7:仕事を降りる
「レオノーラ? どうしたんだい」
ふと。そこで鼻をひくつかせていたレオノーラにジークリンデが問いかける。
何か嗅覚に引っかかるものがあったのか、彼女はしきりに周囲を見回していた。
「イスハル、それと……ヨハンネス、そこで待機をお願いしますわね」
「なにを?」
そう言うと、レオノーラは街道沿いにある岩の傍に進み行く。すんすんと鼻を動かしながら周りを確認し、ここだ、と気づいた様子で草藪を払いのける。
人が倒れ伏していた。
どうやら行き倒れらしいが、幸い胸元が上下しているので呼吸はしっかりとしているようだ。
娘である。歳のころは15歳以下ほどだろうか。
燃えあがる炎めいた長い赤毛を二束にまとめ、地面に突っ伏して倒れている。あいにくと真っ平ではあるものの、顔立ちは整っていて女性とわかる。
長い間、風雪に打たれて来たのだろうか、ひどく疲労しているのか顔色が悪かった。
商人も遠目に確認するのだが……おや、と首を傾げる。
「その服装。ドワーフの意匠が凝らされているものですね。……しかしそれにしては」
線が細すぎる、と行商は言いたいのだろう。
港町イスハークでしばらくの逗留をしたが、そこで何人かドワーフの女性に会って会話したことがある。ドワーフの女性は男性と同じく短躯でがっしりとした骨格を持っている。それと比べると、この娘は――あまりにも線が細い。まるで普通の人間の娘のようにも見えた。
ドワーフにしては線が細いし、人間の幼女にしては成人女性が着るようなしっかりとした旅装を纏っている。どうにもちぐはぐな印象だった。
ふと、そこでぐるるるっと音がする。目の前の赤髪幼女から発せられる腹の虫の音だ。
イスハルは行商の雇い主に尋ねる。
「助けても?」
「ええ」
旅、という行為が危険を伴うこの時代、行き倒れても自己責任でしかない。
ただ行商にもイスハルにも良心と、手を差し伸べる余裕があった。こくりと頷いたレオノーラが彼女の脇から手を入れて抱え上げようとし……驚愕で目を見開いた。
「どうしたよ、しっぽ女?」
「……それが、その。乙女相手にこのようなことを申し上げるのはとても失礼なのですけど……と、とても重いですわね。わたくしでは無理ですの」
その言葉にイスハルとジークリンデの二人とも目を見開いて驚く。
見れば行き倒れの彼女は小柄。身長にして145センチほどであろうか。その程度の小柄な相手なのにレオノーラが白旗を上げるほどの重量だというのか。人間より遥かに膂力のある獣人のレオノーラでさえ無理というなら、イスハルとジークリンデも無理だろう。
「ヨハンネス」
こくり、と全身甲冑の自動人形が行商の男に見せつけるように頷く。
そのまま彼女の脇に手を入れ抱え上げようとして……腕部にかかる激烈な負荷に、操作するイスハルが顔を歪める。
(……二人とも。素のパワーでは、このヨハンネスでさえ持ち上げられない。人工筋肉を供給魔力で強化して対応する)
(ヨハンネスのパワーでも? ……服の中に金の延べ棒でも山ほどかくしてらっしゃるのかしら?)
