をろくに打たない男と軽蔑交じりに見られていたが、鍛冶場でイグニッカに指導する彼は、一日の指導で一年の熟練を得るとひそやかに讃えられるほどに優れた指導者だった。これほど優れた師が、鍛冶屋としての能力に欠けることなどあるだろうか?
そんな父もイグニッカに真剣な目で、炎を食う体質は隠すようにと厳命していた。
酒と鍛冶、工芸を最も大事と考えるドワーフと言えども、イグニッカの特異な体質を前にこれまで通り接してくれるだろうか?
だから。
こういう反応が返ってくるというのはイグニッカの人生でも予想外だった。
「い。いや……今の見たではないか。わしが炎を呑む姿を」
「……そういう人もまぁ、いるんじゃないか?」
ええ……とイグニッカは奇妙なものを見るようにイスハルに視線を向ける。
だがイスハルは全く気にもしない。それよりは毛布をかぶってむにゃむにゃと言いながらもう一度目を閉じた。イグニッカの体質への疑問を解消するより、明日に備えて少しでも多めに眠っておこうとするかのよう。
「じゃ、じゃが」
「……君、俺を傷つけたりする?」
イスハルにとっては彼女が炎を食う体質だからといって、それが自分と仲間の害にならないのであればそれでよいと考える性格だった。
レオノーラが邪気はないとにおいを嗅いで問題なしと判断したのだから、敵ではない。彼女がたとえ炎を食む体質であろうとも、別に構わない。
「せぬわっ。わしは偉大なるロックフォートの末裔、そのような恩知らずなふるまいなど」
「なら、それでいいよ。害がないなら……」
イスハルはそう言って目を閉じ……何かに気づいて口を開いた。
「隠すなら……もっと口に気を付けたほうがいい」
「は? 何を言うておる」
意味が分からず聞き返すイグニッカであったが、イスハルの吐息は、次第に静かな寝息へと変わっていく。
「……なんとまぁ」
イグニッカは緊張を解いてもう一度寝台に寝転がった。
故郷を追われ、国外へと赴くさなかに助けられ、好きな人もできた。亡父の導きであろうか。
長年、ドワーフでも人間でもない特異体質を前にしてもあっさりとしたイスハルのふるまいを前に、イグニッカはなんだか今まで悩んでいたのがとてもバカバカしい気持ちになってくる。
誰かにとっては炎を食う体質、自分の出生にまつわる疑問などそんな程度でしかないのだ。
もちろん自分を嫌悪したり不気味に思ったりする連中もいるだろう。だがそれがすべてではない。自分の体質をどうでもいいことだと答え、平気な顔をして受け入れられるかもしれない。
ああ。そうだ。
嫌な国、嫌な人と出会ったなら逃げてしまえばいい。
イグニッカは寝台に横になり、目を瞑った。
長年の胸のわだかまりが少しばかり、消え去った気がした。




