8:愛のはじめ? それともこれは鎧フェチ?
「その……どういうことでしょうか」
雇い主である行商は困ったような顔をした。
レオノーラが鼻を引くつかせればその心は窺い知れる。見ず知らずの相手とはいえ、幼い娘が半死半生の憂き目に合っていると知りながら手助けできない自分の無力さに歯噛みしている。
イスハルは頷いて答えた。
「我々はあの娘を助けます。しかしそうすれば雇い主であるあなたに迷惑がかかる。
だからここで護衛任務を放棄し……そのまま次の目的地までたまたま同行したということにします」
「ちょっと、それは困りますが。ロックフォート領までの護衛予定のはず。それにあなた方の代わりを見つける必要だって」
「先払いの金額5倍を詫び金として提出します。その詫び金を使えばロックフォート領までの護衛を新しく見つけることもできるでしょう」
雇い主である行商にとっては損はない話だった。
護衛任務は報酬全額のうち半分を前金、残りを依頼の完遂と共に支払うのが普通。五倍の詫び金を支払われればおつりがくるほどだ。
ただ……行商はいささか不安なまなざしになった。
イスハル達の能力に対して不服、不満があったわけではない。
旅人は行き倒れようとも自己責任。それが当たり前の世界で、恐らくは見ず知らずであろう相手のために身銭を切る彼らの善意に――なんとも言い難い不安を覚えたのだ。
この善良な人々が、その良き心のままに振舞い、そして邪悪な何者かによって謀られ破滅するのではないかという心配を、したのだ。
「……わかりました。冒険者ギルドには伝えておきます。ただあなたたちはどうしようもない事態に巻き込まれ、止むをえむ事情があったのだと……そういうことにしましょう」
「ありがとうございます」
三人が会釈する。
どこからの命令かはわからないが、あんな国外追放の看板をぶら下げさせているのだ。相応な権力者だろう。
で、あれば冒険者ギルドにこのことを伝えた時点で、追及をされる恐れがある。
礼を述べるイスハル達に対して行商は、いいえ、と首を横に振った。
「……私はこういう時に手助けできない弱い人間ですが。しかし、こんな娘さんが悪いとも思えない。
心のままに正しいと思えることを実行できるあなたたちのことを、素直に見事だと思いますよ」
護衛任務を放棄した……という形で、ロックフォート領主の追及を逃れた……としても行商の護衛それ自体をやめるわけではない。
「では、わたくしたちはここから移動して、まずは野営の準備を勧めましょう」
「ああ、そうだね。……さっきの連中は来るかな?」
「…………『地蜘蛛陣』を広げているが、反応はない」
この娘からすれば、今逃げようとしているロックフォート領に舞い戻る形となるが、かといってここで雇い主の行商を見捨てて来た道を戻るのは倫理に反する。
「ヨハンネス」
イスハル達の四人目の仲間……ということになっているヨハンネスが跪き、膝裏と脇に手を差しこんで持ち上げる。
内部に搭載された人工筋肉が膨らみ、強烈な力を発揮してゆっくりと抱え込んだ。
(二人とも、ヨハンネスは運搬に手いっぱいだ。戦力にはならないぞ)
レオノーラとジークリンデの二人が同意の頷きを返す。
色々と妙なところのある娘であるが、傷つき空腹に苦しむ人にしか見えない。
まずは安心して休める寝床と、食事が必要だった……。
ドワーフとエルフ。
人間とは違う別種の生命。寿命も生存域もおおむね違うが、人間と良好な関係を築く種族である。
その最初の始まりは人間が農業を始めた初期の頃にまで遡る。
ドワーフは短躯で足も短いが力が強く精強。そんな彼らだが、当然人間が轡と鐙を作って馬を簡単に御せるようになってもドワーフは無理だった。なんといっても人間と違って足が短い。
彼らドワーフは馬の代わりの騎獣として猪や山羊を好んで捕まえ、家畜化し、労働力として用い始めたのである。
エルフもまた同様であった。彼らの生息域は主に森の中。平地を好んで走る馬は森の中の起伏を進ませるにはあまり向いていなかった。