(その程度で持ち上げられないわけないだろ? 自分のマッチョに自信を持ちたまえ、しっぽ女)
ムッとした視線がレオノーラからジークリンデに向けられ、ふりふりするしっぽがパンチのようにぺちんぺちんと彼女の体を叩く。ジークリンデは不覚にもかわいさにときめいてしまった。
そうこうしている間にもヨハンネスが関節の駆動部からアクチュエーターの音を響かせゆっくりと持ち上げて見せる。
だが、この幼子が首から下げている看板に一同は目を剥いた。
【これなるは罪人。
ロックフォート領よりの国外退去命令を遵守中。
触れるべからず。手助けしたものは同罪と見なす】
「ひ。ひえええっ?!」
行商人の男性が怯えたような声を上げた。
彼とてこの幼い娘が悪逆非道だなどと信じてはいないだろう。しかし悪法でも法は法。
もしこの警告文を無視して手助けなどしてしまえば、彼の生業である行商ができなくなる。
イスハル達も顔を見合わせた。
「……ドワーフという人種はこうも陰険な刑罰を下すものなのか?」
「わたしの知る限りじゃ豪放磊落、酒豪揃いで気のいい連中ばかりだと思っていたけど」
「……目を覚ましているわけではありませんから、邪気のにおいはまだ気取れませんわね」
レオノーラの言葉にイスハル達は、そうか、とうなずく。
もしかすると警告文の内容が正しいような極悪人かも――とおもったが、いや、やはりそれはないな、と考えなおす。
もしこのドワーフ(?)の娘が極悪非道、残忍冷酷な犯罪者であったなら、牢屋に繋いで外に出さないのが筋のはず。
にも関わらず国外追放などの処分は……正式な刑法に乗っ取ったというより相手をむごたらしく野垂れ死にさせようという邪気を感じる。
ふいに、イスハルが眉を寄せ、四方八方に散らした地蜘蛛陣に接近する存在を検知する。
「誰か来る。これは……ドワーフの猪騎兵じゃないな。馬、響きからして人間が乗ってる。だけど速度は出していない。巡回の様子だ」
「雇い主さん、ここで一時休憩しますわ。よろしいですか?」
「え。ええっ、わかりました」
とにかく混乱した頭では冷静に考えられないと自覚があったのだろう。
雇い主はうなずく。行動の許可を得るとレオノーラは即座に茂みの中に彼女を隠した。イスハルがアイテムボックスからイスと薪を数個まとめて放り出し。ジークリンデがそれに魔術で手ばやく着火する。
暖を取る準備をしている偽装を終えると……遠方から馬に乗った軽装の男たちがやってくる。数は四騎ほど。
イスハルたちの様子を遠目に見ながらやってくると……馬上から一同を睥睨した。
ドワーフの自治領、ロックフォート領のドワーフではない。まぁ……ドワーフは種族的に短躯で、馬の鐙に足が届かないので人間なのはそうおかしくはないが。
レオノーラは鼻をひくつかせる。
(嫌なにおいがしますわね)
まったく。こういう時に嗅覚で正邪を判断できる獣人というのは実に助かる。
馬上の騎士は周りを見回してから口を開いた。
「行商か」
「は。はい。わたしとその護衛の冒険者の方々でございます」
「うむ」
雇い主である行商の男性が代表して答える。
馬上の騎士は周りを見回してから……懐から小さな道具を取り出した。
その形状にはイスハルも見覚えがある。囚人の監視用に用いられるものだ……気づかれているな、これは、とイスハルは確信する。
「……時に、ロックフォート領から追放刑を受けた小娘がいる」
「は、はい」
「もしかすると近くで潜んでいるかもしれんが。当然見つけても手出しは無用。助けるなどもってのほか」
「しょ、承知しています」
「うむ。……行くぞ」
気取られている。それは間違いないだろう。しかしこうやって直接脅しをかけられて、なおも追放刑を受けた娘を助けようという気概の人などそうはいないに違いない。
巡回の騎士たちはそのまま急ぐでもなくゆっくりと馬を走らせて去っていく。
立ち去ったようだ。そうすると行商の男性は蒼ざめた様子ではあったが……イスハルたちをぐるりと見まわした。
「……その、あの……お、置いていきます。準備を」
権力に屈する判断をした行商を責めるわけにはいかなかった。
彼にだって守るべき家族や続けなければならない生業があるだろう。それを守るために、恐らくは無実の人が苦しめられている様子に気づいても見て見ぬふりをするのは仕方ない話だ。
先ほどの巡回の男だって、あの脅迫で十分だと考えているはず。
だから、彼らに誤算があるとすれば。
たまたま通りがかっただけの冒険者たちが、善良な性根と、一国相手でも怯むことのない戦力を隠し持っている偶然に気づけなかったせいだ。
『糸伝令』でお互いに相談しあうイスハル達は、結論を下すと雇い主の男性に答えた。
「……一つ、頼みがあります。……護衛は続けますが。我々はここで護衛任務を放棄したという形にしてもらいたいんです」




