35:愚王子の最後
12/21日、本日は二話更新します。こちらは二話目です。
なお第一章の最後のお話は明後日の12/23日に更新予定です。
「おい。ヴァカデス、出ろ。お前の買い取り手が見つかった」
「ぬ……お、おおっ! ついにこのヴァカデスを助け出そうとする忠臣が現れたのだな?!」
大勢の奴隷たちと共に雑魚寝して、床が固い、飯がまずいとぶつくさ文句をいい。
鞭を、拳骨を浴びる屈辱に耐え、ヴァカデスは奴隷生活の二日目でようやく自由が訪れたのだと歓喜の表情を浮かべる。
大きな天幕の中で、以前レオノーラに揉み手していた奴隷商は苦々しい顔を浮かべながらヴァカデスを睨んだ。
「……お前は最悪の奴隷だった」
「当たり前であろう、このヴァカデスを奴隷として扱おうなど不届き千万!」
「文句は言うし、飯はまずいと投げ捨てる。言葉遣いを改めさせようとしたがもう無理だわ。
まったくレオノーラ様には騙された、詐欺だ! ……と、叫びたいがそうも言えん。あの方は確かに『どうしようもないクズ』だと仰っていたし、1000リラという最安値で請け負った時は金の卵かもと思ったが……実に適切な価格設定だったわ。
確かにコイツは1000リラの捨て値でしか売れん」
「おう……そいつか」
奴隷商はほとほと呆れ果て、疲れ果てた顔をしていたが――その場にいた男の、抜き身の刃のような冷たい憎悪の声にヴァカデスはびくりと震えた。
武具に身を包んだ凶相の男達が三名、のそりと立ち上がる。目には剣呑な光を宿し、ヴァカデスを見据えた。
「確かにそうだ。俺は会議で顔を見たから分かる。こいつがヴァカデスだ」
「な……なんだこいつらは?!」
「おいおい、なんだはねぇだろう。……地獄までの短い付き合いになるとはいえ、俺たちがお前のご主人様だぜ」
……かつてヴァカデスの身代金支払い拒否の席で、証人として出てきた傭兵部隊の隊長たちが満面の笑みで出迎えてくれる。
笑顔だが、それは肉食獣が牙を剥くのにも似た『これからお前を殺す』という笑みだ。
「な。なんでこんな連中がこのヴァカデスを買おうというのだ!」
奴隷商は溜息を吐いた。
「なんでって客と商品の因縁とか事情とか、そんなのは知らんよ。……お前さんがもし、言葉遣いを正す教育を素直に受け入れてりゃ、どこかの金持ち婆さんの愛人として売りつけることも考えたさ。教育が上手くいきゃ、700万リラ程度で売れたかもしれねぇし。もしそうなったら……そこの傭兵隊長さんのお話を断わったんだがなぁ。
自分は王子だ、敬え、へつらえと喚き散らす奴隷なんざ害にしかならん。一万リラでお買い上げだ。一応儲けは出てるから、まぁ……自業自得よな」
溜息を吐く奴隷商とは裏腹に、傭兵隊長は口元を残虐に歪めて笑う。
「俺達としちゃ感謝するしかねぇよ。おかげでてめぇをこの手で縊り殺せるんだからなぁ!」
「ぎゃひぃ!!」
今まで憎しみを堪えていたのだろう、たまらずに出た拳骨がヴァカデスの顔面を殴り飛ばす。
激痛にのたうつヴァカデスを前に奴隷商は困ったような顔になる。
「……あー。お客様。まだ取引はお済みでないんです。奴隷を無意味に手荒く扱われるとこっちとしても困りますな」
「おう、すまねぇ。……ほれ。一万リラだ」
「ま、待て、嫌だ! 牢に戻してくれぇ!」
「お買い上げどうも」
ヴァカデスが必死になって叫ぶが、奴隷商は手をひらひら振って「お達者で」とさよならの挨拶をするのみ。
幾ら暗愚の王子でも、自分が裏切った傭兵たちからどのように思われているかぐらいはわかる。八つ裂きにしても飽き足りぬと思われているだろう。
「た。助けてくれー!!」
「お前に射掛けられ、殺された俺の仲間もそう言って死んだよ。……今度はてめぇの番だ」
懸命に憎悪を御しようとする傭兵によって猿轡をかまされ、後ろ手に縛られ、ヴァカデスは頭に袋を被せられたまま馬車に乗せられ連れて行かれる。
解放された時には、すでに空には満月が浮かんでいた。
どこかの森の中。木々のない円形の空間。周りには大勢の人間達が憎悪を目に浮かべて、放り出されたヴァカデスを見ていた。
殺せ、誰かが叫ぶ。八つ裂きにしろと唸り声がした。陣中付きの娼婦がねんごろにしていた男の仇を前に石を投げる。それらの憎悪を前に、傭兵隊長が前に進み出た。
「この卑怯卑劣な裏切り者に対して、俺達は報復をせねばならない。そうしなければ無念の死を遂げた兄弟達の魂は浮かばれん。
だが、復讐の権利は戦死者の縁者を優先とする。いいな」
「異議なし!」
「良かろう、ヴァカデス王子。てめぇの裏切りで死んだ仲間たち47名の無念と憎悪を晴らすため、計470回の殴打を以って妥当とする。
刑を執行せよ!」
夫を殺された女か、父を奪われた子か、わが子を失った老兵か、兄弟を亡くした傭兵か。それぞれが両眼に激烈な憎悪を宿しながら腕に棍棒を持ち上げ近づく。
ヴァカデスは猿轡をかまされたまま絶叫した。
まるで当たりくじを引いた10分の1刑の焼き増しのよう。
いや、違う。抜け出す機会はあった。
奴隷商の言うとおり、男娼としての教育を受けていればこんな事にはならなかった。
弓矢を傭兵に向けなければよかった。
父王の舌と指を切り落とす話を止めればよかった。
イスハルを身代金を支払って引き取ればよかった。
そのすべてが、もう手遅れだった。
許してくれ、許してくれ、と慈悲を請う言葉もくぐもって彼自身にしか届かない。
逃げようとしても周りは報復を見届けるために集まった傭兵たちによって封鎖されている。
両手を縛られたままでは抵抗などできない。
『呪ってやる、ヴァカデス……』
(ゆ、許してくれぇぇーーー!!)
眼前に浮かぶ幻覚は、自分が殴り殺した友人の呪詛。
あの時、彼が吐き出した呪いは今まさに完成しようとしているのだ。
一斉に振り上げられる棍棒を前に。
ヴァカデスは撲殺した友人に詫びながら絶叫して――――………………。
滑稽話の主人公となったヴァカデス王子の消息は、奴隷商の売買記録を最後に途絶えている。
ただ、当時は仲間を雇い主のヴァカデスによって殺害された傭兵がまだ大勢残っていたし、彼を購入した男は傭兵の身なりをしていたと証言にある。
傭兵たちには復讐をする動機が十分すぎるほどにあった。
ヴァカデスの末路を想像することは、あまりにも容易い。