その結果、エルフは鹿や大型の狼を騎獣として用いることが多くなったという。
人間にとっては、これは大変に有難いことだった。
猪も鹿も、田畑を荒らす迷惑な害獣。ドワーフやエルフが自分たちで猪や鹿を捕まえ家畜化し、管理してくれるなら被害も減る。二種族にとっては人間たちのことを思いやっての行動や決断ではないがどっちも感謝されて悪い気はしなかったのである。
……なお、エルフ内では鹿を騎獣にする一族と狼を騎獣にする一族は仲が悪い。下手をするとドワーフとエルフ以上に仲が悪い。なにせ獲物とハンターの関係であり、エルフたちの話ではよくよく愛騎を他の一族の騎獣に食われて起こるいざこざが伝わってくるのだった。
「着いたぞ」
そんな訳でイスハル達はロックフォート領内にある山小屋の一つに辿りついた
冒険者ギルドに属すると、魔物の素材などを売却したり、身分証代わりにできたりとメリットはあるが、これもそういったメリットの大きな一つだった。山道を進む中で雨宿りできたり、魔物避けの魔術的な結界が張り巡らされた安全地帯ほどありがたいものはない。
「……人の気配はなさそうですわね」
「先ほどの連中が使ってたなんてのはごめんだけど。安全そうだ……おお、騎獣用の芋がある」
レオノーラが鼻を引くつかせる。山道を疲弊しながら進む冒険者や旅行者のために設けられた山小屋ではあるが、時折悪心を持った人間が罠を張っている場合もある。問題はなさそうで、小屋の周りをぐるりと一周したジークリンデが外に備えられた家畜用の飼料に目を剥いた。
ドワーフが扱う騎乗用の猪は食性も猪と一緒だが、一番好まれるのは芋類になる。飼料用ではあるが、人間だって食べようと思えば食べられるだろう。
誰かが持ち去る可能性だってあるだろうが、それよりも困り果てた旅人に恵むことを優先したのだ。行商の男性がうなずいた。
「……先代から続くロックフォート大棟梁の方針です。よそではこんな風に整備の行き届いた山小屋などはそうはありませんよ」
「確かに。次代の指導者もこういう慈悲深い方針を継いでくれればいいんだが」
だが。難しいかもな、とイスハルはヨハンネスが抱き上げている娘に視線をやる。
こういう、残酷なことをする人に慈悲の心を期待するほうが間違っているか――そう思いながら一同は準備を始める。
ジークリンデが中の暖炉に魔術で火種を入れ、薪を放り込む。
レオノーラは『施設維持の協力願い』と書かれた箱の中にリラ銀貨を一晩の宿賃替わりと放り込んでから、室内のベッドに目を向けた。
すぐさま寝台を整えようとしたところで……ちょっと考え込んだ。
(……あの娘をベッドに乗せたら即座に壊れかねませんわね。どうしましょうか)
なにせヨハンネスでさえ、魔力強化を受けなければ支えきれないほどの超重量だ。床に厚めの毛布を敷いておくか、とそう考えた時であった。
「む、むぅ……飯の音がするぅん……ん? んん?」
うっすら目を開けてドワーフの装いをした赤毛の幼女が周囲を見回す。
ここがどこなのかまだ図りかねているのだろう、ぐるりと室内を見回し。そこで、自分を抱きかかえている騎士甲冑の大男の目と――正確には兜の隙間から覗くカメラアイと――目が合った。
きゅっと瞳孔が細まり、息をのむ様子がはっきりとわかる。日焼けした褐色のほほが高揚で赤らむのが不思議とわかった。
目覚めた幼女……それとともに、岩でも抱えているのかと思えるほどの超重量が一気に減り、外見通りの幼女にふさわしい軽量になる。イスハルはとっさのことに慌てながら、即座にパワーを抑えてバランスを崩さないように操作し。
そんなヨハンネスと彼女の視線が正面からぶつかり合って。
「な……なな。なんという……カッコいい甲冑!!
にゅおお、なんというイケメンなのじゃ?!」
愛の予感に震える幼女の絶叫を受け――イスハルは、レオノーラは、ジークリンデは、あと同席していた行商のおじさんは……みな判を押したような感想をのちに語っているのだった……。
((((……ひ、人が……恋に落ちる瞬間を目撃してしまった……))))




